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【diary】にっぱち

今日の誕生日inマナ… ぴかぴかはやとくん17歳、よしあきくん12歳、こうたくん8歳、ふくねちゃん1歳、神様の祝福がありますように!
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少し余裕のある時に…と美容院に行ってきました。なかなか行く時間がない、その上電話をしても予約が取れない。でも今日はすんなりと行けました。美容院は1月はゆっくりなんだそうです。分かるような気がします。トリマーの娘のドッグサロンも1月暇なのかな…世間はニッパチ(2月8月)は暇って言うらしいですけど…嫁ぎ先のお義母さんに教えていただきました。ごとび(5日10日)も…お商売用語ですよね。
 

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【聖書】ローマ6章

ローマの信徒への手紙6章・・・・・・罪の支払う報酬
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」6:23

くぅ〜ママのちょっと一言
クリスチャンとはイエス・キリストと霊的に一体とされた者であり、罪から解放され、新しい命に生きる存在です。そのことをパウロは3つのたとえから説明します。1つはバプテスマのたとえから、2つ目は奴隷のたとえから、3つ目は婚姻のたとえから語られています。(3つ目は7章に書かれています)バプテスマを受けて罪の支配から自由になるということは、こんなふうに想像すると分かりやすいかもしれません。罪の操り人形だったのが、バプテスマを受けることで、その糸が全部切れて自由な身になります。そこは神さまが支配される場所なのです。そこでは神様が喜ばれる生き方が、私の喜びとなります。神様の支配は罪の支配のようにあやつり人形のように糸でつながれません。自由なのです。自由だからまた、以前のように罪を犯してしまうときもあります。でも神様の前に悔い改める自由も与えられています。罪の糸で縛られていないということは、永遠の命を頂いているということ。天国に行く時に、罪の糸で引っ張られて行けない…なんてこともないのかもしれません。

聖書要約
グッド罪に死に、キリストに生きる
「罪の増したところには、恵はなお一層満ち溢れるなら、恵みを多く受けるために罪の中に留まり続ける方がよいのでしょうか。そんなことは決してありません。クリスチャンはバプテスマを受けてキリストイエスとつながった時にあなた方の中にある罪の支配力は無効になってしまったのです。あなた方の古い邪悪な欲望はキリスト共に十字架につけられました。そしてイエスの復活されたのと同じように私たちも新しい命を頂いたのです。バプテスマは罪の中にいる自分がイエスとともに死に、新しい命を頂いて、キリストイエスと結ばれて、神に対面して生きるということです。だから、自分の身体を罪から離れさせて、良いことをする為の道具として神にささげなさい。バプテスマを受けたものは律法の支配ではなく、恵の下にいるのです。
グッド義の奴隷
では恵の下にいるなら、罪を犯していいのでしょうか。決してそうではありません。罪の奴隷として生きるか、神の奴隷として生きるかどちらかなのです。奴隷であるか自由の身であるかではなく、何に対して奴隷なのか(何に従うのか)ということが問題なのです。あなた方はかつては罪の奴隷でしたが、今は罪から解放されて、神の教えに心から従う者になりました。そして罪に従う奴隷は死にいたり、神に従順に仕えて生きる事は義にいたるのです。「義に対して自由な時(罪の支配下にいる時)はあなたはどのような実を結んだでしょうか。恥ずかしいと思うような実しか結ばなかったのではないでしょうか。その行き着くところは死です。一方、神の奴隷として生きるとき私たちは聖なる実を結ぶのことができ、その行き着くところは永遠の命です。罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

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【diary】551

今日の誕生日inマナ… ぴかぴかちなみちゃん21歳、こうすけくん21歳、ちひろちゃん20歳、このみちゃん19歳、りょうくん16歳、ちひろくん14歳、なのりちゃん12歳、けいたくん10歳、つくみちゃん10歳、ほずみくん7歳、ななおちゃん4歳、神様の祝福がありますように!
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JMC(ジャパンミッションセンター)からお呼びいただいて北浜のVIP関西センターでお話をさせて頂きました。一昨日道順を教えて頂いていたのでみごとに大阪駅まで最短距離で迷わずに帰ることができました。ここってもしかして…とちょっと外に出てみるとやっぱり…551の豚まんのお店がありました。関西の子は「あるとき〜ないとき〜」のコマーシャルを知らない子はないくらい有名な豚まん。もちろん買って帰りました!
 

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【聖書】ローマ5章

ローマの信徒への手紙5章・・・・・・罪と救い
「しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません」5:15

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロは信仰義認の結果、与えられる神との間の平和と、神の栄光にあずかる希望について述べています。希望そのものだけではなく、苦難な状態をも希望なのだといいます。苦難は忍耐を生み出すと書かれています。忍耐とはジーっと歯を食いしばり、不動でがんばっているイメージを描きやすいのですが、そうではなく、神さまが与えてくださる恵の約束を信じて、辛さを乗り越えて積極的に生きていく姿勢です。そのことが素晴らしい人格を形成していくことになります。それがまた希望につながっていくというのです
後半はアダムとキリストが対比されて語られています。アダム(罪、死、裁き、有罪、不従順)キリスト(義、永遠の命、恵、無罪、従順)キリストは第2のアダムと言われますが、第1のアダムは人類に罪と永遠の死をもたらしましたが、第2のアダムは人類に恵と永遠の命を与えてくださいました。このことを、パウロは表現を変えながら私たちに繰り返し訴えます。私たちを友と呼んでくださるキリストの愛の中にいることを感じながら、軽い足取りの日も、一歩踏み出すのがやっとというような重い足取りの日も、神さまが私の人生を握っておられることを信じて、前進していきましょう。

聖書要約
グッド信仰によって義とされて
信仰によって義と認められた私たちは主イエス・キリストによって神との間に平和を得ています。そればかりか神の栄光にあずかる希望を誇りとすることができます。希望ばかりではありません。苦難をも誇りとすることができます。なぜなら苦難な状態であっても、信仰によって忍耐しながら前向きに生きていくことによって、練られた品性、豊かな人格へと自分自身を高めてくれる。その練られた品性に裏づけされた希望を頂くことが出来るのです。ですからどんなことが起ろうとも、失望せず落胆することはありません。なぜならそのように生きている者には、神の愛(聖霊)があふれるばかりにふりそそがれているからです。
キリストは私たちがまだ弱く、罪の中にいた時に私のために死んでくださり、神の愛を示してくださいました。罪ある私たちを無罪と宣言してくださったのです。罪の中にいた時にもこんなに素晴らしいことを私たちに与えて下さったのですから、無罪と宣言してくださった今はもっと良い物を与えて下さいます。私たちに救いの道をあたえて下さり、キリストは私たちを友と呼んで下さるのです。
グッドアダムとキリスト
一人の人・アダムの罪は人類に罪と死をもたらしました。モーセに律法が与えられるまでは、罪は罪とみとめられなかったのですが、死は全ての人を支配しました。しかし一人の人、イエス・キリストの十字架の死は人類全てに義と救いをもたらしました。アダムの一つの違反によって人類は死に支配されるようになりましたが、キリストの義によって人類はいのちを与えられたのです。
アダムとキリストは人類の罪と義をもたらしたのですが、キリストの義は罪とは比較にならないほど優勢なのです。理由として、一つの罪で有罪判決を受けたのに、神の恵みは多くの罪を全て無罪にすることができます。
アダムから律法が与えられたモーセまでにも罪はありました。しかし律法が与えられることによって益々罪を自覚されることが増えたのです。でも大丈夫!罪が増せば増すほど、恵みも増します。罪によって死が支配していましたが、イエスキリストの圧倒的な恵と力によって、私たちは永遠の命を頂くことができるのです。

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【diary】お正月飾り

今日の誕生日inマナ… ぴかぴかゆういちろう21歳、さちえちゃん21歳、まひろくn14歳、たいきくん14歳、りょうたくん13歳、こうたつくん12歳、こはるちゃん11歳、がくくん5歳、神様の祝福がありますように!
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羽子板や植木や玄関に飾ったお正月のグッズを外しました。実家にいる時はしめ縄などをとんど焼きし灰を玄関にまいたものですが、我が家はクリスチャンなのでとんど焼きはしません。日本の風習としてお正月飾りは15日までということで…来年はどんな気持ちで羽子板を出すのでしょうか。楽しみにしながら誇りを払って箱に収めました。
 

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【聖書】ローマ4章

ローマの信徒への手紙4章・・・・・・アブラハムの信仰
「アブラハムは神を信じた。それが、神の義と認められた」4:3

くぅ〜ママのちょっと一言
人が義とされるのは律法を守ることによってではなく、イエス キリストの十字架と復活を信じる信仰によるものであるという「信仰義認」の考えを表したパウロは4章でアブラハムの信仰について語ります。アブラハムに神が約束されたことは、まったく不可能と思われるようなことでした。しかしアブラハムが信じたので神はアブラハムを「よし」として祝福されました。現代の私たちにとっては「イエスの処女降誕など理解できない。十字架と復活など意味の分からない」ことかもしれませんが、それを「ただ信じなさい。」ということなのだと思うのです。見えないものを信じること、納得できないことを信じるからこそ信仰と言えるかもしれません。信じて生きるも人生、信じずに生きるのも人生。選択をそれぞれ一人ひとりに任されているのです。

聖書要約
グッドアブラハムの模範
信仰によって救われるという問題について、私たちの始祖アブラハムの信仰を通して考えてみましょう。彼が神に受け入れられたのは良いことをしたからでしょうか。もしそうなら、彼は自分のことを誇ったでしょう。しかし神の側から見ると、アブラハムには誇れる理由などありません。アブラハムは神を信じたから、神が彼を義と認めれらたのです。働いた時に得るのは報酬ですが、働かずに得るのは恵みです。ダビデも救われる値打ちのない罪人が罪のない者とされる幸いについて「罪をすっかり消し去られた者、主の罪を数えられない者は何と幸いでしょう」と語っています。ではこの幸いは割礼をうけた者に与えられるのでしょうか。割礼のない者にも与えられるのでしょうか。アブラハムは割礼を受ける前に信仰によって義とされました。義とされた印として割礼を受けたのです。彼は割礼を受けずに信じた者にとっても、割礼を受けてアブラハムに従う者にとっても私たちの父なのです。
グッド信仰による実現される約束
神はアブラハムに子孫に世界を継がせると約束されました。神の祝福の約束を受け継ぐのは律法を守る者ではなく、神を信じることによって義と認められた者です。律法は神の怒りを招くものです。すなわち律法によって人間の罪が明らかにされるだけです。神がアブラハムに与えられた祝福の約束はイエスキリストを信じる全ての者に与えられます。アブラハムは死者を復活させる神を信じました。神はあなたを多くの国民の父とすると定められました。しかしその時彼は100歳、妻のサラも子どもを宿せる体ではありませんでした、アブラハムは希望するすべもないような状態でしたが、なお神の言葉に望みをおき続けました。アブラハムの信仰は弱まることがなく、益々信仰は強まりました。そのこのように神の約束を信じ抜いたから、彼は義と認められたのです。それは私たちにも当てはめることができます。主イエスを死者の中から復活させられた方を信じることで私たちも義とされるのです。イエスは私たちの罪のために十字架にお架かりになり、私たちの罪のために死に渡されました。そして私たちが義とされるために復活されたのです。

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【diary】北浜

今日の誕生日inマナ… ぴかぴかあつきくん21歳、いくおくん17歳、りおちゃん13歳、こうせいくん12歳、もえちゃん11歳、あいりちゃん4歳、神様の祝福がありますように!
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大阪駅から阪急の梅田あたりには苦手意識があります。若いころ何度となく迷ったからです。今日は北浜から御堂筋線で淀屋橋まで歩いて、そこから大阪まで来ました。セミナーの皆さんと一緒に帰ってきたのですが、JRは私一人になります。不安な気持ちでしたが、大阪駅まで一緒に帰ってくださった方があり、無事5番線の神戸方面のホームに行くことができました。16日もまた講演で北浜まで来ます。もう大丈夫、自信がつきました。ご親切に付き添って教えてくださって本当にありがたかったです。もう一度チラシアップします。
 

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【聖書】ローマ3章

ローマの信徒への手紙3章・・・・・・信仰による義
「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです」3:28

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロは1章2章で偶像礼拝の罪と偽善の罪を鋭く指摘してきました。3章では神の真実と人間の罪から、律法では救われる事はないことを、ディアトリベと言われる自問自答の話法で力強く説明します。何度もディアトリベが使われています。
この章の21節は旧約聖書と新約聖書をつなぐ連結の部分です。「人間がどんなに努力しても救われる事も、義とされることもない」そんな私たちがイエスキリストを信じる信仰によって救われるという大逆転の展開を神が与えてくださったのです。私たちが義とされるのは、神から一方的に与えられることで、そう考えると誰一人誇れる人はいません。行いによって得られる義ではなく、信仰による義なのです。

聖書要約
では「ユダヤ人の優れた点は何でしょう、割礼に利点はあるでしょうか」。もちろんあります。まず神はユダヤ人に神の言葉を託されたのですから。では「彼らの中に不誠実な者がいたら、神の誠実が無になるのですか」「いいえ、どんなに人間が罪を犯しても罪を告白した時正しいものとされ、断裁されることはありません」人間の不誠実がどんなに大きくてもそれを覆うほど神の人間に対する誠実は大きいのです。人間が悪いことをしても、神は真実に人間を愛してくださるというのです。では「人間が不義を犯せば犯すほど、神の義の大きさが明らかになるのですか。怒りを発する神は正しくないのですか」「いいえ、善が生じる為に悪をしようというのは間違っています」すなわち神の愛を知ろうとして悪を犯すのは間違っているということです。
グッド正しい者は一人もいない
ユダヤ人もギリシャ人も人類は皆罪人です。旧約聖書にも「正しい者は一人もいない。…」と書かれています。彼らは神の律法を守る責任があるのに守らないので、神の裁きが彼らに重くのしかかっています。彼らだけでなく、全世界が全能の神の前に有罪の宣告を受けているのです。「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」と。
グッド信仰による義
しかし今や、神は私たちの罪が赦され、天国に行く道を示して下さいました。それは善人になるとか、律法を守るために努力することではありません。実はその道は旧約聖書にすでに書かれていることです。すなわち神は「あなた方がイエス・キリストを信じるなら、わたしはあなたたちを受け入れ、罪のない者とする」と言われました。全ての人は罪を犯したので、神に近づくことはできなくなっていましたが、ただ、キリスト・イエスの十字架の贖い(私たちの罪の身代わりとして十字架に架かられた)を通して、私たちは無代価で神に近付ける者(義)とされるのです。では私たちが義とされ、救われるために何か誇れるようなことをしたのでしょうか。いいえ、私たちは自分の善行によって無罪とされるのではありません。それはキリストがしてくださったことで、私たちはそのキリストを信じる信仰によってのみ罪が赦されるのです。神はユダヤ人にも、それ以外の人にも、割礼のある人にも、全ての人を信仰によって義として下さるのです。では信仰が大切で、律法は不必要なものなのでしょうか。決してそうではありません。律法は罪の意識を生じさせてくれるものであり、イエスキリストの信仰へと導くものです。そうであれば信仰することによって律法の役割を完成させることになるのです。

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