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【聖書】詩編5編

詩編5編・・・・・・あなたを避けどころとする者は
「あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い、とこしえに喜び歌います。」5:12

くぅ〜ママのちょっと一言
朝の礼拝において歌われた詩篇と言われています。嘆きの詩となっていますが、切実な神への訴えからはじまり、敵対するものへの批判、そして自分自身が神に導かれることを祈り、最後には神を避け所とする者を神は祝福してくださることへの確信が歌われています。
 この世の悪に倣わず、主の祝福を信じて主の道をしっかりと歩む者でありたいです。ダビデの時代には神殿はないので、後世のものがダビデを偲んで歌ったものとされています。

聖書要約
ダビデの詩

主よ、私の話す言葉を聞いてください。主よ、私の心のうめきを聞いてください。主よ、私の助けを求める叫びを聞いてください。主よ、あなたを見上げて朝ごとに祈る私の祈りを聞いてください。あなたはあなたに逆らう者、悪人、奢り高ぶる者、不法な行為、うそ、殺人、欺きをどんなにお嫌いになることでしょう。しかし私はあなたの憐れみによって神殿にひれ伏します。まっすぐにあなたの道を歩ませてください。彼らの口はうそばかり、罪と死臭が漂います。どうか彼らを打ち落としてください。
しかしあなたを避け所とする者はとこしえに喜び歌います。あなたを愛する者はあなたに守られ喜びが与えられ、あなたの愛の盾で守られるのです。

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【聖書】詩編4編

詩編4編・・・・・・御顔の光を向けてください
「主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。」4:7

くぅ〜ママのちょっと一言
これも3章に引き続き、わが子アブサロムに追われている時にダビデが読んだ詩です。「朝の祈り」に対してこれは「夕べの祈り」と言われているそうです。前後は神への語りかけであり、真ん中は敵への勧めです。敵と言ってもわが子であり、わが子が主に罪を犯すことがないように語っています。そしてダビデ自身の主が私を選んでくださったこと、主は自分をよしとしてくださっていること、また主は必ず守ってくださるという確信が歌われています。ダビデのこれらの信仰を学びたいと思います。

聖書要約
(ダビデの詩)
私を「み心に適う者」と言ってくださる神さま、苦難から解き放ってください。私の祈りを聞いて下さい。
私に敵対する者たちよ、主が王に選んでくださった私を辱めるようなことをしないでほしい。主に罪を犯してはいけません。夜眠る時静かに思いめぐらしてみなさい。主に信頼して、主が喜ばれる献げ物をしなさい。
神が私を助けてくれるはずはないと誰もが言います。どうか主よ、私にみ顔を向けてください。あなたから頂く喜びは、刈り入れのときの幾倍もの喜びです。私は安心して横になります。私はひとりぼっちであっても、あなたが私を守ってくださるからです。

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【聖書】詩編3編

詩編3編・・・・・・救いは主のもとに

くぅ〜ママのちょっと一言
この詩は「朝の祈り」として読まれてきたとのことです。サムエル記下15章の出来事から読まれたものです。前半はわが子に追われ、敵に包囲された、わが身への嘆きが書かれています。そして主への願いから後半は主が守ってくださることへの確信に満ちた言葉が綴られています。どのような状況でも主が守ってくださることを信じたいと思います。クリスチャンには万策を講じた後の一手を忘れてはいけません。それは主に委ね、主の救いを信じること。そして主はその祈りに答えてくださると確信することです

聖書要約
「救いは主のもとにあります。」3:9
ダビデがわが子アブシャロムに負われて逃げた時の賛歌です。「ああ神、どうしてこんなに多くの者が私に逆らうのでしょう。右も左も敵ばかりです。多くの者が「神は私を助けられるはずはない」と言います。
それでも私にとって主は私の盾、私の栄です。私が主に叫ぶとあなたは答えてくださいます。だから私は安心して眠ることが出来ました。主が見守ってくださったからです。
私はいかに多くの敵に包囲されても恐れません。主が私に味方し、私を救ってくださるからです。救いは神からきます。神はあなたを信じる者に大きな喜びをお与えになります。

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【聖書】詩編2編

詩編2編・・・・・・地を治める者は主の諭を受けよ
「地を治める者よ、諭を受けよ」2:10

くぅ〜ママのちょっと一言
聖書はどの箇所も難解だと思いますが、詩篇も本当に難しいです。しかし難解な中に宝の言葉が埋もれているように思えます。150章150日私なりに読みこなしたいと思っています。2章も難しさのあまり唸ってしまいます。王の即位の詩編で、王とはソロモンと考えられるとのこと。選ばれた王は主の諭しを聞くことによって繁栄が約束されていると書かれています。この世のリーダーの方々に、ぜひ知っていただきた真理です。私たちクリスチャンも主に選ばれた者として主の言葉を注意深く聞き、この世に伝えていくことによって主によって幸いを頂くことができるということなのだと思います。神の愛を、全身全霊をもって発信していきたいと思います。

聖書要約
なぜ国々の指導者は神に向かって怒り狂るうのでしょう。なぜ神の鎖を断ち切って自由になろうと神との関わりをこばむのでしょう。それをご覧になって天の神は一笑にふすだけです。真の王は主によって即位させられます。主に選ばれた私に主から託された言葉を告げます。「王として栄誉を主から授けられた者よ。主の諭しを受けよ。主に願い出たら世界中の国々を授けよう」と。そして手遅れにならない内に敬虔な畏れを頂いて神の子のみ前にひれ伏しなさい。主に信頼するものはすべて幸いを得ることができるのです。


 
 

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【聖書】詩編1編

詩編1編・・・・・・主の教えを口ずさむ人は
「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない」1:3

くぅ〜ママのちょっと一言
詩篇は「テヒリーム」といわれ、賛美という意味だそうです。ダビデの歌とされていますが、ダビデを偲んで歌われたとも言われています。悲しみ、喜び、怒り、平安、疑いと信仰、悔い改めと賛美など人間の感情が素直に表現されており、素直に神に訴えている信仰の姿勢に心打たれ、教えられ、なぐさめられ、勇気付けられ、希望が与えられます。一章は幸いを得る生き方と滅びの生き方について書かれています。神の教えを昼も夜も口ずさむ者は主の豊かな祝福に預かれるのです。今日も主への感謝と讃美の一日としたいと思います。

聖書要約
悪人の入れ知恵に耳を貸したり、罪人と一緒になって神をあざけたり、傲慢な人の仲間にならない人はなんと幸いなことでしょう。そして神の教えを昼も夜も口ずさむ人は川の水際に植えられた木が毎年欠かさず実を結ぶのに似ています。その木は決してしおれることなく繁栄します。
ところが罪人(神に逆らう者)は籾殻のように風に吹き飛ばされ、神の裁きを前に不安に駆られます。
神を信じる者を神は見守り導いてくださいますが、神を信じない者は滅びが待っているのです。

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【聖書】ヨブ記42章

ヨブ記42章・・・・・・前以上の祝福
「主はその後のヨブを以前にも増して祝福された」42:12

くぅ〜ママのちょっと一言
ヨブは主から直接語りかけられ、神の偉大さと自らの傲慢さを恥じて悔い改めました。また主は因果応報の人間的な考え方で神のみ旨を推し量ろうとした友を叱られたのです。そしてヨブがその友の為に祈ったとき主はヨブを元の境遇に戻されたのでした。またヨブは神から言葉を頂いたことで十分で、それ以上求める思いはなかったでしょうが、神はヨブに以前にも増して見える形で祝福してくださいました。
主に「なぜですか」と聞く必要はないのです。主のみ旨を図り知る事は私たちには出来ないのですから。ただ、主は私たちの流した涙をご存知であること、そして死の陰の谷を歩む時も共にいてくださることを信じ、私たち一人ひとりを愛し、良きもので満たそうとしておられる主に感謝して生きていきたいと思います。

聖書要約
ヨブは主に答えて言いました。
「あなたは全能であり、力は無限であり、誰にもあなたの摂理を否定する事はできません。あなたの事は前から聞いていましたが、この目ではっきり見た今は自分がなんと取るに足らない存在なのかを思い知り、心から悔い改めます。」
この後神はエリファズに語られました。
「お前と二人の友に対して怒っている。ヨブのように神について正しく語らなかったからだ。雄牛と雄羊を7頭ずつヨブのところに引いてきなさい。ヨブがあなた達の為に執り成しの祈りをしてくれるだろう。そうすれば私はあなたたちに罰を与えない。」
そしてヨブが友のために祈ったときヨブは元の境遇に戻され、更に2倍の財産を与えられました。兄弟姉妹友人もこぞってヨブのもとを訪れ食事を共にしたのです。神はヨブに子どもたちを再び授け、幸せな晩年を送り長寿を保ち老いて死にました。

 

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【聖書】ヨブ記41章

ヨブ記41章・・・・・・全てを治められる主
「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ」41:3

くぅ〜ママのちょっと一言
レビヤタンは混沌の怪物と言われるのだそうです。そしてこの混沌はヨブを悩ませた無秩序な社会そのもの。この社会の無秩序を征服することが出来る者がいるかと主は問われているのです。そしてレビヤタンはサタンの化身とも言われています。サタン=悪なる力は秩序なきこの世の混沌そのものなのです。この世の中を秩序正しく治めることが出来るのは主なる神のみです。「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ」こうして光があった。」これは聖書の始まり、創世記の1章2節の言葉です。混沌の世に光を当たられるのは神。ヨブの叫びに答えてくださるのは主なる神を置いて他におられないのです。

聖書要約
(40章のレビヤタンの続き)
このレビヤタンを征服するなど大それた考えだ。しかしそのレビヤタンを支配できるのはこの私をおいて他にない。レビヤタンの体の作りは見事なものだ。背中、顎、顔、歯…。口からは火炎を吹き、鼻からは煮えたぎる鍋の勢いで煙が吹き出る。心臓は石。釣義もやりも彼を突き刺す事はできない。こん棒も彼にとったら藁のような物。彼の進んだ後には光が輝き、彼を支配する者はいない。誇り高い獣すべての上に君臨している。

 

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【聖書】ヨブ記40章

 ヨブ記40章・・・・・・全能者の御前にひれ伏すヨブ
「全能者と争う者よ、引き下がるのか」40:2

くぅ〜ママのちょっと一言
ベヘモットとは象とか河馬のような獣、レビヤタンは恐竜、海竜、サタンの化身の竜などだそうです。主はヨブに「そのような獣と戦ったり、手なずけたりできるのか。また神のような力を持っているのかと」問いかけられます。「もう主張しません」と言うヨブに神はさらに追求されるのです。それはヨブに完全に主のみ前にひれ伏すことを要求されたのでしょう。同様にクリスチャンの信仰生活においても、主は完全に心を明け渡すことを要求されているのだと思います。また自分が寄って立つものにすがることを止め、全面的に主に委ねることを要求されているのだと思います。持っているものを全て手放さざるを得ないようなうち砕かれた状態で主のみ前にひれ伏す経験は、人間的には辛いことですが、もっとも主の御愛がわかる方法なのかもしれません。どんなに神に責められても、ヨブは神から言葉をもらえたことで大満足だったことでしょう。ヨブが問うていた答えはもらえていませんが、そんなことどうでもよくなっていたことと思います。絶対者なる主をはっきりと感じて、御前にひれ伏すことが、ヨブが一番求めていたことだったのではないでしょうか。

聖書要約
神はさらに続けました。
「全能者と口論するのか。それとも降参するのか。神を責め立てる者よ答えるがいい。」
ヨブは言いました。「私はあなたに反論できるような者ではありません。もう主張しません。」と。
神は再びヨブに尋ねられました。「さあヨブよ、しっかり答えなさい。自分の正しさを主張しようとして、神を罪人とまで言った。お前は神のような力、威厳、栄と輝きを持ち、思い上がった者を挫き、滅ぼすことが出来るのか。もし出来たならお前の説に同意しよう。
ベヘモットを見よ。お前を作った私はこの獣も作った。その大きさ、異様さ、力強さ、生殖力など神の傑作といえる。山々は最高の食べ物を差し出し、他の野獣もそれに従う。ヨルダン川が押し流そうとしても動じない。この野獣をだれも捕まえる事はできないだろう。お前はレビヤタンを鉤にかけて引き上げ、舌を縄で捕らえて屈服させることができるか。小鳥のように手なずけたり、やりやもりで傷つけたりすることができるか。戦うなどとは二度と言ってはいけない。」

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【聖書】ヨブ記39章

ヨブ記39章・・・・・・動物たち見る神のご配慮
「誰が野生のろばに自由を与え、野ろばを解き放ってやったのか」39:5

くぅ〜ママのちょっと一言
神はヨブに動物に目を向けさせます。荒野で力強く生きていく動物、人間の意のままにならない動物、知恵を与えられなかった動物、戦いに威力を発する動物、高いところで巣をつくる動物など、これらの動物は神から与えられた能力で、神が置かれた所で、神のご配慮の中でたくましく生きていることをヨブに諭されました。またここに挙げられた動物は申命記において神が汚れているとされた動物であることも意味深いと思います。私たちの人間もそれぞれ与えられた能力、置かれた環境、託された使命は違いますが、全ての人が神の愛の中で、神のご配慮の中で生かされていることに目を向けたいと思います。だから不平を言わず、不安がらず、置かれた所で、与えられた能力を精一杯発揮し、自分の使命に生きていきたいと思うのです。

聖書要約
山羊雌鹿の出産。野生のろばの自由さ。意のままにならない野牛、分別のない駝鳥、しかし足は馬よりも早い。戦闘に威力を発揮する、南に飛び立ち、高い所に巣を作る、岩場に住み死骸の傍らにいる。それらの動物の特徴は神が与えたもので、それぞれに神のご配慮の中で、それぞれにふさわしい生き方をしているのだ。

 

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【聖書】ヨブ記38章

ヨブ記38章・・・・・・神のみわざのご配慮と慈しみ
「わたしが大地を据えた時、お前はどこにいたのか」38:4

くぅ〜ママのちょっと一言
ヨブは自分自身の苦しみのみならず、友との議論によって打ちのめされた中で、神からの言葉が欲しいと切望していましたが、ようやく神の言葉を聞くことができました。神の言葉は天地創造のみ業から始まり、神が創造された自然界には驚くべき秩序と神のご配慮があること。また神の偉大な力と智恵とそして慈しみがあることを示されたのです。それは人間の知恵で考える因果応報ではなく、人の営みを神のスケールで見ることを示されているように思います。ヨブへの疑問に対して神は直接的な答えをされていませんが、なんと慈愛に満ちた語りかけではないでしょうか。

聖書要約
主なる神の言葉

主は嵐の中からヨブに答えて言われました。「お前は知識もないのに、なぜ神の摂理を否定するのか。これからお前に尋ねることについてはっきりと答えるがいい。大地を据えた時お前はどこにいたのか。海、夜明け、地下の世界、光と闇、雪や雹などの気象現象、天体の運行、生きとし生けるものへの配慮をお前はどのようにみるのか。


 

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