マナ's Blog

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【聖書】あなたのただ中に・ゼファニヤ書3章

ゼファニヤ書3章・・・・・・神はあなたのただ中に
「お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。」3:17

くぅ〜ママのちょっと一言
2章で諸国の滅びが告げられた後、ユダの滅びが語られます。国全体の罪、指導的な立場の人たちの罪が述べられます。しかし回復の時に恵みによくする者はユダに限らないと書かれています。どんな人が主の恵みに与ることが出来るのでしょうか。それは主の前にへりくだった者であり、おごり高ぶる者は取り除かれるのです。「へるくだる」とはとても難しいことだと思います。高ぶる心から解放されるための一つの方法は、新約聖書の多くを書いた伝道者パウロが語った「わたしは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」(ローマ14:8)のみ言葉に立つことではないかと思うのです。

聖書要約
グッドエルサレムの罪と贖い
ああ。罪と汚れに満ちたエルサレム。暴力と犯罪の町。この民は神の戒めを受け入れませんでした。役人も裁判官は飢えたライオンや狼のように民を食い物にし、預言者や祭司は主の掟に背いて神殿を汚している。しかしそんな民に対しても主は正しいお方にもかかわらず、民はそれを気にも留めません。「私は多くの民を滅ぼした。今度こそ彼らは私の言うことを聞くだろう。そうなれば二度と彼らを懲らしめることはしない。」と主は言われます。しかし民は期待も空しく、罪を犯し続けました。だから主は言われます。「彼らの上に激しい怒りを注ぎます。全地は私の熱情の炎で焼き尽くされる。その時諸国の民は私が清いことを語り、礼拝するようになる。エチオピアの向こうからも捧げものを携えて来る。その時横柄な連中は取り除くので、おごり高ぶる者はいなくなる。彼らは主を避け何処とし、彼らは養われて憩い、もう彼らを脅かす者はいない。」と。
その日人々はエルサレムに向かって言います「イスラエルよ、恐れることはない。あなた方の主はあなた方のただ中におられ、あなた方に勝利を与えられる。主はあなた方をみて喜び楽しまれる。愛によってあなたがたを新たにする」と。
「私は傷ついた者を集め、家に連れ戻そう。あなた方に回復を与える時、全世界の中ですばらしい称号を与える。」と主は言われます。

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【聖書】判決が出されぬうちに・ゼファニヤ書2章

ゼファニヤ書2章・・・・・・判決が出されぬうちに
「共に集まれ、…判決が出されぬうちに」2:2

くぅ〜ママのちょっと一言
諸国民に対する預言が書かれています。主の裁きはペリシテ、モアブ、アンモン、エチオピア、アッシリアに及びます。罪人は裁かれ滅びるのです。神のみ前に罪をおかさない者は一人としてありませんから、地球上の人類は全て滅びるべき存在と言えます。しかしその人類の罪を背負って十字架に架かってくださった主イエスキリストのゆえに私たちは生きるものとされるのです。

聖書要約
さあ集まって祈りなさい。裁きの時までまだ時間があります。その日が来るまでに謙遜に神の掟を従いなさい。そうすれがその日に守って頂けるかもしれない。
ガサ、アシュケロン、アシュドド、エクロンなどのペリシテの町も根こそぎにされます。海岸地は牧草となりユダの部族が家畜を飼い、アシュケロンの家に入って憩います。主なる神が彼らを憐れみ回復してくださるからです。イスラエルの主はお語りになります。モアブとアモンは主の民をののしったので、ソドムとゴモラのように滅ぼされます。とげのある草が生え、人が住めない地になります。エチオピアも剣で滅ぼされます。アッシリアを滅ぼし、大都市ニネベを不毛の地とします。そこを通る者はとても信じられないといった顔で首を振るのでした。

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【聖書】救い出すことができる者は・ゼファニヤ書1章

ゼファニヤ書1章・・・・・・彼らを救いだすことができるものは
「金も銀も彼らを救い出すことはできな」1:18

くぅ〜ママのちょっと一言
ゼファニアはユダがバビロンに滅ぼされる数十年前に活動した預言者です。ゼファニアの預言でヨシア王は奮起して宗教改革を始めます。しかしそれは遅すぎたのでした。ゼファニアは主に日が近いことを預言します。主の裁きは金や銀を持っていても何の役にもたたないのです。「天国に宝を積む」という言葉がありますが、天国に蓄えられる宝はこの世の金や銀などの宝とは違います。悲しんでいる人の傍らに寄り添ったことや、困っている人に何か私に出来ることがあるだろうかと思い巡らすことや、時間をさいて、誰かのために何かをすることや、主に執り成しの祈りをささげることや、人を責めずに許すことや、また赦されたことに感謝すること…これらのことが天に蓄えることのできる宝ではないかと思うのです。

聖書要約
これはユダのヨシア王の治世に主からクシの子ゼファニアに示されたお告げです。ゼファニアはヒズキヤの4代目に当たります。
グッド主の怒りの日
主はお語りになります。私は地にあるものを一掃する。人も動物もだ。悪人やバアルの礼拝者を滅ぼす。彼らは屋上で月や星を拝み、モレクに礼拝を捧げている。そんな者たちや以前は私を礼拝していたのに今はしていない者や、私を愛そうとしない者を滅ぼす。静まってみ前に立て。主の日が近づいている。ユダの指導者たちや王たち、異邦人の服を着た人たちをすべて罰する。異教の習慣に従う者や盗みや人殺し、詐欺、暴力、悪徳で満たす者を罰する。警告の叫びが近づいてくる。エルサレムの住人よ、泣き叫べ。強欲な者たちは滅ぼされるのだ。
ともしびをかざして町の隅々まで罪人を捜す。彼らの財産は奪われ、家は荒らされ、新しい家に住むことが出来ず、植えたぶどう畑のぶどう酒を飲むこともできない。その恐るべき日は近いラッパが吹き鳴らされ、城壁が崩れる。あなたたちの血が振りまかれる。金も銀も救い出すことはできない。神はユダの全民をたちまちのうちに滅ぼされるからだ。

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【聖書】主はわが力・ハバクク書3章

ハバクク書3章・・・・・・主なる神はわが力
「しかし、わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る。わたしの主なる神は、わが力」3:18

くぅ〜ママのちょっと一言
ハバククの賛美であり、信仰の告白です。世の中がどんなになろうとも、威光の光を放ち、世界を支配され、疫病をも従わせる主の力を信じますと力強く歌います。思い通りにならない時こそ、力強く信仰を告白できますように。また順調な時は両手を天に広げて主に感謝することができますように。

聖書要約
これはハバククが主のみ前で歌いあげた勝利の祈りです。主よ私はあなたの名声を聞きました。そしてあなたが行おうとしておられることを知り、畏れを持ってみ前にひれ伏しています。早く私たちを助けてください。主はシナイ山から砂漠を横切って来られます。何と素晴らしいお方でしょう。天と地に満ちる威光の光は日の光のようです。主は畏れるべき力を秘めておられます。疫病が前を進み、熱病が後に従います。主は国々を見渡し、揺り動かされます。山々でさえ打ち砕き、地を平らにされます。その力は永遠です。クシャンやミディアンの地も揺さぶられます。
主は馬に乗り、救いの戦車を駆って来られます。言葉の矢で誓いを果たされます。山々はあなたを見て震え、日と月はあなたの輝きですっかりぼやけてしまいます。主は怒りをもって国々を踏みつけ、ご自分の民を救うために悪人どもを滅ぼされます。あなたは馬に乗って逆巻く海を渡られます。その響きに私は震えあがりました。静かに待ちましょう。私たちを苦しめたものに苦しみがやってくるのを。いちじくやオリーブの木が枯れて実をつけなくなっても、家畜小屋が空っぽになっても、私は主の力を信じます。主は私の力です。私を鹿のように速く走れるようにしてくださるのです。

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【聖書】信仰によって・ハバクク書2章

ハバクク書2章・・・・・・信仰によって生きる
「しかし、神に従う人は信仰によって生きる」2:4

くぅ〜ママのちょっと一言
ハバククは大切な主の言葉を預かります。創世記15:6にも「彼は主を信じた。主をそれを彼の義と認められた」とありますが、ここでも「神に従う者は生きる」と主は語られました。人の中で正しい人はいません。「義人はいない。ひとりだにいない」です。人の本質は自己中心ですから(聖書ではこれを罪と言います)、行動によって義とされることは不可能です。人が義とされるのは罪を持つ身でありながらも、ただ主を信じる信仰によって、神が義と認めてくださることで、私たちは義とされるのです。これが聖書の救いです。

聖書要約
グッド主の答え
見張り台に立って主がどう答えてくださるか見ていると、主の声がしました。「板に私の言うことを書き記しなさい。一目で見えるように大きくはっきり書きなさい。私がしようとしていることは今すぐ起こらないが、ゆっくりと確実に実行される。大切なことは「自分だけを信頼し、高慢に生きる者は滅びる。しかし神に従う者はその信仰によって生きることが出来る」ということだ。
富を得ておごり高ぶる者はその富によって裏切られる。まるで死や地獄のように富はかき集めても飽き足ることはない者のようだ。人々は彼らを笑い物の種にする。不正な利益をむさぼる者は呪われる。石垣の石や建物の梁があなたを訴えるだろう。流血と強奪で得た財貨で町を築きあげても全ては水の泡。近隣の国をよろめかせ、屈辱を与える者は、やがて自分が辱めを受けるようになり、主に裁かれる日がやってくる。人間の造った偶像を拝んで何の得があると言うのか。木で作って金や銀をかぶせているだけでそこには命がない。神は聖なる神殿におられる。全地よ、み前に静まりなさい。

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【聖書】何に対して祈るのか・ハバクク書1章

ハバクク書1章・・・・・・何に対して祈るのか
「それゆえ、彼らはその網にいけにえをささげ、投網に向かって香をたいています」1:16

くぅ〜ママのちょっと一言
ハバククは南王国ユダの首都エルサレムはバビロンの攻撃を受けて陥落する直前に活躍した預言者です。彼は二つのことに悩みました。一つは神の民であるユダをなぜ敵の手に渡されるのか。もう一つはユダの罪よりもっと罪深いバビロンをなぜ罰しないのか。ハバククは神のことばをただ受け取るだけではなく、民に代わって神に訴えることで神から幻を通して答えを頂きます。
カルディア人は人を捕えるための網を神として崇めるのだとハバククは言います。「イワシの頭も信心から」八百万の神を信じる日本の文化の中で私たちも生きています。イワシの頭や岩や石で作った狐などに手を合わせるわけです。祈りは神との人格的な交わりと言われます。心から願ったり、感謝したり、時には訴えるような祈りであったりします。そしてその答えが色々な形で示されたりするわけです。形あるものの前で祈りたいと思う人もおられるかもしれませんが、祈りの真剣さから思うと形あるものに祈る方が私は違和感を覚えるのですが…

聖書要約
預言者ハバククに示された神の幻です。
グッド預言者の嘆き
神よ、あなたは私が助けを求めてもお聞き下さいません。わたしの周りにある労苦や不法、争いをいつまで見ていなければならないのでしょうか。律法は無視され、神に逆らうものが神に従う者をねじ伏せてしまうのです。
グッド主の答え
私が今しようとしていることを知ったらあなたはびっくりするに違いない。それはあなた方が生きている間に起こります。地上の新しい勢力としてカルディア人を興し、諸国を次々と征服させる。彼らの馬は豹より早く、凶暴さは日暮れの狼も叶わないほどだ。彼らはまるで砂を集めるように捕虜を集める。彼らは王や王子をあざ笑い、城壁に向かって土を積み上げていとも簡単にその町を占領してしまう。しかし彼らの罪は重い。その力は自分たちの神から与えられたと言っているからだ。
グッド預言者の嘆き
永遠におられる聖なる神様。あなたは私たちを地上から抹殺するためにこのような計画をお立てになったのですか。断じてそうではありません。罪を犯した私たちを懲らしめて正し道に導くためにカルディア人ンを起こされたのです。しかし私たちも悪いのですが、彼らはもっと悪いです。神はそれを見逃されるのですか。神に逆らう極悪な者どもが彼らよりましな私たちを痛めつけているのを見過ごされるのですか。私たちは捕えられた魚のようです。彼らは楽しんで私たちを釣りあげたり、網で捕えたりします。そして彼らは網を神として香を炊き崇めるでしょう。いつまでこんなことが許されるのでしょうか。

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【聖書】立ち向かわれる・ナホム書3章

ナホム書3章・・・・・・主が立ち向かわれる
「見よ、わたしはお前に立ち向かうと万軍の主は言われる。」3:5

くぅ〜ママのちょっと一言
近隣の国々を略奪し、人々を餌食にして勢力を拡大していったアッシリアの最期について書かれています。どんなに隆盛を極めても主の軍隊の前にはひとたまりもありません。ニネベの町の裁きの理由は宗教的なことより、軍事力への高ぶりと華美な暮らしぶりであったとのことです。自分の力を頼りにして力を増していく生き方は強そうに見えますが、とてももろいものです。状況の変化や天災、病気が襲って来れば築きあげたものなど一瞬にしてなくなってしまいます。自分の力に頼るのではなく、主の見守りと導きを頼みとして生きていきたいと思います。一日一日を精一杯生きることは命を賜った私たちの務めですが、その結果は命の主である神さまのみ手にゆだねて、気楽になることが信仰です。自分の力で生きることそのことが主のみ前には罪なのです。

聖書要約
流血の町、いつわりに満ち、略奪した者で満ち溢れているニネベの町は呪われよ。戦車がニネベの町に向かって進んでくる。その音のすさましいこと。剣と槍が光りどこもかしこも死体の山になる。こうなったのはニネベが主に敵対したからだ。見た目は美しい町だが、不誠実といつわりで諸国を惑わした。だから主の軍勢はニネベに立ち向かうと主は言われる。「ニネベがどれほど悪に満ちた町かを全世界に見せてやる」と。その様子を見て諸国の民は恐れ尻込みするが、その運命を悲しむ者はいない。エチオピヤやエジプトが味方したテーベの町さえ陥落し、その住民は奴隷として連れて行かれたのだから、ニネベの町などひとたまりもない。木をゆすって落ちてくる実を口にするかのように食べられてしまう。ニネベの軍隊は女性のように弱く頼りにならない。要塞を堅固にしても、その途中で火がニネベを焼き尽くすでしょう。商人が星の数より多く、巨万の富をこの町にもたらしたが、敵がいなごのように群がり、すべて持ち帰る。アッシリアの王よ、あなたの民は散らされ、国が受けた傷は癒えることはない。あなた方の最期を聞く者はみな喜ぶ。あなた方の悪に誰もが苦しんでいたから。

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【聖書】平和を告げる者の足・ナホム書2章

ナホム書2章・・・・・・平和を告げる者の足
「見よ、良い知らせを伝え、平和を告げる者の足は山の上を行く。」2:1

くぅ〜ママのちょっと一言
アッシリアの首都ニネベの陥落の様子が書かれています。獅子のように諸国をほしいままにしていたアッシリアですが、主の軍勢には勝ち目がありません。その良い知らせはユダに届きます。この「良い知らせ」は新約聖書では「福音」を伝える者となっています。ここでの「良い知らせ」とはアッシリアの支配からの解放ですが、私たちクリスチャンに与えられている「福音」はイエスキリストの十字架によって、罪の支配から解放されることを指します。この福音を告げる者の足が強められ、世界に伝えられますように。

聖書要約
グッドニネベの陥落
見よ、ニネベが陥落するという良い知らせをユダに伝える者の足は山の上を行きます。二度とユダは攻められることはありません。
ニネベに敵がやってきます。帯を締め直しなさい。
主は主の民を回復してくださいます。
ニネベの兵は多くの戦を経て血の色に染まった盾を持ち、緋色の軍服を身にまとう。戦車は太陽の光を浴びて火のように輝いて広場を突き進む。彼らは慌てふためいて戦闘の準備をする。水門が開かれたように敵がニネベの町に侵入してくる。ニネベの女王は通りに引き出されて奴隷となり、侍女たちは悲しみの声を挙げる。ニネベは漏れる水槽のように誰もが町を見捨てて逃げていく。銀や金は略奪され、破壊と後輩と滅亡に人々は立ちすくむ。
諸国の間で獅子のように振る舞い、諸国を略奪し、その民を奴隷としてきたが、主の軍勢が今、ニネベに立ち向かいます。彼らは二度と地上を支配できません。

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【聖書】熱情の神・ナホム書1章

ナホム書1章・・・・・・熱情の神
「主は熱情の神、報復を行われる方」1:2

くぅ〜ママのちょっと一言
主がナホムに与えられたアッシリアの滅亡の預言です。アッシリアはBC722年に北王国イスラエルを滅ぼします。そして南王国ユダにも勢力を伸ばそうとします。アッシリアの最盛期にあって、傲慢に振る舞うアッシリアに対して、ナホムは滅亡を預言するのです。考古学的発掘からニネベの洪水が滅びの要因になったことが証明されているようです。しかしそれをされたのは主であることを、ナホムはずっと以前に預言しているのです。聖書は人類がどのようにしたら豊かに幸せに生きていくことが出来るかが書かれています。もし私たちが聖書の教えからかけ離れた生活をしていたとしたら、そのことを知らせるのがクリスチャンの務めと言えるでしょう。

聖書要約
主はエルコシュに住むナホムに、アッシリアの首都ニネベに降りかかる幻をお示しになりました。
グッド主の怒り
主はねたむほどに自分の民を愛しておられます。だからその民を痛めつける者に報復します。主は忍耐をもって状況をみておられますが、ひとたび怒りを発せられたら、徹底的に滅ぼされます。台風や暴風がおこり、自然が破壊され、大地が崩れ落ちて住民は滅ぼされます。だれが憤りに燃える主のみ前に立つことが出来るでしょうか。主は私たちが困った時に身を寄せる場所です。主に信頼する者をご存知です。しかしその敵を洪水で一掃されます。ニネベの町よ、あなた方は主に対して何をもくろんでいるのですか。主はあなた方を滅ぼし尽くし、乾いた藁のように焼き尽くされます。このように主に刃向かうあなた方は何者ですか。あなた方がどんなに軍事力があったとしても私はあなた方を滅ぼします。私の民よ、あなた方をアッシリアの奴隷のくびびきから解放します。アッシリア王朝は終わります。偶像が取り除かれ、あなた方を葬ります。

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【聖書】罪咎・ミカ書7章

ミカ書7章・・・・・・罪咎を赦される主
「あなたのような神がほかにあろうか。咎を除き、罪を赦される神が。」7:18

くぅ〜ママのちょっと一言
ミカは政治社会の混乱、信頼を失った人間関係、家族の崩壊を挙げて、人間の罪の本質を吐露します。正しい人はいないのです。ミカが見たイスラエルは目に余るものがあったのでしょう。主の裁きは当然だと。しかし主はヤコブとの約束を忘れることなく、必ず祝福を与えてくださると言う言葉で預言の書を閉じています。私たちも今がどんなに闇の中にいたとしても、必ず主が光の方へと導いてくださることを心から信じることが出来ますように。

聖書要約
グッド民の腐敗
ああ悲しいことです。正しい者を見いだすのがこれほど困難なこととは。まるで収穫時期を過ぎたぶどうやイチジクを見つけるようなものです。正しい人は地上から消えてしまいました。彼らは人の命を狙い、悪事を働き、指導者は賄賂を求め、金持ちは私欲を肥やす。正しく見えている人も近づけば茨のようにとげとげしく、ねじ曲がっている。そんなあなた方は裁かれる日が来たのです。誰も信じてはいけません。敵が自分の家の中にいるようなものです。それでも私は主が救って下さるのを待ちます。
グッド新しい約束
敵よ。喜ぶのは早い。私は倒れてもすぐに起き上がります。闇の中にいても神さまが光となってくださる。私は罪を犯したので、主の怒りを負わなければなりません。その後主は私を敵の手から守り、彼が私たちにした悪の全てを罰して下さる。私たちを光の中に導いてくださる。敵はそれをみて恥いるのです。神の民よ、あなたたちの町は再建され、国境が広げられ、世界の人々があなたのもとに来ます。しかしその前に滅亡がイスラエルを襲います。
主よ、私たちを治めてください。羊飼いが羊の群れを牧するように
主はお応えになります「そうしよう。カナンの地を与えたように、エジプトから導き出したように、驚くべきみ業をしめそう。」と。世界が主のみ前でおののき、畏れ敬うようになるでしょう。罪を赦すことが出来る神が他にあるでしょうか。憐れみ深い主は、いつまでも怒りを燃やされるような方ではありません。以前ヤコブに祝福を約束してくださったように、私たちを祝福してくださいます。

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