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【聖書】エズラ記5章

エズラ記5章・・・・・・共にいて助ける
「神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。」5:2

くぅ〜ママのちょっと一言
預言者が主の言葉を携えてきました。工事を中断してしまったユダを励ますためです。それによって工事が再開しました。
クリスチャンはこの預言者のように主の言葉を携えて人々を励ますという使命が与えられているのだと思います。愛が忘れ去られたような社会の中に神からいただいた愛を届けることや、希望が見出せないような閉塞感ただよう若者に対して、「あなたは命を輝かせるためにこの世に送られてきたんだ」と伝えることや、主から裁かれるような生き方から主に喜ばれる生き方を示すことによって、社会を変えることが出来るのではないかと思うのです。

聖書要約
神殿の工事の開始
預言者ハガイとゼカリヤはエルサレムにいるユダの人々に向かって、主の神殿の工事を再開するように励ましました。するとユーフラテス川西岸の知事らが駆けつけてきて「誰が工事再開を許可したのか、工事をしている者の名簿を出すように」ととがめました。しかし神の目がユダに注がれていたので、工事は中断することなく続けられながら、ダレイオス王の返事を待つことになりました。
ダレイオス王への書簡
ユーフラテス川西岸の人々はダレイオス王に報告書を送りました。そこには神殿建築が順調に進められているとの報告と共に、この神殿建築はペルシャのキュロス王の命によって行われているとユダの民は言っているがそれが本当かどうか記録保管所を調べてほしいということが書かれていました。

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【聖書】エズラ記4章

エズラ記4章・・・・・・聖なる仕事を託された者
「わたしたちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちにではなく、わたしたちに託された仕事です。」4:3

くぅ〜ママのちょっと一言
元々そこにいた住人達は好意的に建築に関わらせて欲しいと言う意思表示をしたのだと思います。しかしそれが拒否されると、全く悪意を持った行動に変わったのです。この世の悪なる力はクリスチャンを神から離す事にやっきになっているという表現を聞いたことがあります。時には優しく友好的に、また時には激しく攻撃的に。まさしくそのような誘惑にユダの民はあったのです。主の神殿を建築するのにサマリヤなどの異教徒の民の協力を受けるわけにいきません。「この世と調子を合わせてはいけません」(ローマの信徒への手紙12:2)のみ言葉のように、この世の基準や損得で考えるのではなく、主が私に期待されていること、主が喜ばれることが何かを常に考えて、悪なる力に引っ張られないようにしなければならないと思います。特に主のご用をする時には悪なる力に要注意です。

聖書要約
工事の中断
ユダやベニヤミン以外の住民たちが、捕囚から帰ってきた民達が神殿の工事をしているのを見て「建築を手伝わせてください」と言ってきました。しかし彼らは「これは主から私たちに託されたことで、キュロス王からも命じられたことですから、私たちだけで建築します」と断りました。するとその住民たちはキュロス王に偽りの報告をしたり、議官を買収したりして工事の邪魔をしてきたのです。
アルタクセルクセス王への書簡
やがてアルタクセルクセス王が即位すると住民はエルサレムの人たちに対する告訴状を書き送りました。それは彼らが反逆と悪意を持って都を再建していることや、もし完成した時には年貢などを納めずに王に損害をあたえるであろうと言うことが書かれていました。
それを読んだ王は工事中止の命令を下します。それはダレイオス王の治世2年まで及びました。

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【聖書】エズラ記3章

 エズラ記3章・・・・・・献げる心の有り様
「人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。」3:13

くぅ〜ママのちょっと一言
イスラエルの民がエルサレムを離れて70年、そこには他の国の人々が住み着いていたのでしょう。気を使いながら主への献げ物をしたことが書かれています。主に献げものをするのにも肩身の狭い思いをしなければならなかったのです。そのような中で神殿の基礎が完成したのです。民達は大きな喜びに包まれますが、かつてソロモンの建てた神殿を知っている高齢の者たちは喜びの叫びではなく、嘆きの叫びだったと記されています。ソロモンの神殿の豪華さに比べ、帰還後に建てられた神殿は比較にならないほど小規模だったのでしょう。しかし主は豪華な神殿が献げられることを望んではおらません。レプトン2枚(わずかな金額)でしたが、自分の生活の中から精一杯心をこめて献げたやもめの献金を主は喜ばれたことがマルコによる福音書12:41に書かれています。献げる時は主からいただいた恵に感謝し、それに対して精一杯の喜びをもってお献げしたいと思います。自分の非力を嘆くのは主に対して不満を言っているような気がします。

聖書要約
礼拝の開始
第7の月に人々はエルサレムに集まり、祭壇を築きモーセの掟通りいけにえを献げました。彼らはその地の住民に恐れを抱きながらも、仮庵の祭りや朝夕の献げ物、安息日、新月の祭り、種々の祝祭日などを祝ったのです。それはまだ神殿の土台が出来る前のことでした。
彼らは神殿建築の準備も始めました。石工や大工を雇い、キュロス王の許可を得て、レバノンから過ぎを切り出してきました。
神殿の基礎
レビ人が現場監督にあたり、帰還してきた者たちは奉仕にあたりました。土台が完成した時、祭司は祭服を着てラッパやシンバルに合わせて「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と主を称えました。昔の神殿を知っている者たちは神殿の基礎を見て嘆きました。また多くのものは喜びの叫びを上げました。その声が入り混じって民の声は遠くまで響きました。

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【聖書】エズラ記1章

エズラ記1章・・・・・・主がキュロス王の心を動かされた
「この主がユダのエルサレムに御自分の神殿ん建てることをわたしに命じられた。」1:2

くぅ〜ママのちょっと一言
エズラ記はユダの人々がバビロン捕囚を終えてエルサレムに帰還することと、神殿建築がどのように進められたかが書かれています。エズラはエルサレム帰還と神殿建築において主の言葉を伝え、主に民の取りなしの祈りをし、ついには神殿を再び主に献堂することが出来ます。1章は捕囚の民がなぜ自国に帰還することができたのかが記されています。主がペルシヤ帝国のキュロス王を用いられてアッシリアの手からユダの人々を解放されたのです。捕囚の民として過ごした70年間でこのようなことが起るとは誰が想像したでしょうか。現代においても目に見えることに失望したり、力ある者に頼ったりしてしまいがちですが、たとえ思い通りにならない辛い状況であっても主が必ずそこから解放してくださることを信じたいと思うのです。

聖書要約
ペルシヤの王キュロスの布告
ペルシヤのキュロス王の治世1年のときに、主はキュロスの心に働きかけてエレミヤが預言した通りのことを行われました。キュロス王が国中に次のように布告したのです。「広大な領土を与えてくださった神は、私にユダの国エルサレムに神の神殿を建てよと告げられた。わが帝国にいるユダヤ人は直ちにエルサレムに帰り、神殿を建てるが良い。帰らない者は帰る者の費用を負担して、建築の為の献げ物をするが良い」と。こうしてユダ族とベニヤミン族、祭司レビ人などが、主から心を駆り立てられて帰途についたのです。
キュロス王はアッシリヤのネブカドネツァル神殿から自国の神殿に移した金銀の祭具をエルサレムに持って帰らせました。その数は5400にも及びました。


 

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【聖書】歴代誌下36章

歴代誌下36章・・・・・・歴史を支配される主
「主はかつてのエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、ペルシャの王キュロスの心を動かされた。。」36:22

くぅ〜ママのちょっと一言
ついにユダは主に立ち返ることなく、バビロンに捕囚の民として連れて行かれます。輝く神殿も破壊され、見事な祭具も持ちされ、エルサレムは廃墟となります。70年間の捕囚のことにはここでは触れられていませんが、時が満ちて、帰還するに至ったことが記されています。大帝国バビロンが滅んで、ペルシャ帝国の時代がやってきたのです。その王に主は働きかけられました。実は捕囚の民となることも、エルサレムに帰還することもエレミヤは預言していたのです。そのことはエレミヤ書で詳しく見たいと思います。このように見てみると主は歴史の支配者である事が分かります。世界の歴史はBC(Before Christ)「キリスト以前」と AD(Anno Domini)「主の日」で表されていますが、主は人類の歴史に大きく介入されているのです。であるならば主の御心を知る事は私たちの最重要課題と言えるのではないでしょうか。

聖書要約
ユダの王アハズ
ヨシアの死後その子ヨアハズが王となりましたが、エジプトの王は彼を退位させ、ユダに多額の税金を課しました。そしてヨアハズの兄弟のエルヤキムをヨヤキムと改名させて王としました。
ユダの王ヨヤキム
彼は25歳で王となり11年間王位にありました。彼は主の目に悪とされる事を行いました。バビロンのネブカドネツァルが攻めてきて、彼を捕らえてバビロンに連行しました。神殿の祭具も持ちさられました。
ユダの王ヨヤキン
彼は8歳で王となり、3ヶ月10日王位にありました。かれも主の目に悪とされる事を行いました。彼もバビロンに連れて行かれます。
ユダの王ゼデキヤとバビロン捕囚
彼は21歳で王となり11年間王位にありました。彼もまた主の目に悪とされる事をおこないました。預言者エレミヤの忠告も聞こうともしませんでした。ネブカドネツァルに忠誠を誓いながらも一方では反逆を企てました。主は繰り返し御使いを遣わされましたが、王はそれをあざ笑い、預言者を愚弄しました。
神はバビロンにエルサレムを攻めさせられたのです。老若男女の多くが殺され、神殿の祭具の全てはバビロンに持ち出されました。城壁は片っ端から壊され、宮殿に火がつけられました。そして生き残った者はバビロンに連れて行かれて、奴隷となりました。
このようにしてエレミヤの預言どおりのことが起ったのです。
それから70年の歳月が経ち、主はペルシャのキュロス王の心を動かして、ユダの人々に「エルサレムに帰還し、主の神殿を建てるように、主が共にいてくださるように」と言わせたのです。これもエレミヤの預言どおりのことでした。

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【聖書】歴代誌下35章

歴代誌下35章・・・・・・神に逆らってはいけない
「わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。」35:31

くぅ〜ママのちょっと一言
盛大な過越の祭りを祝った後の失敗です。ヨシア王はエジプト王を通して語りかけられた主の言葉を聞き取ることが出来なかったのです。主の言葉を聞き取るとは如何に難しいことでしょう。もともと主のみ前にへりくだって主の道を歩もうとし、そして過越祭りを祝ったヨシア王でしたが、その祝いの盛大さの中に傲慢な気持ちが頭をもたげたのかもしれません。ユダのみならずイスラエルの人々の心をも動かしたのです。飛ぶ取り落とす勢いのヨシアではなかったかと思います。そのようなときに人生の落とし穴があることを学びたいと思います。それにしても主の言葉をどのように聞き分けたらいいのでしょうか。それは主第一であり聖書的であること。弱い立場のものが大切にされていること。自分の心に平安があること。この3つのポイントは大切ではないかと思うのです。

聖書要約
ヨシアやエルサレムにおいて過越祭を祝いました。祭司やレビ人を任務につかせました。そして王は財産の中から羊や子山羊を3万匹、牛3千頭を提供しました。高官たちも進んで献げました。準備が整い、王の指示に従って祭司とレビ人がいけにえを屠りました。モーセの書に記されているとおり主に献げたのでした。そして人々にも分配しました。レビ人は奉仕におわれる祭司と自分達の食べる者も準備しました。また詠唱者や門衛にも準備したので、それぞれが持ち場を離れることなく祝うことが出来ました。このようにユダとイスラエルの人々が共に祝った事は歴代の王の中にはいませんでした
この後エジプト王ネコがカルケミシュを攻めようと上ってきました。ネコはヨシアに「あなたと戦う為に来たのではない。神が急ぐように命じられた。私と共にいる神に逆らってはいけません」と言ったのですが、ヨシアはその言葉が神から出たものと理解せず、王の服を脱いで変装して戦ったのですが、敵の放った矢に当たってしまいます。エレミヤはヨシアを悼んで哀歌を歌いました。

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【聖書】歴代誌下34章

歴代誌下34章・・・・・・ヨシアの宗教改革
「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました」34:15

くぅ〜ママのちょっと一言
このヨシアの行った宗教改革については列王記下22章に並行記事が書かれています。人々が平然と罪の生活を送っている時も、主の悲しみの怒りは消える事はないのです。ソドムやゴモラの町々もそうでした。ノアの時代の人々もそうでした。主の怒りは消えることはなく、火を持って、水を持って、また隣国の手によって、そのところに注がれるのです。現代の私たちの社会を見るとき、ソドムやゴモラとどれほどの違いがあるでしょうか。ただイエスキリストが十字架の上で主に執り成してくださっていることによって大きな恵の下で生かされていることを心に留めたいと思います。

聖書要約
ユダの王ヨシア
ヨシアは8歳で王となり、31年間王位にありました。彼は父祖ダビデの道に歩み、主の目に適う王でした。治世8年目に主を熱心に求めるようになり、治世12年目に異教の祭壇や偶像を取り除き、異教の祭司の骨をその祭壇で焼きました。主のための清めは南王国ユダのみならず北王国イスラエルにまで及びました。そして治世18年目に神殿の修理に着手したのです。神殿の入り口で工事のための献金が集められました。ユダの王達が荒れるに任せておいた神殿を人々は忠実に修理したのです。レビ人や祭司達も工事に関するそれぞれの役割を果たしました。
祭司ヒルキヤが献金のご用をしている時に古い巻物を見つけたのです。それはなんとモーセに与えられた主の律法の書だったのです。それが王の前で読み上げられたのですが、それを聞くや否や王は衣を裂きました。先祖が巻物に記されている掟を守らなかったので、主が怒っておられることが分かったのです。そのことで女預言者フルダに使者が遣わされます。フルダは主の言葉を伝えました。「書に書かれている全ての呪いは実現する。彼らがわたしを捨てて。異教の神に心を寄せたために、わたしの怒りはこの所に向かって注がれ、消える事はない。しかし王が心から悲しみ、神の前に謙遜になったので、王の祈りを聞こう。ヨシア王の存命中は災いを下さない」と。王は全長老を招集し、心を尽くして、精神を尽くして、巻物に記されていることを守ることを誓いました。

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【聖書】歴代誌下33章

歴代誌下32章・・・・・・天に助けを求め叫んだ
「ヒデキヤ王と預言者、アモツの子イザヤはこの事のために祈り、天に助けを求めて叫んだ」32:20

くぅ〜ママのちょっと一言
マナセ王の主への背信行為の数々が列挙されていますが、心からの悔い改めによって主から赦しをいただいたことが書かれています。歴代誌の史家は悔い改めの大切さを物語っているようです。私たちは清く生きようと願っても言葉において、態度において、心において、罪を犯してしまいます。悲しいこの現実のなかで、悔い改めることによって赦される道がある事はなんと幸いなことでしょう。「あなたの罪は赦された」十字架の上からこのように宣言してくださるイエスキリストを仰ぎ見つつ赦された恵に感謝して生きて行きたいと思います。

聖書要約
センナケルブの攻撃
歴代誌下33章・・・・・・神の前に深くへりくだったマナセ王
「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり、祈り求めた」33:12
ユダの王マナセ
マナセは12歳で王となり55年間王位にありました。彼は異教の習慣に倣い、主の目に悪とされることを行いました。アシュラ像を作りバアルの祭壇を築き、天の万象にひれ伏し、わが子をいけにえとし、占い、まじない、魔術、口寄せ、霊媒など主の怒りを招くありとあらゆることを行ったのです。主はアッシリヤにユダを攻めさせ、マナセは青銅の足かせで繋がれてバビロンに連れて行かれたのです。そこでマナセは先祖の神のみ前に深くへりくだり、祈り求めたのです。主はその祈りを聞いてくださり、王は再びユダに帰ることが出来ました。そのことでマナセは主に立ち返り、異教の神々や祭壇を国中から取り除き、主に和解と感謝の献げものをしたのです。マナセの死後はその子アモンが王となりました。
ユダの王アモン
アモンは22歳で王となり2年間王位にありました。アモンは主の目に悪とされることを行いました。父マナセのように悔い改めることもありませんでした。アモンは家臣たちの謀反によって殺害されます。しかし国の民は謀反を起こした者たちを殺し、アモンの子ヨシヤを王としました。

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【聖書】歴代誌下32章

歴代誌下32章・・・・・・天に助けを求め叫んだ
「ヒデキヤ王と預言者、アモツの子イザヤはこの事のために祈り、天に助けを求めて叫んだ」32:20

くぅ〜ママのちょっと一言
ヒゼキヤ王はアッシリヤと戦って勝利した後病気になりますが、その事は列王記下20章に詳しく書かれています。主に守られ、癒され、赦され、主から豊かな財産を与えられたヒゼキヤ王ですが、結局バビロンからの使者の前でとった態度は謙遜とは程遠かったのです。後にユダはバビロンに財産を奪われ、民は捕囚の民として連行されるのです。
人間の罪の本質は自己中心、傲慢と聖書は私たちに教えています。常に謙遜に生きることは如何に難しいことかと思います。私たちが自己中心ではなく、他者中心、神中心に生きること、そして神のみ前に謙遜に生きることができれば、争いのない真に平和な世界が実現することでしょう。

聖書要約
センナケルブの攻撃
アッシリヤのセンナケルブ王がユダの町を攻め取ろうとした時のことです。ヒゼキヤ王はまず町の外の水をせき止めました。(長い水路を城内に引き込んだ) そして城壁の修理武器の調達をした上で民に言いました。「アッシリヤの大軍を見ても怖気はならない。われらと共におられる神は敵の力より強い」と。センナケルブは使者を遣わしてエルサレムにいる民に言いました。それは「神が助けてくださるというヒゼキヤ王の言葉など信用してはいけない。周辺のどの国の神も我々の手から救う事はできなかった。お前達の神も同様だ」と。
ヒゼキヤ王と預言者イザヤは主に祈りました。主はその祈りを聞かれ、アッシリヤの軍を絶滅させられたのです。王は面目を失って帰国した時に実の息子の手で暗殺されます。このようにして、ユダはアッシリヤの手から守られます。そのことで周辺の国からも尊敬を集めるようになり、多くの贈り物が届いたのです。
その後王は重い病気にかかりましたが、主の哀れみで癒されます。ところが王は思いあがって感謝を献げなかったのです。そのため主の怒りが下りますが、王が悔い改めことで、それ以来主の怒りは下る事はありませんでした。主は極めて豊かな財産を王に与えられました。
しかしバビロンから使者が来た時にヒゼキヤ王がとった態度を主はご覧になっていました。ヒゼキヤ王の死後その子マナセが王となりました。

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【聖書】歴代誌下30章

歴代誌下30章・・・・・・すべての人が主に立ち返るように
「急使は王と高官が託した書簡を持ってすべてのイスラエルとユダを巡り、王の命令どおりこう言った」30:6

くぅ〜ママのちょっと一言
もともと主の民であったイスラエルとユダですが、二つに国が別れてしまいます。そしてイスラエルはアッシリヤの侵略に遭い、多くのものはアッシリヤに捕囚として連行されていたのです。そのイスラエルに対してヒゼキヤは主に立ち返れと声をかけました。時には戦うこともあったイスラエルとユダですが、ヒゼキヤは兄弟であるイスラエルの救いも望んだのです。自分さえ助かれば…と思いがちですが、全ての人が主に立ち返り、主に救われることを、主が望んでおられることに私自身の焦点を合わせたいと思います。

聖書要約
過越祭
ヒゼキヤ王は長らく途絶えていた過越祭を執り行うことにしました。身を清めた祭司の数が足らなかったことや民を呼び集めるのに費やす時間などを考えて2月に行うこととなりました。王は北王国イスラエルと南王国ユダに次のように呼びかけたのです。「主に立ち返れ。そうすれば主の怒りがあなた方から離れるでしょう。捕囚として連れて行かれた兄弟たちも主が戻してくださる」と。急使はエフライムやマナセなどイスラエルの町々を巡りましたが、人々は冷笑してさげすんだのです。しかしイスラエルの中でもアシェル、マナセ、ゼブルンから謙虚になってエルサレムにやってきた人たちもありました。ユダの人々は神が働かれたので民の心が一つのなりエルサレムに集まってきました。2月にエルサレムに集まった多くの民とともに徐酵祭が行われました。それから民たちは異教の祭壇などを全て取り去りました。14日には過越のいけにえを献げたのです。民の多くは身を清めずにいけにえを食べてしまいました。ヒゼキヤ王は主に執り成しの祈りをしました。「彼らは清めの規定に従わなかったのですが、主を求めようと決意しているのです」と。主はヒゼキヤの祈りをお聞きくださいました。レビ人と祭司は楽器を鳴らし主を讃美しました。7日間にわたって祭りの食事にあずかったのですが、もう7日間祭りを行うことを決め、全会衆は喜び祝いました。ヒゼキヤ王は雄牛千頭、羊7千匹、を提供、高官たちも雄牛千頭、羊1万匹を会衆に提供しました。ソロモン以来このようなことが行われた事はありませんでした。この声は主に聞き届けられたのです。

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