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【聖書】2コリント12章

  競灰螢鵐箸凌徒への手紙12・・・・・・弱さの中の強さ

「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」12:9

 

 

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロは誇ることが無益なことである事は分かっていましたが、コリントの人々が偽使徒に惑わされることなく信仰を固く保つ為に誇らざるを得なかったのです。そして一つの体験をパウロは証します。
それは14年前に起ったパウロの経験です。次に出てくる楽園というのも第三の天と同じことだと考えていいようです。「三」は至極とか完全を表すと考えるそうで、「神のみ座」まで引き上げられたということ。自分の事として語るとあまりにも傲慢に聞こえるので「一人の人」と言う表現をしたとのこと。このような経験こそ自慢するに値しますが、私は誇ろうとは思いませんとパウロは言います。むしろ弱さを誇るとパウロは言います。パウロが言う「とげ」が何なのか、諸説あります。眼病、てんかん、らい病、マラリヤ…しかしはっきりとは分かっていないようです。

「わたしが弱い時に一番強い。」という「逆説」の真理の鍵は「主にあって」ということです。わたしの弱さは「主にあって」強くされます。「主が働いてくださる」ことによって悲しみが喜びになり失望が希望に変わり憎しみが愛に変えられ、病や苦痛や失敗など取り去りたいような経験が自分の人生になくてはならない経験になります。また弱さや失望の中で主をより身近に感じるという経験をされた方も多いのではないでしょうか。それが信仰を揺るぎないものにされる一つの方法だと思います。もちろん順調な時や弱い時でないときにも主に出会う事はできると思います。「いつもだれかが」私の大好きな絵本です。幼い時からずーっと天使が守ってくれているというストーリーです。主に感謝する心があれば、すぐそばで守っていてくださるイエスに出会う可能性はいつでもあるのです。

聖書要約

主から示された事

誇るなんてバカげたことだと思いますが、わたしが見た幻のことについて聞いてください、14年前のことですが、わたしは第三の天にまで引き上げらたのです。肉体のままか霊の状態だったかは定かではありません。神のみがご存じです。こんなことこそ誇るべきことだと思います。しかしわたしは誇ろうとは思いません。わたしが誇ることと言えば、わたしは弱いこと、そんな弱いわたしを神が、神の栄光を現わすために使って下さることです。また神も私が誇ることがないようにサタンを使って私に肉体のとげを与えられました。わたしは三度(何度も)取り去って欲しいと祈りましたが、それに対して神は「わたしの恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。わたしの弱い所に神が宿って下さるなら、弱さこそ誇るべきでしょう。わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりの状態にあっても満足しています。「なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです。」

コリントの教会に対するパウロの心遣い
わたしは誇ってしまい、愚かなものになってしまいました。本当ならあなた方から評価して欲しかったのに
のです。わたしが再び訪問した時にキリストの愛から遠く離れてしまって、争い、ねたみ、怒り、党派心、、そしり、陰口、高慢、騒動などが決してありませんように。みだらな行いやふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしが嘆き悲しむようなことがありませんように願います。あなたがたが信仰によって作り上げられることを願っている。わたしは誇るような者ではないですが、あの偽使徒たちには引けを取るような事はありません。わたしはあなた方に忍耐強く主を証してきました。他の教会とあなたがたに対してしたことが違う事はわたしが負担をかけなかったことです。この不当な点(献金の恵のチャンスをあなた方から奪ってしまった)を赦してください。でも子どもを養うのは親の務めですから。わたしは自己弁護しているのではなく、

 

 

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