マナ's Blog

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【聖書】夕べになっても光が・ゼカリヤ書14章

ゼカリヤ書14章・・・・・・夕べになっても光がある
「そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある」14:7

くぅ〜ママのちょっと一言
エルサレムに対する諸国の攻撃の後、主が顕現され、新たになったエルサレムで世界を統治される。諸国からエルサレムに礼拝に訪れるようになる。また神殿祭儀にまつわる聖と俗の区別がなくなり主に礼拝を捧げるかどうかだけが問題となると書かれています。またエルサレムは霊のエルサレム、すなわち教会と解釈されるとのことです。大変理解が難しい個所とのこと。しかしその日には主の輝きによって光を頂けるので、もはや太陽や月の輝きは必要なくなります。夕暮れでもなお光があるのです。また律法的ではなく、自由に礼拝を捧げることができるようになるなど、希望に満ちたものであることが伝わってきます。

聖書要約
見よ、主の日が来る。その日主は諸国を集め、エルサレムを攻めさせる。都は陥落し、半分の者は奴隷となって連れさられ、半分の者は廃墟に残される。その時、エルサレムを攻める諸国と戦われるために主が来てくださり、オリーブ山に頂きに立たれる。すると山は真っ二つに分かれ、町に通じる谷が出来る。そこを通って逃げることが出来る。主なるみ使いと共にあなたの側に来られる。その日太陽も月も星も輝かなくなる。それでも昼間が続き、夕暮れでもなお光がある。いのちを与える水がエルサレムから流れ出し、夏も冬も絶えず流れ続ける。このようにして神は全地を支配される。その時、他の神々は退けられる。全地が広大な平野となり、エルサレムだけが高台となり、ついに安心して人々が住めるようになる。主はエルサレムを攻撃した諸国を伝染病で苦しめ、金銀が押収される。この災いの中で生き残った者が毎年、主を礼拝するためにエルサレムに上るようになる。礼拝をするためにエルサレムに来ない者はみな罰せられる。その日はすべての器は聖なるものとなり、礼拝に来る者は捧げものを煮るためにどの容器でも自由に使える。神殿には商人はいなくなる。

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