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【聖書】ローマ6章

ローマの信徒への手紙6章・・・・・・罪の支払う報酬
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」6:23

くぅ〜ママのちょっと一言
クリスチャンとはイエス・キリストと霊的に一体とされた者であり、罪から解放され、新しい命に生きる存在です。そのことをパウロは3つのたとえから説明します。1つはバプテスマのたとえから、2つ目は奴隷のたとえから、3つ目は婚姻のたとえから語られています。(3つ目は7章に書かれています)バプテスマを受けて罪の支配から自由になるということは、こんなふうに想像すると分かりやすいかもしれません。罪の操り人形だったのが、バプテスマを受けることで、その糸が全部切れて自由な身になります。そこは神さまが支配される場所なのです。そこでは神様が喜ばれる生き方が、私の喜びとなります。神様の支配は罪の支配のようにあやつり人形のように糸でつながれません。自由なのです。自由だからまた、以前のように罪を犯してしまうときもあります。でも神様の前に悔い改める自由も与えられています。罪の糸で縛られていないということは、永遠の命を頂いているということ。天国に行く時に、罪の糸で引っ張られて行けない…なんてこともないのかもしれません。

聖書要約
グッド罪に死に、キリストに生きる
「罪の増したところには、恵はなお一層満ち溢れるなら、恵みを多く受けるために罪の中に留まり続ける方がよいのでしょうか。そんなことは決してありません。クリスチャンはバプテスマを受けてキリストイエスとつながった時にあなた方の中にある罪の支配力は無効になってしまったのです。あなた方の古い邪悪な欲望はキリスト共に十字架につけられました。そしてイエスの復活されたのと同じように私たちも新しい命を頂いたのです。バプテスマは罪の中にいる自分がイエスとともに死に、新しい命を頂いて、キリストイエスと結ばれて、神に対面して生きるということです。だから、自分の身体を罪から離れさせて、良いことをする為の道具として神にささげなさい。バプテスマを受けたものは律法の支配ではなく、恵の下にいるのです。
グッド義の奴隷
では恵の下にいるなら、罪を犯していいのでしょうか。決してそうではありません。罪の奴隷として生きるか、神の奴隷として生きるかどちらかなのです。奴隷であるか自由の身であるかではなく、何に対して奴隷なのか(何に従うのか)ということが問題なのです。あなた方はかつては罪の奴隷でしたが、今は罪から解放されて、神の教えに心から従う者になりました。そして罪に従う奴隷は死にいたり、神に従順に仕えて生きる事は義にいたるのです。「義に対して自由な時(罪の支配下にいる時)はあなたはどのような実を結んだでしょうか。恥ずかしいと思うような実しか結ばなかったのではないでしょうか。その行き着くところは死です。一方、神の奴隷として生きるとき私たちは聖なる実を結ぶのことができ、その行き着くところは永遠の命です。罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

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