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【聖書】2コリント5章

競灰螢鵐箸凌徒への手紙5章・・・・・・永遠のいのちを生きる
「だからキリストと結ばれている人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」5:17

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロは外なる人、すなわち肉体の命と、内なる人、すなわち復活の永遠の命について語ります。外なる命が衰えても内なるいのちが勇気や希望を失わないのはイエスキリストの復活のいのち永遠のいのちが神によって与えられているからだと語ります。それが事実であることを私たちは、多くの犠牲的な生き方をしたクリスチャンを通して知らされています。三浦綾子作「塩狩峠」またマザーテレサやシュバイツァー博士の偉業、黒人差別運動に倒れたキング牧師、その他そのような生き方をした多くの先輩達の話を、折りに触れて聞きます。それらは滅びる肉体の命で生きているのではなく、主から新しい命を頂いて生きている者の生き方に他なりません。キリストと結ばれたら、古い私はなくなり、全てが新しくなるのです。とは言え時々古い自分に戻っていることを感じることがありますが、その度に、心を天に向けて新たな命を頂きたいと思います。肉体が滅んでも私たちには永遠の命が与えられるのです。人は病気や苦しみがあり、やがて死を迎えますが、死の後もっと輝かしい世界があるのです。

聖書要約
地上の住みかである幕屋が滅びても(肉体は死んでも)、神による建物が備えられています(永遠の命が与えられています)。それは神の手で作られた永遠に住むことが保証された住みかです。天から与えられる輝かしいいのちを、着物をまとうように頂きたいと切に願っていながら、この地上での肉体の苦しみにもだえているのです。だからと言って、死んで体のない状態になりたいとは思いません。死ぬべき体のまま、その新しいいのちに呑みこまれたいと思うのです。そうなるように神はわたしたちを召して下さいました。その保障として聖霊なる神の力をクリスチャンは与えられています。わたしたちは確信を持って天上の体を待ち焦がれています。この肉体で地上において過ごしている時は、天の住まいから離れていることは知っているのです。しかし、信仰により天の住処を見ているので、わたしたちは強く生きることができます。むしろ体を離れて主の元に住むことを望む気持ちもありますが、体を住みかとしていても、体を離れて天を住みかとしていても、私たちの目的はただひとつ、いつも主に喜ばれることです。なぜならいずれ全ての人はそれぞれの生き方によって裁きの前に立ち、それぞれの報いを受けます。
グッド和解させる任務
私たちクリスチャンは主を恐れる厳粛な気持ちがあります。だから他の人にもそれを知らせようと熱心になります。それは本当にその人を思う純粋な気持ちからであることは神さまが一番存知です。あなた方にもそのことを知ってほしいのです。わたしがまた自己推薦しようとしていると思わないでください。私たちの動機が正しく、誠実である点をあなた方に誇らせてください。それによって、外見ばかり誇って心の中が偽りだらけの人に対抗できるようになってほしいのです。自分の事をこのように言うのは気が狂っているのでしょうか。もし気が狂ったように見えるのであれば、それほど熱心に主のために働いているということでしょう。もし正気のように見えたのなら、私ができる限り冷静に思いやりをもってあなた達に伝えた結果でしょう。キリストは私たちのために死なれました。そのキリストを信じる私たちは、私たちの自我に死に、復活されたイエスキリストのために生きるものとされたのです。「だからキリストと結ばれている人はだれでも新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」のです。神はキリストを通して神とこの世、神と私たちを和解させてくださいました。そして和解の言葉を人々に知らせるように、私たちクリスチャンに託されました。キリストが私たちの罪をご自分の罪としてくださいました。そのことによって私たちは神さまに義とされたのです。

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