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【聖書】2コリント1章

競灰螢鵐箸凌徒への手紙1章・・・・・・苦しみの中の感謝
「わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります」1:6

くぅ〜ママのちょっと一言
第汽灰螢鵐箸亮蟷罎鮟颪い晋紂▲僖Ε蹐魯┘撻修再びコリントの教会に問題が起ったことを聞きます。そのことに関してパウロは涙の手紙を書いてテモテに託しました。その後パウロはエペソでの働きを終え、伝道の有望地トロアスに行きましたが、コリントの教会の成り行きが知りたくて、トロアスを後にして、マケドニアに行きます。コリントから帰って来たテモテと会うためでした。テモテからコリントの教会が悔い改めたという朗報を聞いて、マケドニアから書いた手紙がこの手紙です。またパウロがコリント訪問の計画を変更したことで、かなり批判的に言っている人たちがおり、その人たちに弁明します。
6節から7節の文章は複雑に感じますが、教えられる箇所です。「わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります」たとえば、「病気という苦難を通して健康のありがたみが分かる」と言いますが、クリスチャンはそれだけではなく、病気をしたからこそ、病気の人の苦しみを理解することができるようになったことを感謝すると共に、病気、苦しみ、悩みの時に主に慰められるという恵みに感謝することができるのです。

聖書要約
グッド挨拶
御心によって使徒とされたパウロと、信仰の友であるテモテからコリント、アカイヤ州に住む人々へ、神と主イエス・キリストがあふれるほどの祝福と平安を注いでくださるように。
グッド苦難と感謝
神は私たちが苦しみに遭っている時、素晴らしい慰めを与えてくださる方です。それは苦しんでいる人に、私たちが神さまから受けた慰めと助けを与えることができるようになるためです。苦しめば苦しむほど、主の慰めは増し、苦しみに耐える力も与えてくださいます。わたしはアジア州で大きな苦難に遭い、生きる望みも失ってしまいました。しかしそれを通してそのような状況のなかで神に委ねることを、そして必ず神は救ってくださることを知りました。これからも主は救って下さるに違いありません。それを見たあなた方がもっと神に感謝を捧げてくれるようになるのです。
グッドコリント訪問の延期
私はなにをするにも、特にあなた方に対しては人間的な思いではなく、神の恵みの下に行動してきました。私はあなた方に真心をこめて、はっきりとわかりやすく書いてきました。あなた方は私についてある程度理解しているのですから、私が主イエスの再臨に際してあなた方を誇りに思うように、あなた方も私についても誇りに思ってもらいたいのです。
このように確信してもう一度あなた方のところに行く計画を立てました。訪問の変更については決して軽はずみにしたことではありません。主イエスが「いいえ」のつもりで「はい」と言われるお方でないように、わたしの「はい」も本当に「はい」なのです。なぜなら私に福音を伝える使徒として任命してくださったのは神であり、私の心に聖霊を遣わしてくださったのも神であり、私の心に聖霊の力が注がれているのは、私が神のものである証拠です。そして訪問の計画の変更はあなた方を欺こうとしたものではありません。あなた方を厳しく叱りつけるような悲しみの訪問ではなく、喜びの訪問にしたかったからです。

 

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【聖書】1コリント16章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙16章・・・・・・愛に根ざして行う
「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛をもって行いなさい。」16:13・14

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロはエフェソでこの手紙を書いています。五旬祭まではエフェソに滞在し、その後マケドニア経由でコリントに行く宣教計画をこの手紙で伝えています。この最終章では、コリントの教会からの質問の一つである、エルサレムの教会への献金につてパウロは答えました。パウロはガラテヤの諸教会にも既に献金の依頼をしていました。それには4つの目的がありました。一つはエルサレムの経済を支えるため、またユダヤのクリスチャンから受けた霊的恵みへの感謝を現わすため、そしてパウロがエルサレムのクリスチャンと交わした約束を守るため、なによりも使徒の建てた教会と異邦人の教会が一致することをパウロは願っていたのです。
パウロがコリントの信徒に宛てた言葉は相当きつい口調であったと思われますが、愛に根ざしたものでした。そのような心の底にある愛がすぐには相手に伝わらないことがあります。浅い関係ならそれなりに関係が結べても、本当に親身に思う相手に思いが伝わっていないと感じる時ほど辛いことはありません。本当に人間関係は難しいです。そのような時、主が執り成して下さるように祈ることができます。また人には理解されなくても、神様がご存知だということで心に平安を保てることができます。

聖書要約
グッドエルサレム教会信徒のための募金
エルサレムのクリスチャンへの献金についてですが、日曜日ごとに、各自が1週間に得た収入に応じて献金するようにしておきなさい。私が行ってから集めるようなことがないように。そちらについてからあなた方の中から信頼できる人を選び、手紙を添えて、エルサレムに派遣しましょう。私も同行する方が良ければそうします。
グッド旅行の計画
私はまずマケドニア経由でそちらに行きます。そしてコリントには立ち寄るというようなことはしたくありません。冬を越すくらい長期に滞在したいと思っています。そしてあなた方に見送られて次の目的地に向かうつもりです。ただ、五旬節が終わるまではエペソにいます。ここで福音を伝えるための門戸が広く開かれているからです。しかしそれだけにまた敵対する者も大勢いるのですが…
この手紙を託すテモテを歓待してやってください。そこでのすばらしい経験を胸に私の所に帰って来ることができるようにしてやってください。わたしはアポロにもそちらに行くように勧めたのですが、彼はそれが御心と思えなかったようです。良い機会があれば行くでしょう。
グッド結びの言葉
目を覚ましていなさい。何事にも愛を持ってしなさい。とパウロは言います。そしてステファナ、フォルトナト、アカイコ、アキラ、プリスカなどすばらしい働きをした人たちを重んじ、仲良くしなさい。この手紙の最後の言葉は私が自分で書きます。「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ来たりませ)。主イエスの恵みがあなた方と共にありますように。

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【聖書】1コリント15章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙15章・・・・・・キリストの復活にあずかる
「キリストが復活しなかったのなら…あなた方の信仰も無駄です。」15:14

くぅ〜ママのちょっと一言
コリントの人たちの中には死者は復活しないという人がいました。それに対してパウロはまず信仰の基本である、キリストの贖罪の死、葬り、復活、顕現(使徒たちを始め多くの人に復活の体を現わされた)から説明します。また死者の復活を信じていない人もキリスト復活は信じていたのですが、死者の復活の否定はキリストの復活の否定になり、それらの復活を否定するなら、私たちの信仰は空しいとパウロは言います。そして最後の時が来たら、キリストの属する者は一瞬にして朽ちない新しい体に変わり、人類の最後の敵である死に勝利する時であるとパウロは教えました。
人生は選択だと思います。いのちがどこから来て、どこに行くのかということを、聖書が教えることを信じて生きていくのか、それ以外の考えを信じて生きていくのか、また命は終わればそれまでと思って生きていくのか、「その日」が来ることに希望をおいて生きていくのか、それぞれが考えなければならないことだと思います。そしてその答えは自分の死または復活と同時に必ず与えられます。

聖書要約
グッドキリストの復活
私が皆さんに知らせた福音についてもう一度言います。福音を受け入れ、今も信じるなら、この福音はあなた方を救ってくれます。最も大切なことは、キリストが私たちの罪のために死なれたこと。葬られたこと。3日目に復活されたこと。そしてその復活の主は多くの人に現れたことです。そんな経験をした人は今尚多く生きており、クリスチャンを迫害していた、クリスチャンと呼ばれるような資格のない私にも現れてくださいました。その恵で生きている私は、主のためにどの他の使徒よりよく働きました。というより神が私の内で働かれたのです。
グッド死者の復活
しかしあなた達の中で復活を信じない人がいるのはどうしてですか。もし復活がなければ、伝道する事はむなしいし、信じる事は無駄です。復活を見たと言って、それを信じている使徒達はうそつきになるし、私たちの罪はそのままの状態で神の救いを信じる事は惨めなことです。しかしキリストは復活されました。復活の最初の人となられたのです。アダムの神への不従順から私たちは人類は死ぬ存在になりました。しかしキリストを信じることによって主の復活に与ることができます。まずキリストが復活され、そしてキリストが再び来られる時(再臨)クリスチャン達が復活にあずかり、そして世の終わりが来ます。そしてキリストは全てを、(人間の最大の敵、死をも)支配に治められます。そして父なる神にその支配を委ねられます。私たちは復活を信じてバプテスマを受けるのであって、復活がなければバプテスマの意味がありません。「死んだら終わりだ。」と言うのであれば大いに飲み食いして愉快に過ごせばいい」ということになります。私がそのことで戦ったエペソの人たちのように。そんな人たちにだまされてはいけません。あなた達の中には神について何も知らない人がいるのです。
グッド復活の体
復活したらどうなるかと聞く人がいますが、今の体と復活後の体は種とそこから芽生えた植物のようなものです。蒔かれた種は朽ちても輝かしいものとして復活します。それは今とは異なる朽ちない体です。私たちは今はアダムと同じ体ですが、キリストに属する者となれば、キリストと同じ天から与えられる超自然な新しい体を持つようになります。再臨の時が来たら、既に死んでいるクリスチャンがまず、新しい身体に復活し、ついで生き残っている者も一瞬にして新しい身体に変わると言われています。「死は勝利に飲み込まれた」と旧約聖書に書かれているとおりです。そして、私たちは死からも罪から解放されます。必ずこのような素晴らしいことが与えられるます。信仰は無駄に終わる事は決してありません。

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【聖書】1コリント14章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙14章・・・・・・霊的な賜物について
「霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」14:1

くぅ〜ママのちょっと一言
コリントの教会では異言を語れない人は聖霊を受けていないとする人たちと、それに反対する人たちで対立しており、そのことに対してパウロは語ったのです。女性はしゃべってはいけないと書いてありますが、このようにパウロが言わなければならない問題がきっとコリントの教会にはあったのでしょう。女性として少々異議を申し立てたいところですが、ここにはこだわらない方が良いようです。異言とは霊に燃えて理解不能な言葉を主に向かって語ることで大切なものですが、他の人への配慮が必要であるとパウロは言います。これとは違うかもしれませんが、クリスチャン特有の祈りの言葉、言い回しがあるように思います。そんな言葉がどんどん連なる祈りはわけが分からなくなってしまいます。私は祈る時は普段の言葉を使います。子どもが親に話すような気持ちで祈ります。祈りは神さまとの会話です。飾らない素直な祈りをきっと神さまは喜んでくださると思います。

聖書要約
グッド異言と預言
愛を最高の目標としなさい。それと共に聖霊が与えて下さる特別の才能(霊的な賜物)、特に神の言葉を伝える預言の賜物を熱心に求めなさい。もしあなたが異言(今まで知らなかった、人には分からないような言葉)で語る場合は、神に対して語る神秘の事柄であって、人に対するものではありません。人にはその言葉が理解できないからです。神からの言葉を語る預言は人を励まし、成長させます。異言を語る者は自分の信仰を成長させますが、預言は教会全体の祝福になります。異言を語る事は悪いことではありませんが、それ以上に預言を語ることを望みます。なぜなら分からない言葉で語るということは、音のはっきりしない音を吹くようなもの、何を演奏したのかわかりません。召集ラッパがはっきりしないようなもの、兵士は動きようがないです。世の中の様々な言葉がありますが、意味のない言葉はありあません。しかし意味が通じなければ外国人に話すようなものです。神に霊的な賜物を求めるなら、異言を語るものはそれを解釈できるように祈りなさい。そうすれば人にも説明できます。異言で祈ったり、賛美した後には普通の言葉でも祈ったり、賛美をしなさい。そうすれば、他の人たちと共に祈り、賛美することができるでしょう。異言を1万、語るより、理性によって5つの言葉を語る方がいいのです。このことを知恵のある大人として理解してください。子どものようであってはいけません。旧約聖書には異言は民が耳を傾けず、信じない民の裁きとして語られるものだと書かれています。また神の言葉が外国の人に告げられるためなのです。しかし預言はクリスチャンには必要なものです。またクリスチャンでない人にとっても預言を聞くことで神の教え、すなわち、罪のこと救いのことなどを理解することができます。もし異言が語られているところにクリスチャンでない人が出くわしたら、きっと気が変になったと思うでしょう。
グッド集会の秩序
今までの話をまとめてみると、賛美する人、教える人、知識を語る人、異言を語る人、異言を説明する人、すべて、教会全体の益となるように働きなさい。預言をする人も一度に大勢語るのではなく、代わる代わる語りなさい。聞いている人で特別に神さまから示されることがあれば、先に語っていた人は黙ってもらって話していい。これが秩序です。女性は教会ではしゃべることを慎み、従いなさい。
みなさんが、神さまの言葉を語る力をいただけるように熱心に願いましょう。また異言が悪いなどといってはいけません。何事も秩序をもって行いなさい。

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【聖書】1コリント13章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙13章・・・・・・信仰・希望・愛
「その中で最も大いなるものは、愛です」13:13

くぅ〜ママのちょっと一言
コリントの教会の問題解決のためにパウロは愛について教えました。
まず愛の不可欠性として、どんなことでも愛なしには何の価値もないことを語ります。次に愛の特質を列挙します。そして愛の永遠性として、知識の賜物は一時的であり、それらは終末の時には与えられる完全に比べればそれらの不完全なもので、来るべき時には破棄されます。それを子どもと大人の対比や鏡で見る映像などで教えています。それらの一時的な賜物とは異なる、永遠なものが信仰・希望・愛であり、その中でも最もすぐれているものは愛であるとパウロは教えたのでした。
神はイエスの十字架により人類の救いのご計画を私たちにお与えになることで、私たちに愛を示してくださいました。この神の愛に応えることが信仰であり、この救いに望みを置いているのがクリスチャンです。また神の愛を頂くことによって、共に生きる人を愛することが出来るようになります。この福音をぼんやりではなく完全にみさせていただける日が来るというのも希望です。

聖書要約
グッド
あなた方が歩むべき最高の道は愛です。たとえ、異言(今まで知らなかった言葉)を天使や人々が語っても、愛がなければ騒音にすぎません。預言する才能があっても、将来の出来事を察知したり、あらゆることに通じていても、また山を動かすほどの完全な信仰を持っていたとしても、愛がなければ何の価値もありません。財産を全部貧しい人に分け与えても、火あぶりの刑に甘んじるほど熱心に伝道しても、愛がなければ全く意味のないもの、無価値なものです。愛とは忍耐強く親切です。愛は決してねたみません。また自慢せず、高慢になりません。思い上がりことをせず、自分の利益を求ません。無礼なふるまいをしたり、自分のやり方を押し通したり、いらいらして腹を立てたりしません。人を恨まず、不正を喜ばず、真理を喜びます。愛は簡単にあきらめない、どんなことがあっても信仰を失わない、神の恵みに期待し、どんなに困難があっても絶える事がありません
神から頂いた賜物(異言、預言、知識)はいつかは衰えます。しかし愛は永遠に続きます。
今私たちが知っている事は一部に過ぎません。そんな今不完全なことは、主が再び来られた時に完全に明らかにされ、不完全なものはすべて不要になります。それは子どもの時に考えていたことと、大人になって考えることの違いのようなものです。鏡でぼんやりと見得ていたものが、はっきり見えるようになるようなものです。しかしいつまでも残るものがあります。それは「信仰、希望、愛」です。なかでも愛が一番大切です。

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【聖書】1コリント12章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙12章・・・・・・キリストの体
「一つの部分が苦しめば、全ての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」12:26

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロは大切な聖霊の働きについてコリントの信徒達に語ります。またそれぞれのクリスチャンに、聖霊が授けてくけてくださった特別な才能について語り、人身体のそれぞれの部分を、教会の信徒一人ひとりに対比させて語ります。
人間の遺伝子の配列を解明するという壮大なプロジェクトで功績を治められた筑波大学の名誉教授の村上和雄先生は「人間は協力し合って生きていくように遺伝子のレベルでプログラムされている」と著書に書かれています。人間は60兆の細胞でできています。その一つ一つが協力し合わないと身体は成り立たないのですから。相補作用によって一つの体が生かされています。そのような内側の協力と共に、人と人との協力も人間に与えられた幸せの生き方です。聖書に書いてあるとおりです。それに反して生きることが悪の支配下で生きるということでしょうし、不幸な生き方なのです。

聖書要約
グッド霊的な賜物
さて皆さん、聖霊があなた方に授けてくださった特別な才能(賜物)について是非知ってほしいのです。あなたたちはクリスチャンになる前は、しゃべることのない偶像を拝んでいたのですが、今は神さまの言葉を語る人たちの中にいます。その人たちが本当に聖霊に導かれているのかどうかを知る方法は「イエスは主である」と告白しているかどうかということをみれば分かります。聖霊の助けがなければは告白する事はできないからです。また聖霊に導かれている者はイエスを呪う事はできません
神はそれぞれに特別な才能を与えて下さっていますが、それは皆聖霊からでたものです。神への奉仕も色々ですが、皆同じ主に仕えているのです。神さまからの働きかけ、それらは一人ひとり違いますが、与えてくださったのはただ一人の神。私たちは同一の主に仕えているのです。聖霊は教会全体の利益になるように信徒を通して神の力を現してくださるのです。ある人には知恵、またある人には知識、その他信仰、癒す力、奇跡を行う、預言、霊を見分ける、異言を語る、異言の解釈などがそれぞれに与えられています。これらは同じ霊の働きです。
グッド一つの体、多くの部分
体は一つでも多くの部分から体が成り立っているように、教会も一人ひとりの信徒から成っています。一つ一つの部分が大切ですが、特に弱い部分、重要視されない部分がかえって注意深く扱われるように身体は組み合わされています。それはどの部分もが幸せになるため、そしていたわりあうことが出来るためです。「一つの部分が苦しめば、全ての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」あなた方はキリストという一つの身体であり、一人ひとりはなくてはならない部分なのです。一つが苦しめば、全てが苦しみ、一つが尊ばれれば全てが喜びます。神はそれぞれにあなたでなくてはならない役割をお与えになられました。使徒、預言者、教師、奇跡を行う者、癒す者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。そして私たちはさらに優る才能を与えられるように神に祈ることが出来るのです。

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【聖書】1コリント9章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙9章・・・・・・朽ちない冠を得るために
「わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです」9:25

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロは12弟子ではなく、それどころか最初はキリスト教の迫害者でした。そのパウロが使徒職として働くことにコリントの信徒の中に批判している人がいたので、そのことに対してパウロは厳しくも愛を込めて弁明したのです。パウロはコリントでは自活し無報酬で宣教していたことが分かります。宣教の喜びがパウロにとっての報酬というのです。愛を込めてしたことをお金に換算されるのは何とも言えない気持ちになります。そんな仕事はいっぱいあると思います。愛を込めればこめるほどお金に換算されたくない、でも生活のために頂かなければならないというような…そんな時は、私は主が「よくやった」と喜んで下さっていることに心を向けると心がすっきりしてきます。パウロはこの福音(良い知らせ)を伝える為にはへりくだり、愛ををもって、徹底的にその人に合わせて宣べ伝えてきたと言います。人が導かれて、神から祝福されることがパウロの祝福であり、喜びだったのです。

聖書要約
グッド使徒の権利
私は福音の自由の中で生きる者、神の使者、復活のイエスに出会った者です。あなたがたが神を信じるようになったことこそ私が使徒である証拠です。
わたしに対して批判する人にはこう弁明します。私はあなたたちにもてなされる権利はないのですか。もし妻がいたとしたら(パウロは生涯独身)ケファ(ペトロ)たちのように夫婦で旅行してはいけないのですか。わたしとバルナバだけは生活のために働き続けなくてはいけないですか。そもそも自費を出して軍隊にいく兵士がいるでしょうか。丹精込めて作った作物を食べない農夫がいるでしょうか。羊の群れを飼っている者がその乳を飲まないでしょうか。律法にも「脱穀している牛には口輪をつけず、食べる自由を奪ってはいけない」と書いてあります。神は牛のことだけを心にかけておられるのではありません。クリスチャンのために働く人が、そのおかげで主の恵を受けている人から報酬をいただく事は当たり前です。わたしはあなたたちにみ言葉を伝えました。であるならば、その報酬として食べ物や着物を頂くことは行き過ぎでしょうか。あなた方はみ言葉を伝えてくれた他の人には報酬を提供しています。それは当然のことです。すると、なおさら私はそれらのものを要求する権利があります。しかしわたしはこの権利をあなた方に一度も要求したことがありません。自分で働き、援助は受けなかったのです。神殿で働く者は主の捧げものの分け前を頂くように、主の福音を知らせた者は、福音を聞いて信じるようになった者に生活を支えてもらうべきなのです。しかしそれをしなかったのです。無報酬であなたがたに良い知らせを伝えることの喜びを失うくらいなら餓死した方がましです。
神が私を選び出して、この任務に就けてくださったのですから、良い知らせを宣べ伝得ることの特別の喜びが私の報酬です。また誰にも気がねなしに福音を伝えることができます。一人でも多くの人を福音に導くためにすべての人の奴隷になりました。ユダヤ人にはユダヤ人のように振る舞い、異教徒にもそのように振る舞い、弱い人には弱い人のように振る舞いました。皆が福音にあずかることができるためです。競技場で優勝する者のように、熱心に主に従いなさい。主から朽ちない冠を頂くために、わき目もふらず、全速力で走りなさいと。やみくもに走ったり、空に向かってボクシングをしたりするのではなく、自分の体を自制して主に従います。他の人に宣教しておきながら、自分が失格者にならないように私も励みます。

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【聖書】1コリント8章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙8章・・・・・・愛に根ざした知識
「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならないことをまだ知らないのです」8:2

くぅ〜ママのちょっと一言
コリントの町では異教徒の神殿で供え物としてささげられた肉が市場で売られることが多かったのだそうです。その偶像にささげられた肉を食べることが罪であると考える人たちと、偶像の神などいないので肉を恐れる事はないと考える人たちがおり、それが混乱のひとつであったようです。それに対するパウロの答えですが、まず前ふりして、正しいと確信を得ている知識でも、そのことを人に話したり、勧めたりする時に愛がなければ、そのことが受け入れられなかったり、それが人を裁く武器になってしまったりするとパウロは言います。自分が完全に正しいと思われるときには、なおのこと、一歩引き下がって、見守る愛、待つ愛をもつことが大切なのではないでしょうか。「食べてもいいですか、食べたらダメなんですか」と、聞くコリントの人々へパウロは、問題となるのは食物ではなく、あなた達の間に愛の交流があるかどうかと言うことだと言ったのでした。白熱した話し合いの時や、意見を言い合う時には、このことを思い出したいと思います。知識を振りかざして説得したり、見下したりせず、罪だと思っている人のつまづきにならないようにしなければならなりません。大切なのは知識でも、食物でもなく愛こそがコリントの人たちの重要なことなのだとパウロは指摘しました。

聖書要約
グッド偶像に供えられた肉
偶像に供えられた肉についての質問にお答えしましょう。私たちは皆自分の考えが正しいと思っています。事実本当に正しく、その考えが教会を建てあげるのに重要と思われても、本当に必要なのは愛です。どんな問題にも答えられると思っていることが無知の証拠です。本当に神のみ前にひれ伏している人が、神に知られている人です。さて偶像に備えた肉のことですが、そもそも偶像など神ではありません。万物を造り、いのちを与えてくださる神はただお一人です。しかしそのことが理解できずに、偶像に供えられた肉を汚れたものと信じ、それをもし食べたとしたら、神への背信だと思っている人もいるのです。食べても食べなくても損にも得にもなりませんし、何を食べても汚れる事はありません。信仰と食べ物とは関係ないのです。しかし回心後も偶像の実在を否定しきれず食べることが罪だと思っている人への配慮が必要です。肉だけでなく、ある行為を悪いと思っている人が、あなたの振る舞いをみてして神に後ろめたさを感じながらもしてしまったとしたら、それはあなたがたが兄弟と神に対して罪を犯したことになります。このように兄弟をつまずかせないために肉を食べないと決めることもあるのです。

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【聖書】1コリント7章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙7章・・・・・・結婚と信仰生活
「平和な生活を送るようにと、神はあなた方を召されたのです」7:17

くぅ〜ママのちょっと一言
コリントの信徒達がパウロに送った手紙の中の質問の一つがこの結婚の問題でした。コリントが抱えている問題の特殊性に合わせてパウロは答えています。またパウロは神の言葉と自分の言葉を区別できるように配慮して書いています。
パウロは結婚にあまり積極的に捉えておらず、結婚を情欲を抑えるためだけのことのように書いているようにも読みとれますが、それはパウロはコリントの人々の性的な乱れを思いながら書いたからということと、結婚することによって、おこりがちな主を第一とする生活から家庭を第一とする生活になることを憂いでのことだったのでしょう。夫婦でも信仰の温度差があるでしょう。思いの熱いほうに引っ張られるといいですが、心が遠ざかりがちな方に気を使うようなことがあれば寂しいですね。結婚は本来神の祝福です。夫婦で信仰の喜びを分かち合いながら、二人で神に感謝しながら、また与えられた子どもたちと一緒に神を賛美しながら、歩んでいけるといいですね。

聖書要約
グッド結婚について
あなた方から頂いた手紙にあった質問に答えましょう。もし結婚しないならそれもいいことですが、結婚することもよいことです。そうでないと不品行の罪に陥る危険があります。夫婦は受けたものを共有すること、自分の身体は自分のものではなく結婚相手のものです。お互いに拒んではいけません。ただ祈りのためにしばらく、性的な関係をもたないことを決めることはできます。
かといって結婚しなさいと言っているのではありません。わたしのように独身でいるのもいいのです。神からの賜物が違うのですから、生き方も違います。
独身者と未亡人の人たちは、独身のままの方がいいですが、情欲をもやすよりは結婚する方がいいです。
次に結婚している人に対してですが、はっきり命じますが、信徒夫婦は分かれてはいけません。もしわかれているならそのまま独身でいるか、和解しなさい。クリスチャンではない相手が一緒にいるのを望む時は離婚してはいけません。あなたといっしょにいることで相手や子どもが聖められているからです。しかしクリスチャンでない相手が別れたいときは別れてもいいです。あなた方が平和に暮らすことを神は望んでおられるのです。
グッド主の定めた生き方
結婚したとしても、しないにしても、どんな立場でも神のみこころにかなう歩みをしなさい。割礼を受けているとか受けていないとか、奴隷の身分であるとか、関係なく、大切なのはイエスキリストが代価を払って(十字架の死によって)私たちを罪から解放してくださり、罪の支配から神の支配に入れてくださっていることです。
グッド未婚の人とやもめ
未婚の人については、イエス・キリストの言葉は残されていないので、わたし(パウロ)の意見ですが、現状のままでいる方がいいでしょう。結婚している人も現状のままでいいです。結婚することは罪を犯すわけではありませんから。ただ結婚すると相手を喜ばせようと、時間を取りますが、結婚していない人は主のために心も時間も割くことが出来ます。また夫と死別した場合の再婚はクリスチャンに限ります。

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【聖書】1コリント6章

汽灰螢鵐箸凌徒への手紙6章・・・・・・神の栄光を現わす
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい」6:20

くぅ〜ママのちょっと一言
コリントの信徒たちは律法からの自由を誤用して、全てのことは許されていると、遊女と関係を持つことは構わないと考えたのです。また、遊女と遊んだ体はこの世限りのもので、魂を損なうことはないと考えたのです。それに対してパウロは、自由を与えられているが、信徒の行動は霊的益となるかと言うことと、自由の名のもとに欲望の奴隷になってはいけないと制限を付け加えたのです。また性的な関係は人格的結合をもつことになり、主に結ばれた者にとってはそのことは主への重い背信行為なのです。
その他にもパウロは性的な混乱を中心とする10種類の罪を指摘します。コリントの町で特に目立つ罪、また異教の宗教儀式との混乱からの罪もあったでしょう。しかしかつてはそうのような罪の中にあったかも知れませんが、今やイエスキリストの十字架のによって、罪が洗い流され、正しい者をされた私たちなのです。だからこの体で主の栄光を現わさなければならないのです。

聖書要約
グッド信仰のない人々に訴え出てはならない
クリスチャン同士の争いが起きた時に教会内で解決せず、なぜこの世の法律で裁いてもらおうとするのですか。教会にはこのような争いを裁くことができる賢明な人がいないのですか。いや訴え出ること事態がクリスチャンとして敗北です。むしろだまされる方が神に喜ばれます。正しくない者が神の国を継ぐことができないのは当たり前のことです。不道徳な生活をしている者、偶像を拝む者、姦淫をする者、同性愛にふける者は神の国を継ぐことはできません。またどろぼう、貪欲な者、酒に酔う者、人をそしる者、強盗もです。あなたたちの中にはそのような人もいましたが、今では、主イエス・キリストの名と、聖霊によって罪が洗い流され、聖なる者として神に受け入れられているのです。
グッド聖霊の住まいである体
私たちには何でもする自由が与えられています。しかしその中には自分にとって良くないこともあります。たとえ良いことでもそれに囚われてしまうようなことはしてはいけません。食べる事は悪いことではありません。主が食べるために食欲を与えてくださり、消化するために胃を与えてくださいました。しかしだからといって、暴飲暴食は身体にとってよくありません。いつの日か神が胃も食べ物も取り上げてしまわれるでしょう。また体は主のものなので、性的な罪は絶対にいけません。主ご自身が私たちの体に住もうと願っておられます。私たちの身体はキリストの一部なのです。その体を娼婦と結び付けるようなことをしてはいけません。性的に結びついた者はすでに二人ではなく一体と神はみなされます。もし自分を主に捧げるなら、その人とキリストは一体とみなされるのです。性的な罪は自分の体に対して犯す罪で、これほどの罪はありません。あなた方の体は神が代価(イエスキリストの十字架)を払って買い取ってくださった、聖霊が宿る神殿のようなもの。神さまの栄光を表すことに用いる為のものなのです

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