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【聖書】マルコ3章

マルコによる福音書3章・・・・・・聖霊の働きに参与する者として
「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠の罪の責めを負う」マルコ2:5

くぅ〜ママのちょっと一言
ファリサイ派の人たちは安息日に萎えた手をいやしたイエスに対して殺意を抱きました。安息日にはなにもしてはいけないと固く信じていたからです。しかし「安息日に仕事もしてはいけない」ということではないのです。静まって主に礼拝をささげる為に安息日(聖日)があるわけで、仕事をしないことが安息日の目的ではないのです。形ではなく、何が大切なことかと考えるべきです。そして迷った時には、どちらが神さまに喜ばれることかと考えることで間違いのない選択ができるのだと思います。
29節に「聖霊を冒涜する者は赦されない」と書かれています。イエスのされていることを聖霊の働きと認めず、サタンの働きとした罪は赦されないというのです。聖霊の働きで主の業がなされている時にはそれに参与する者でありたいです。決して人間的な思いで非難することがありませんように。

聖書要約
グッド手の萎えた人をいやす
イエスは会堂に入られました。そこに手の萎えた人がいました。人々はイエスが安息日に片手が不自由な人に対してどうされるのか注目していました。イエスは人々に向って「安息日に赦されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」とおっしゃってその手を癒されました。その場にいたファリサイ派の人はイエスを殺そうとヘロデ派の人と相談を始めました。
グッド湖の岸辺の群集
イエスは湖の方行かれました。うわさを聞いて、おびただしい群集が押し寄せてきました。イエスは群衆に押しつぶされないように、弟子に小舟を用意させました。そして多くの病人を癒されました。悪霊たちもイエスにひれ伏して「あなたは神の子だ」と叫びました。
グッド12人を選ぶ
イエスは山に登って12人が呼び寄せられ、自分の側でイエスの教えを学ぶことと、宣教の任務と、悪霊を追い出す任務を与えられました。
グッドベルゼブル論争
イエスが家に帰られると、また群集が集まってきて、食事をとる暇もないほどでした。また「あの男は気が変になっている」と言う人がいたり、律法学者たちは「悪霊のかしらベルゼブルに取りつかれているとか、悪霊の力で悪霊を追い出している」言いました。イエスは「サタンがサタンを追い出したら、内部分裂が起る。悪霊を追い出すにはサタンより強い力が必要だ。」とおっしゃいました。そして「聖霊を冒涜する罪は永遠に赦されない」とおっしゃったのでした。
グッドイエスの母兄弟
母兄弟などの身内はイエス様の働きが理解できません。イエス様を連れ戻そうとナザレからやってきました。それに対してイエスは神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母です」と言われました。

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【聖書】マルコ2章

マルコによる福音書2章・・・・・・罪を赦す権威
「子よ、あなたの罪は赦される」マルコ2:5

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスは「あなたの罪は赦された」と言われました。罪とは神さまに背を向けて生きること。神様の祝福の外で生きることを言います(罪=ハマルティア=的を外す)男達の行動はまさしくイエスに心を向け、祝福を受けようとすることであり、それに対して「罪は赦された」とイエス様がおっしゃたことはよく分かります(当時、病気は罪の結果ともいわれていました)病気が治ることは有難いことですが、神さまとの関係が回復することはさらに大切なことではないでしょうか。病気が癒されてもいつかはこの世を去らなくてはならず、そのときには病気のことより、神さまとの関係の方が大切なことです。
13節の「レビ」とは先の福音書を書いたマタイのことです。マタイは徴税人で、収税所に座っていたところをイエスに声をかけられたのです。当時、徴税人はローマやヘロデに仕え、同胞のイスラエル人からお金を集め、一部は着服するという生活をしていたので、罪人とされていました。
18節の断食問答ですが、弟子は大切な律法である断食をしていませんでした。律法は人が幸せに暮らせるように神さまから頂いたもので、縛り付けるものではありません。またイエスが来られたことで、新しい時代が始まったのに、古い生き方に固執していることの間違いを皮袋のたとえであらわされました。

聖書要約
グッド中風の人を癒す
イエスが再びカファルナウムに来られた時の事です。そのことを聞きつけて、大勢の人が詰め掛けます。そこに4人の男の人達が中風の友人を寝かせたままつれてきました。人に阻まれて入れないのが分かると、屋根をはがしてイエスの前に友達を吊り降ろしたのでした。それをご覧になってイエスは「あなたの罪は赦された」とおっしゃいました。同席していた律法学者の「神を冒涜している」という思いを、イエスは察し、イエスが罪を赦す権威がある事が目で見て分かるように「起きて歩け」とおっしゃったのでした。その男はすぐに床を担いで皆の見ている前で出ていきました。人々は驚き、神を賛美しました。
グッドレビを弟子にする
イエスは再び湖畔に行き、集まってきた人々に教えられました。岸を歩いていると、収税所に座っているレビを見かけました。イエスはレビに「従ってきなさい」と声をかけられました。するとレビはすぐに立ち上がり、イエスに従いました。イエスがレビの家で多くの罪人や徴税人と共に食事をしているのを見て、ファリサイ派の人たちが弟子に「どうして彼は罪人と一緒に食事をするのか」と尋ねました。イエスはそれを聞いて答えられました。「医者を必要とするのは丈夫な人にではなく病人である。わたしが来たのは正しいと思っている人を招くのでなく、罪人を神さまの下に立ち返らせるためです」と。
グッド断食についての問答
「ヨハネやファリサイ派の弟子が断食をしているのに、イエスやその弟子は断食をしていないのはなぜか」とファリサイ派の人が聞きました。イエスは言われました「花婿が一緒にいるのに婚礼の客が断食出来るだろうか。彼らは花婿が奪い去られる時、断食するでしょう。新しいぶどう酒を古い革袋に入れたら、革袋は破れてしまいます。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなければなりません。
グッド安息日に麦の穂を摘む
安息日にイエス一行が麦畑を通る時に麦の穂を摘んでいました。ファリサイ派の人たちが、「安息日にしてはいけないことをしている」と言いました。イエスは言われました「ダビデも空腹だった時、祭司しか食べてはいけないパンを食べたではないか。安息日は人のために定められたもので、安息日のために人があるのではない。人の子(メシア)は安息日に何をしてよいかを決める権威もあるのです。」と。

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【聖書】マルコ1章

マルコによる福音書1章・・・・・・権威ある教え
「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」マルコ1:15

くぅ〜ママのちょっと一言
マルコはイエスの直接の弟子ではなく、ペテロの通訳者ということです。ペテロやイエスを直接知っている人たちの話を聴いてマルコが書き記しました。 1章1節の始まりはバプテスマのヨハネの記事からです。 ヨハネの使命は、イスラエルの人々に悔い改めに導くことと、イエスをイスラエルの人々に紹介することでした。「悔い改める」はギリシャ語では「メタノイア」言い、「心を変える」「残念に思う」と言う意味があるそうです。それと共にヘブル語の「シュブ」という概念とも関係がある言葉で、それには罪を後悔するだけでなく、「罪を認め、罪とは逆の方向にむきを変えて生きていこうと決心する」「生活の変化をもたらす」という意味なのだそうです。悔い改めるのは異邦人のすることと思っていたイスラエルの人々に、「あなた達こそ悔い改める必要があるのです」とヨハネもイエス様も迫ったのです。

聖書要約
グッド洗礼者ヨハネ。教えを宣べる
神の子イエス・キリストのすばらしい出来事の始まりについてです。神が一人子イエスをこの世に遣わされることと、その準備のために特別の使者を送られることは、預言者イザヤがずっと以前に告げていました。そしてその通り、洗礼者ヨハネが荒野に現れて「悔い改めて、バプテスマを受け、神に立ち返るように」と、人々に教えました。そして「わたしより優れた方がもうすぐおいでになる。わたしは水でバプテスマを授けているが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」と言いました。
グッドイエス、洗礼を受ける
イエスはヨハネからバプテスマをお受け、水から上がられると、天が裂けて霊が鳩のように下ってきて「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声がしました。
グッド誘惑を受ける
それから霊はイエスを荒野に送りだしました。そこで40日間留まり、罪を犯させようとするサタンの誘惑をお受けになりました。その間、天使がイエスに仕えていました
グッドガリラヤで伝道を始める
ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣教を始められました。
グッド四人の漁師を弟子にする
イエスはがリラヤ湖の岸辺で網を打っているシモンとアンデレの兄弟に「さあ、ついてきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と声をかけられました。二人はすぐについて行きました。次にヤコブとヨハネの兄弟が舟の中にいるのをご覧になりました。彼らもイエスの呼びかけにすぐに従いました。
グッド汚れた霊に取りつかれた男をいやす
一行はカファルナウムにつきました。イエスは安息日に会堂に入って教え始められました。人々は今まで聞いたことがないような権威に満ちた語りかけに驚きました。その時汚れた霊に取りつかれている男が叫びました。「ナザレのイエス、お前は神の聖者であることは分かっている。我々を滅ぼしに来たのか」と。イエスは「この人から出ていけ」と言われると、汚れた霊は男をけいれんさせ出ていきました。汚れた霊に命じることができることに人々は驚き、その評判はたちまち広まりました。
グッド多くの病人をいやす
熱を出しているシモンのしゅとめをいやし、多くの病人をいやされました。
巡回して宣教する 一行はガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出されました。
グッド重い皮膚病を患っている人をいやす
重い皮膚病を患っている人がイエスの下にやってきました。「清くなれ」とイエスが言われると皮膚病は癒されました。イエスは「誰にも話さないように」と言われましたが、その男はこの出来事をいい広めたので、イエスは公然と町の中に入ることが出来なくなりました。それでも人々はイエスの下にきました。

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【聖書】マタイ28章

マタイによる福音書28章・・・・・・復活の主と共に
「あの方は、ここにはおられない」マタイ28:6

くぅ〜ママのちょっと一言
いよいよマタイの最後の章です。最後の章はイエス様の復活、イースターの出来事が書かれています。クリスチャンはクリスマス同様、イースターをお祝いします。そのイースターの1週前の日曜日は棕梠(しゅろ)の主日といい、イエス・キリストがエルサレムに入城した日を記念します。月曜日は 宮清めの日。木曜日は洗足日といって、最後の晩餐の時、イエス・キリストが弟子達の足を洗われるという出来事がありました。 そして金曜日がイエス・キリストが十字架にかけられた受難の日。その3日後の日曜日がイースターなのです。
イースターの朝、 マリアたちは安息日が終わるのを待ちかねるようにして、イエスに香油を塗る為に墓に行きます。大きな石のことや番兵が入れてくれるかどうかなど、大きな問題解決の手立てを持たないまま、とにかく墓に行ったのです。するとどうでしょう。その墓石は脇へ転がされ、その石の上に天使が座ったのです。退けることの出来ない墓石があるからといって、また番兵がいるからといって、墓のそば行かなければ、この恵の経験にあずかれなかったことを思う時、私たちにとって、解決不可能に思えるような大きな問題を抱えていてもとにかく、神さまの前に出ることだと思うのです。その一歩を踏み出すことで、私の前をふさいでいた大きな問題が横に押しやられ、その上に天使がにこやかに座っていてくれるかもしれません。マリアたちは天使から素晴らしいイエスの復活の知らせを聞きます。その後、弟子たちは復活されたイエスに出会い、大宣教命令と「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と、いう愛に満ちた、力強い言葉を頂くのです。問題の向こうにはすばらしい主の祝福が用意されていることを覚えたいのです。

聖書要約
グッド復活する
安息日が終わって日曜日の朝早く、マグダラのマリアともうひと一人のマリアがイエスの墓に行きました。すると大きな地震が起り、天使が天から下って墓の石をわきへ転がし、その上に座ったのでした。その顔は稲妻のように輝き、着物はまばゆいばかりの白さです。番兵は震えあがって死人のようになってしまいました。天使は夫人に言いました。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。前から話していたように復活されたのだ。遺体の置いてあった所を見てごらんなさい。そして急いで弟子たちにイエスが復活されたことと、ガリラヤでお会いできることを知らせなさい」と。婦人たちは弟子たちの所にかけ出しました。すると突然イエスがお姿を現わされ「おはよう」と挨拶されました。二人はイエスの前にひれ伏しました。イエスは「恐れることはない。兄弟達にガリラヤに行くように言いなさい」と言われました。
グッド番兵、報告する
番兵は都に帰り祭司長や長老たちにこのことを報告しました。彼らは集まって相談し、番兵に多額の金を与えて「弟子たちが夜の間に死体を盗んだ」と言うように指示しました。番兵はその通りにし、今でもユダヤではこのことを信じているのです。
グッド弟子たちを派遣する
11弟子はガリラヤに行き、イエスが指示しておられた山に登りました。そこでイエスに会い、ひれ伏しました。しかし中には疑う者もありました。イエスは弟子に近づいて言われました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だからあなたがたは行って、全ての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授けなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と。

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【聖書】マタイ27章

マタイによる福音書27章・・・・・・強いられた十字架の恵み
「イエスの十字架を無理に担がせた」マタイ27:32

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスは兵士から嘲笑され、侮辱され、皮膚や肉が裂かれるような金片がついた鞭で打たれ、茨の冠をつけられます。想像するだけで、胸が苦しくなります。十字架の横木は自分で背負って、ヴィアドロロサ「苦難の道」と呼ばれる刑場までの道を行きます。歩くことさえままならないイエスに代わって、祭りに来ていたキレネ人のシモンが強制的に横木を担がされます。群集の嘲笑の中、重い横木を背負って歩くのは恥と苦痛だったことでしょう。しかしこのシモンは初代教会のクリスチャンとしてその名をとどめます。横木を背負って歩くうちにシモンの中に何かの変化があったのでしょう。腰をかがめて木を担ぐシモンに、さらに腰が曲がったイエスのまなざしが注がれていたのではないでしょうか。その目は「ありがとう」と言っておられるように思うのです。十字架を負うことは苦痛だけではなく、イエスの愛のまなざしを感じることに他ならないと思うのです。

聖書要約
グッドピラトに引き渡される
夜が明けると祭司長と長老たちはイエスを殺す相談をして、イエスを縛って総督ピラトに渡しました。
グッドユダ、自殺する
ユダは大変後悔して、銀貨30枚を返しに行きましたが、彼らは取りあいません。ユダは銀貨を神殿に投げ入れて首をくくって自殺しました。そのお金は陶器師の畑を買って、外国人の墓地とすることになりました。エレミヤが預言した通りのことが現実となったのです。
グッドピラトから尋問される
総督ピラトはイエスに「お前がユダヤの王なのか」と聞かれ、「それはあなたが言ってることです」と答えたきりで、どんな不利な証言にも何もお答えになりませんでした。
グッド死刑の判決を受ける
毎年過ぎ越し祭の間に囚人の一人に総督が恩赦を与える習慣がありました。囚人の中に悪名高いバラバがいたのですが、祭司長たちにたきつけられた群衆の要求はイエスではなくバラバを釈放して、イエスを死刑にすることでした。群衆が騒動を起こしそうなほどになったので、ピラトは「この人の血の責任はあなた方が負うように」と言って、イエスを十字架に架けるためにローマ兵に引き渡しました。
グッド兵士から侮辱される
イエスを総督官邸に連れていって赤いガウンと茨の冠を載せ、葦の棒を持たせ「ユダの王、万歳」と散々侮辱したあげく、元の服を着せて十字架に付けるために引いて行きました。
グッド十字架につけられる
兵士たちはイエスの十字架をキレネ人シモンに無理に担がせました。ゴルゴタにつくとイエスを十字架につけ、くじでその服を分け合いました。イエスの右と左に強盗が十字架に架けられました。通りかかる人々は「神の子なら自分を救ってみろ」とイエスをののしりました
グッドイエスの死
昼の12時になると全地は真っ暗になり、3時まで続きました。イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫けばれ、息を引き取られました。そのとき神殿の垂れ幕が上から裂け、地震が起り、岩が裂け、墓が開いて聖徒が大勢生き返りました。イエスの見張りをしていた人たちが「本当にこの人は神の子だった」と言いました。ガリラヤからイエスに従ってきた多くの婦人たちも遠くからこの様子を見守っていました。
グッド墓に葬られる
夕方になって、アリマタ出身でお金持ちのヨセフという人がピラトにイエスの遺体の引き取りを願い出ました。そしてきれいな亜麻布に包み岩、を彫った新しい墓に納め、入り口に大きな石を転がしておきました。
グッド番兵、墓を見張る
あくる朝、祭司長たちはピラトに「三日後に復活するとイエスが言っていましたので、3日目まで墓を見張るように命じてください」と頼みました。そこで彼らは石に封印をして誰も忍びこめないようにしました。

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【聖書】マタイ25章

マタイによる福音書25章・・・・・・小さな愛の業を喜んでくださる主
「最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」マタイ25:40

くぅ〜ママのちょっと一言
花婿を待つ花嫁の友達10人の「待つ」という姿勢から、主の再臨を待つクリスチャンの姿勢が示されています。炎を燃やす為の油を絶やさないということは、いつも聖霊に満たされて主と共に歩む信仰生活を意味しています。主の再臨に際していつも備えをしておくことの大切さが教えられます
二つめは主人からお金を預かったしもべたちのたとえですが、私たちもそれぞれに預けられたタラントンどのように使うかということが問われています。 三つめは最後の審判の様子が書かれています。その時わたしたちはどのような生き方をしたかが問われます。私たちの愛の業をご覧になっている主なる神は、それを「私にしてくれたこと」として喜んでくださり、永遠の命に入れてくださるのです。

聖書要約
グッド「十人のおとめ」のたとえ
天国は十人のおとめがともしびを持って花婿を出迎えることで説明できます。十人の内の五人は賢くてランプの油を十分用意していましたが、残りの五人のおろかなおとめは油の用意をしていませんでした。ところが花婿の到着が遅れて、みんな眠ってしまいまいた。ようやく花婿が到着し、十人のおとめは目を覚ましましたが、5人のともし火は今にも消えそうです。他の5人に油を分けてほしいと頼みましたが、「分けてあげるほどないから、買いに行ってらっしゃい」と言われました。5人が急いで油を買いに行っている間に披露宴会場のドアは閉じられてしまいました。帰ってきた5人は「開けてください」と叫びましたが、主人は「あなたたちのことは知らない」と答えられました。だから目を覚ましていなさい。あなた方はその日を知らないのですから。
グッド「タラントン」のたとえ
天国はまた次のようにたとえられます。ある人が旅行に出かける時に使用人に自分の財産を預けました。一人には5タラントン、もう一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けました。5タラントンあずかった使用人は商売をしてもう5タラントンもうけました。2タラントンを預った使用人も2タラントンもうけました。1タラントンあずかった使用人は穴を掘って金を隠しておきました。さて主人が帰ってきて、清算を始めました。5タラントン預った者は10タラントンを差し出しました。「忠実な僕だ。よくやった。お前は少しのものにも忠実だったたから、もっと多くのものを管理させよう。」と言われました。2タラントン預った者も4タラントン差出し、同じように褒められました。1タラントン預った使用人は「あなたは厳しい方なので恐ろしくなって地に隠していました。これがあなたのお金です」と1タラントンを差し出しました。主人は答えました。「怠け者の悪い僕だ。その1タラントンを10タラントンを持っているものに与えよ」そしてこの役に立たない僕は暗闇に追い出されました。
グッド全ての民族を裁く
人の子であるメシア(救い主)が栄光に輝いてやって来る時、全ての国民が集められます。そして羊飼いが羊とやぎを分けるように人々を二組に分けられます。右側の人には「祝福された人たち、天の御国に入りなさい。あなたはわたしが空腹だった時に食べさせ、のどが渇いている時に飲ませ、旅人だった時に家に招き、裸の時に服を与え、病気の時や牢に入っている時に見舞ってくれた」するとこれらの正しい人は答えるでしょう。「わたしがいつそのようなことをしたでしょう」と。すると「最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と答えられました。またもっとも小さな者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。こうして永遠の罰を受け、正しい者は永遠の命にあずかるのです。

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【聖書】マタイ24章

マタイによる福音書24章・・・・・・終末のしるしとその備え
「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マタイ24:35

くぅ〜ママのちょっと一言
主の再臨はない」と不信仰に生きることに対する厳しい忠告が書かれています。終末の前兆として記されていることは、確かに今の時代に当てはまります。その時がいつ来てもいいように聖書に忠実に生きていなければなりません。また前兆の中に「御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」と記されているように、福音をあらゆる人々に届ける使命もあることも自覚しなければならないと思うのです。

聖書要約
グッド神殿の崩壊を予告する
イエスが神殿の庭を出ようとすると、弟子たちが近寄ってきて「この神殿は素晴らしいですね」と指を指しました。イエスは「この神殿の一つの石が他の石の上に残らないほど跡形もなく破壊される日が来ます」と言われました。
グッド終末のしるし
イエスがオリーブ山の中腹に座っておられる時のことです。弟子達が来て「終末前兆」について聞きました。イエス様の答えは偽預言者の出現∪鐐茘ききんっ録稔ザ飢颪紡个垢詛害Χ飢馥發任稜愎や堕落Я汗こΔ悗諒_酸覿、の後必ず終わりが来ると答えられました。
グッド大きな苦難
神殿にゼウス像が建てられるというダニエルが預言したようなことが起ったなら、ユダヤの人は山に逃げよ。屋上にいる人は下に降りるな。畑で作業をしている人は服を取りに家に戻るな。妊婦や乳飲み子を持つ母は素早く動けないので不幸だ。足元が雨で緩む冬や、エルサレムの門が閉められる安息日に起らないように祈れ。歴史上類を見ない苦難がやってくる。神が選ばれた民のためにその期間を短くして下さらなければ、一人も生き延びる者はいないでしょう。その時、偽メシアや偽預言者が現れて、奇跡を行っても惑わされてはいけない。荒野にメシアがおられるとか、奥の部屋におられると聞いても信じてはいけない。メシアはいなずまが東から西にひらめき渡るように帰って来られます
グッド人の子が来る
その苦難の日には太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。人々が深い悲しみに包まれている時、人の子は栄光を帯びて、雲に乗って来ます。天使たちが選ばれた人たちを呼び集めます。
グッドいちじくの木のたとえ
いちじくの木の変化によって季節が分かるように、終末の前兆がきたら、主が戸口に近づいておられると悟りなさい。これらのことが起るまでは、この時代は滅びません。天地は滅びてもわたしの言葉は決して滅びることはありません。
グッド目を覚ましていなさい
その時がいつかは天の父以外には誰も分かりません。ノアの洪水の時も、人々は食べたり飲んだり、めとったり…とこの世の事にばかり気を取られている時に突然その時が来たように、思いがけない時に人の子は来られるので、私たちは用心しておかなければなりません
グッド忠実な僕と悪い僕
主人がいつ帰ってきたとしても、忠実に任務をはたしている僕は大丈夫だが、主人はまだ帰ってこないだろうと、仕事もせずに自分の好き勝手にしている僕は罰せられる。

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【聖書】マタイ23章

マタイによる福音書23章・・・・・・真心を込めて生きる
「杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」マタイ23:26

くぅ〜ママのちょっと一言
律法学者やファリサイ派の人々は聖書に記載されていない「言い伝え」を追加して、重い荷物を人々の肩に負わせる一方で、自分達は大切な律法を守っていなのです。そんな彼らを真似てはいけないと皮肉たっぷりにイエスは教えられます。では何を真似てはいけないのでしょうか。それは11節に書かれている「高ぶり」です。たとえば聖句の小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたり、宴会の上座を好んだり、「先生」と呼ばれたがることなどです。イエスの教えは「仕える者になりなさい」ということです。
そしてイエスは彼らの忌まわしさを7つ指摘されました。信仰は形式が重んじられすぎると、神様不在、心が伴わない信仰になりがちです。主なる神は私たちの「行い」の奥にある「心」を見ておられるのです。主に対していつも真実な心で生きたいと思います。
イエスの嘆きは「魂の永遠の滅び」を意味しており、イエスキリストを信じ、罪の告白がされない限り主イエスによって救われることはないということが語られています。

聖書要約
グッド律法学者とファリサイ派の人々を非難する
イエスは群集と弟子達に向けて話されました。「律法学者やファリサイ派の人たちはモーセのように人々に律法を教える立場にあります。しかし彼らの言うことは真似をしてもいいが、彼らのすることを真似してはいけません。彼ら到底実行できないような命令を与えておいて自分では実行しない。彼らのすることといえば見せびらかすことばかりだ。聖句の入った箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたり、宴会では上座を好み、「先生」と挨拶されたがる。教師はイエスキリストただお一人です。人に仕える人が最も偉大な者です。自ら低くする者がかえって敬われるのです」」と。
律法学者やファリサイ派の人たち、あなたたちは偽善者であり、ものの見えない道案内人のようなもの。なんと「不幸」な人たちなのでしょう。なぜなら
/諭垢謀靴旅颪鯤弔兇靴匿諭垢蘯分も入れなくしている。熱心な改宗者を得るためにせっせと出かけていくが、天に導かず地獄の子にしてしまう。神殿より黄金を、祭壇より供え物を尊ぶことを教えたの法にないようなものまで、細部に亘って、十分の一の献金を実行するが、律法の中ではるかに重要な「正義や慈悲、誠実」を忘れている。(ぶよ一匹さえも濾して除くが、らくだは呑みこんでいる)デ佞粒阿呂よめるが内は罪に汚れているΔ△覆燭燭舛信仰は白く塗った墓のようだ。外は美しく見えるが、内は汚れで満ちている。Ю菫弔預言者を迫害したことは自分達は無関係というが、あなた方はその子孫であることを認めているし、今まさにイエス様に対して同じ事をしようとしている。
グッドエルサレムのために嘆く
「預言者を殺して、あなたたちのために神が遣わした人々を殺してしまう者たちよ。わたしはあなたたちを めんどりが雛を羽の下に集めるように、何度集めようとしたことか。しかしあなた方は応じなかった。あなたがたの家は見捨てられ、荒れ果てる」とイエスは嘆かれました。神から遣わされたものを喜んで受け入れるまで、あなた方は二度とわたしを見ることはありません。

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【聖書】マタイ22章

マタイによる福音書22章・・・・・・キリストの儀の衣を着る
「招かれる者は多いが、選ばれる人は少ない」マタイ22:14

くぅ〜ママのちょっと一言
王の披露宴のたとえは選ばれた民であるイスラエルがメシア(救い主)を拒絶したので、神の国は異邦人や罪人に与えられることを表しています。その中に礼服を着ずに列席した者がいて放り出されます。礼服とは信仰によって与えられる「キリストの義の衣」です。今日聖書を開いた私たちは王の素晴らしい宴の席に招ねかれていることに感謝して、キリストの義の衣を着て列席するものでありたいです。この後に納税問答、復活問答、最も重要なおきて問答、ダビデ問答と地上の考えとは異なる天的な知恵が紹介されます。

聖書要約
グッド「婚宴」のたとえ
イエスは天国をたとえで話されました。「たとえば天国は王が王子のために結婚披露宴を催したようなものだ。大勢の者が招待されたが、定刻になってもだれも来ない。別の家来を遣わしたが、人々は王の誘いを無視して、畑に出かけたり、商売に出かけた。またある者は王の使者を殺してしまった。王は怒り、軍隊を出動させ、人殺しどもを滅ぼし、町を焼き払った。そして『披露宴の準備はできたと言うのに、招待した人たちは列席する資格のない者ばかりだった。町に出ていって片っ端から招待してきなさい』と命じた。そこで善人も悪人も区別なく誰でも招待されたので、婚宴は客でいっぱいになった。王が会場に行ってみると、礼服を着ていない客が一人いた。王は『どうして礼服をつけずにここに入ってきたのか』と尋ねた。男が黙っていると、王は家来に命じた。『この男の手足を縛って、そとの暗闇に放り出せ。そこで悔しがるがいい』招かれた人は多いが、そのすべての人が選ばれた者ではない」
グッド皇帝への税金
ファリサイ派の人たちが来て、イエスを罠にかけようとして言いました。「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」イエスは彼らの悪意を見抜いて言われた。「デナリオンに書かれている肖像はだれか」「皇帝です」と彼らが答えると、「そのとおり、皇帝のものは皇帝に、神のものはすべて神に返さなければなりません」とイエスは言われました。
グッド復活についての問答
復活を否定するサドカイ派の人々がイエスに尋ねました。「モーセは『跡取りを残さずに死んだら、その弟が兄嫁と結婚して兄の跡継ぎを設けよ』言った。さて7人の兄弟がだれも跡取りを残さず死に、その7人の兄弟と結婚した妻もついに死んだ。復活の時、その妻はだれの妻になるのか」と。イエスは「復活の時は結婚などなく、皆が天使のようになるのだ。神は『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と言い、『〜であった』と言っていない。神は死んだ者の神ではなく、生きた者の神なのだ」と答えられました。群衆はイエスの教えに驚きました。
グッド最も重要な掟
ファリサイ派のある人が「モーセの律法で最も重要な掟は何か」と尋ねました。イエスは「『心を尽くして、精神を尽くして、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』そして『隣人をあなた自身のように愛しなさい』この二つが最も大切で、これを守れば全て守ったことになるのだ」とお答になりました。
グッドダビデの子についての問答
ファリサイ派の人々が集まっている時にイエスは尋ねられました。「メシアは誰の子か」彼らは「ダビデの子です」と答えると、イエスは「ではどうしてダビデがメシアを主と呼んでいるのだろうか」と。だれも答えることができず、その日からイエスに質問する者はありませんでした。

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【聖書】マタイ21章

マタイによる福音書21章・・・・・・主に用いられた子ろばのごとく
「主がお入り用なのです」マタイ21:3

くぅ〜ママのちょっと一言
主がお入り用なのです」とは旧約聖書のゼカリヤ書に書かれています。イエスは立派な馬でもなく、戦車でもなく、子ロバにのって都エルサレムに入城されました。沿道では人々が「ホサナ、ホサナ、ダビデの子」と歓喜の声をあげます。ホサナとは「救いが私にあるように」という意味です。その中を小さな子ロバは胸をはって、足を踏ん張って得意顔でイエス様をお乗せしたのではないかと想像します。 わたしも「主の用なり」というみ声にしっかりとお応えしながら、信仰生活を続けていきたいと思います。

聖書要約
グッドエルサレムに迎えられる
一行がエルサレムに近づいた時、イエスは「村に入ると一頭のろばが子ろばとつないである。そのろばを連れて来なさい。もし何をしているのかと言われたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」と言われました。弟子たちは言われたとおり、ろばを連れてきて、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになりました。大勢の人が自分の服を道に敷き、イエスに従いまいた。「ダビデ王の子にホザナ、主をほめたたえよ」と叫びました。
グッド神殿から商人を追い出す
イエスは神殿に入り、境内で商売をしていた者たちを追い払われ「わたしの神殿は祈りの家を呼ばれるべきなのに、あなた方は強盗の巣にしている」と言われました。すると体の不自由な人たちがやってきたので、彼らを癒されました。祭司長やユダヤの指導者がやってきて、不思議な奇跡や子どもたちまでが「ダビデの子にホザナ」と言っているのに腹を立てて、イエスに抗議しました。
いちじくの木を呪う
朝早く都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられましたが、道端のいちじくの木には葉しかありませんでした。イエスが「お前には実がならないように」と言われるとたちまち枯れてしまいました。弟子たちは驚きましたが、イエスは「信仰を持ち疑わないなら、いちじくに起こったようなことばかりでなく、求めるものはなんでも与えられる」と言われました。
グッド権威について
イエスが神殿で教えておられると祭司長は長老がやってきて「何の権威でしているか」と聞きました。イエスは逆に尋ねました。「バプテスマのヨハネは神から遣わされた者か、単なる人か」と。彼らは答えることができませんでした。イエスも「それならわたしもさっきの質問には答えません」と言われました。
グッド「二人の息子」のたとえ
イエスは彼らに別の質問をしました。「ぶどう園で働くように言われた二人の息子がいた。兄は『行ってきます』と言ったのに行かなかった。弟は『行くのは嫌です』と言ったけど、思いなおして働きに行った。父の言うことを聞いたのはどちらか」と。彼らは「弟だ」と答えました。「バプテスマのヨハネが来て悔い改めるように言ったが、あなた方は聞かなかった。徴税人や売春婦は言われたとおりにした。もう一つ例え話をしよう。『農園主が農夫にぶどう畑を任せて外国に行った。収穫時期に代理人を送って自分の取り分を受け取ろうとしたが、農夫たちは袋叩きにしてしまった。さらに多くの人を送ったが同様であった。農園主は自分の息子なら敬ってくれるだろうと送りだしたが、農夫たちは息子を殺してしまった。農園主が帰ってきたらどうなるだろうか』彼らは『ちゃんと小作料を払う他の農夫たちに貸すでしょう』と答えた。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」と聖書に書いてあるように、神の国はあなた方から取り上げられ、ふさわしい実を結ぶ者に与えられます。祭司長たちはこれを聞いてイエスを捕えようとしましたが、群集を恐れてできませんでした。

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