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【聖書】ヨハネ18章

ヨハネによる福音書18章・・・・・・王なる主イエス
「真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」・18:37

くぅ〜ママのちょっと一言
18章では食事をしていた2階の広間から、いつも弟子たちと行かれたオリーブ山に場面が移ります。
そこでユダが率いてきたイエスとイエスを捕えようとした者たちとの間にやり取りがありましたが、イエスの言葉を聴いて、彼らは後ずさりして地に倒れます。なぜなら「それはわたしです」という言葉は「エゴー・エイミ」という神の神聖を表す独特の響きを持った言葉だったからとのことです。イエスは父がお決めになった通り、十字架に架かるために捕えられました。一方イエスの後をひそかにおってきたペトロは鶏が鳴く前に3度「イエスを知らない」と言ってしまいます。ペトロはこの失態に打ちのめされ、心から悔い改めます。その後、復活のイエスに会い、赦され、主のしもべとして大きな働きをします。
だれでも失敗をすることがあります。赤面するような失敗、申し訳が立たないような失敗、もう立ち上がることが出来ないほど打ちのめされるような失敗…そのような失敗をした時にどうするかが人生の鍵を握っていると思います。失敗をイエスに申し上げ、赦しを請い、悔い改め、イエスに執り成していただき、新たな力をいただいて前に進むことだと思います。

聖書要約
グッド裏切られ逮捕される
食事の後、イエスと弟子たちはオリーブ山に行かれました。イエスを捕えようとして、ユダが祭司長や兵隊を連れてやってきます。イエスは「だれを探しているのか」と尋ねられました。「イエスを探している」という答えに対して、イエスは「わたしである」と答えられます。彼らはその言葉を聴いて、後ずさりして地に倒れます。
グッドイエス 大祭司のもとに連行される
イエスは捕えられ縛られて、アンナスの所へ連行されました。アンナスは現役の大祭司カイアファの義父でした。
グッドペトロイエスを知らないと言う
大祭司の屋敷の中庭に入ることのできる弟子(ヨハネ)がいて、門の外に立っていたペトロを中に入れました。そこで門番の女にイエスの弟子だと指摘され、ペトロはそれを否定します。
グッド大祭司、イエスを尋問する
大祭司はイエスに弟子のこと教えについて尋問をしました。イエスは「わたしは隠れて話したわけではないので、わたしが言ったことは多くの人が知っている」と答えます。その後イエスは大祭司カイアファの所に送られます。
グッドペトロ重ねてイエスを知らないと言う
同じく中庭で火に当たっていた人に「お前も弟子だ」と言われてペトロは否定します。続けて大祭司のしもべに「弟子の一人だ」と言われ否みます。するとすぐに鶏が鳴きました。
グッドピラトから尋問される
イエスはカイアファのもとから総督ピラトの下に送られました。彼らは異邦人であるローマ総督の官邸に入って汚れると過ぎ越しの儀式や食事が出来なくなるので、官邸には入りませんでした。そこでピラトがイエスに個人的に尋問しました。しかしピラトはイエスの言葉を理解する事はで来ませんでした。
グッド死刑の判決を受ける
ピラトはイエスに罪を見出すことが出来ないとして、釈放するようにユダヤ人達に言うのですが、ユダヤ人はそれを拒否しました。

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【聖書】ヨハネ17章

ヨハネによる福音書17章・・・・・・永遠のいのちとは
「永遠のいのちとは、唯一まことの神であられるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」17:3

くぅ〜ママのちょっと一言
この祈りは3つに分かれています。1節から5節まではイエス自身のための祈り、6節から19節までは自分が去った後の弟子達のための祈り、20節から26節は弟子達の宣教によって信者となった人々のための祈りです。
まずイエス自身の祈りは十字架の死が御父(神)の栄光を表す機会となるようにということ。そしてまた、十字架の死は十字架を信じることによって罪赦されることを信じる者に「永遠の命」を与えることであり、永遠の命とは御父(神)と御子(イエス)を信じることなのだと祈られました。次に弟子達の執り成しの祈りは「あなたが私をお遣わしになったことを信じた弟子達を守ってください」いうこと。キリストに属する弟子達は世の人々から憎まれるようになるので、どうか彼らを守ってくださるようにと祈られました。そして信徒達への執り成しのいのりは弟子達の間にも一致があるように、そしてその一致が宣教によって救われるすべての人々の間にも及ぼされるようになるようにと祈られました。
 生きていれば、生きるほど辛いことが増えるような気がします。クリスチャンはそれを「自分に与えられた十字架」という表現をします。この十字架を、一人で背負っているとつい思いがちですが、イエスがそんな私達のために、「守ってあげてください」と神さまに執り成しの祈りをしてくださっていることを思い出したいのです。私達も友のために祈ります。私もまた祈られていることを日々感じながら過ごしています。執り成しの祈りをし合える信仰の仲間がいることは本当に心強いことです。

聖書要約
グッドイエスの祈り
イエスが弟子達に最後のメッセージを語られた後、静に祈られました。 「父よ、その時が来ました。父なる神に栄光をお返しすることができるように、わたしの栄光を現わして下さい。あなたは地上の全ての人を支配する権威をわたしに与えて下さいました。だからわたしは彼らに永遠の命を与えます。永遠の命を得る方法は、唯一、まことの神であるあなたと、あなたがお遣わしになったわたしを知ることです。わたしはあなたが言われたことを全てやり遂げてあなたの栄光を現わしました。
あなたがこの世から選び出された人たちに、あなたのこと全てを話しました。彼らはわたしの言葉を守り、彼らはわたしの全てはあなたが与えて下さったものであることや、わたしがあなたから遣わされた者であることを信じました。彼らのためにお願いがあります。わたしがこの世を去り、あなたのもとに帰りますが、その後、彼らを守って下さいますように。わたしが一緒にいた時は、一人一人を守りました。(滅びの子以外は…)そしてわたしが去るにあたって、彼らの心がわたしの喜びでいっぱいになるように出来るだけのことを話し、あなたの命令を伝えました。すると世間は彼らを憎むようになりました。彼らがこの世と調子を合わせないからです。彼らをこの世から取り去ってやってほしいとは願いません。ただサタンから完全に守ってやってほしいのです。あなたがわたしをこの世に遣わしたように、わたしも彼らをこの世に遣わします。彼らが清い者として成長できますように。
彼らだけではなく、彼らの話を聞いてわたしを信じる全ての人が、心を一つにして、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じることができますように。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしのうちにいてくださる時、わたしたちは完全に一つになることができます。その時、世間はあなたが、わたしだけでなく、彼らも愛しておられることを認めるようになります。彼らにわたしの栄光を見させて下さい。天地が造られるまえからあなたが下さった栄光を。世間はあなたを知りませんが、わたしも彼らもあなたを知っています。あなたの大きな愛が彼らを包み、わたしも彼らのうちにいられますように。

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【聖書】ヨハネ16章

ヨハネによる福音書16章・・・・・・聖霊に導かれて希望の人生を
「あなた方はこの世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」16:33

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスが去り、頼るべき方が無くなった弟子たちに、イエスは助け主、聖霊なる神を送ってくださいました。その後の弟子達の素晴らしい様子はこの後の使徒言行録に見ることが出来ます。
この助け主によって「罪」と「義」と「裁き」が明らかにされます。…イエスに反逆することに罪の根源がある。…イエスが義である事(正しいこと)を十字架と復活を通して明らかにされる。裁き…イエスの死と復活の後は今まで世を支配していた悪が裁かれることになる。などその他にも色々なことが明らかにされると弟子達に語られました。イエスを信じる信仰によってイエスが遣わして下さる聖霊に導かれる人生を歩みたいと思います。聖霊が働かれる時、自分でも信じられないほど力が与えられます。またイエスの言葉を受けて「信じます」と信仰を告白した弟子に語られた「あなた方はこの世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と力強い言葉を今日も聞き続けたいと思います。

聖書要約
これから起こることに対して、あなたたちがつまづくことがないように語っています。あなた方を会堂から追放し、あなた方を殺す者はみな、自分こそ神に仕えている者だと思っています。それは彼らが父もわたしも知らないからです。その時が来た時にあなた方が思い出すように語っているのです。
グッド聖霊の働き
今、わたしはわたしをお遣わしになった父のもとに行こうとしています。あなた方は悲しみのあまり「どこに行くのか」と聞かないのでしょう。わたしが父のもとに行くのはあなた方にとって一番いいことです。それはわたしが父のもとから、助け主なる聖霊をあなた方に遣わすからです。その方は、世間の人々に罪と義と裁きについて明らかにします。聖霊はあなた方を導いてこれらのことやこれから起ることについて悟らせてくれます。
グッド悲しみが喜びに変わる
しばらくするとわたしは去り、見えなくなります。しかし、またあなた方はわたしを見ます。「いったい何のことだろう」とひそひそささやく弟子たちにイエスは「あなたがたが悲嘆にくれる時は、この世の人々は喜びます。しかしあなたがたがわたしと再会する時は悲しみが大きな喜びに変ります。まるで産みの苦しみの後の喜びのようなものです。それはだれにも奪われることのない喜びです。その時にはなんでもわたしの名によって父に願い求めなさい。父はお与えになります。
グッドイエスは既に勝っている
わたしはこれまでたとえを使って話してきましたが、そんな必要はなくなります。その時は父のことを全て話しましょう。そして、わたしを通しではなく、直接父に願い求めなさい。わたしが父のもとから来たことを信じるあなたたちを、父も心から愛して下さるからです。わたしは父のもとから来たので、父のもとに帰るのです。弟子たちは「そのことなら分かります」と答えると、イエスは「ようやく信じるようになったのか。しかしあなたがたは散らされて一目散に自分の家に逃げ帰る時が間じかに迫っています。しかし安心して下さい。わたしは独りではありません。父が共におられますから。そしてイエスは「あなたがたはこの世では苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と言われました。

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【聖書】ヨハネ15章

ヨハネによる福音書15章・・・・・・わたしはぶどうの木
「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である。」15:5

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスが十字架に架かられた後も、弟子達が信仰生活を続けていくことが出来るように語られたのがこのぶどうの木のたとえです。「わたしはまことのぶどうの木」とイエスは言われます。この「まこと」というのは、人類の救いを完全に完成させるという意味とのことです。
「豊かに実を結ぶ人生」が聖書には約束されています。それはイエスにつながり続けること。すなわち、それはイエスの愛の中に留まりつづけることなのです。なんと明解な答えでしょう。「努力しなさい」とか「いい学校に進学しなさい」とか「善行に励みなさい」とかでなく、イエスの示された愛の掟である「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」を守ることなのです。そのように生きる者をイエスは「友」と呼んでくださいます。それも「わたしがあなたがたを選んだ(あなたがたがわたしを選んだのではない。)」と言ってくださるのです。またそのように生きていくことがイエスの弟子である証拠とのこと。
イエスは弟子達がこれから行う福音宣教のために遭う迫害や反対に対して彼らを助ける聖霊についても語られました。

聖書要約
グッドイエスはまことのぶどうの木
(イエスは言われました。)「わたしはまことのぶどうの木、父(神)は農夫である。父は実らない枝をみな切り落とし、実のなる枝はもっと実がなるように手入れされる。あなた方はわたしの命令を聞いて、すでに手入れされた者である。これからはわたしの内に留まって生きるように心がけなさい。枝は幹につながっているから多くの実を結ぶことができるように、人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていればその人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れてはあなた方はなにも出来ない。わたしの命令に従うなら、なんでもほしいものを。求めなさい。きっとかなえられる。本当のわたしの弟子は実をいっぱい結び、そのことによって父なる神が大いにほめたたえられるのである。父がわたしを愛されたように、わたしもあなた方を愛してきた。わたしの愛に留まり、わたしの掟を守りなさい。わたしの掟である「わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。友のために自分の命を捨てること、これ以上の愛はない。」このことを行うな、らあなた方はわたしの友である。友だから、父から聞いたことを全てを知らせたのだ。あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのだ。」
グッド迫害の予告
あなた方はこの世の人々から憎まれます。あなたがたより先にわたしがそうされたことを覚えなさい。あなた方をわたしがこの世から選び出したのです。わたしの弟子と言うだけであなた方は迫害されます。あなた方を迫害する者たちは、すでにわたしの言葉を聞き、奇跡の数々を見たにもかかわらず、わたしを憎み父を認めなかったのですから、彼らの罪に対する言い訳はできません。「人々は理由もなく、わたしを憎んだ」と言う預言が実現したというわけです。わたしが助け主なる聖霊を遣わしますから、その時全てが理解されます。あなた方もわたしと初めから一緒にいたのですから、全てのことを人々に語りなさい。

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【聖書】ヨハネ14章

ヨハネによる福音書14章・・・・・・天国への道
「わたしは道であり、真理であり、命である。」14:5

くぅ〜ママのちょっと一言
「心を騒がせるな」という言葉が1節と27節に出てきます。十字架の死を目前にして、弟子たちが動揺することを予測してイエスがおっしゃったのです。イエスが地上を去っていかれる目的は弟子達(わたし達人類)に永遠の命が与えられるという祝福が完成するためです。それはわたし達が永遠に神と共に住み、神を喜ぶことが出来るようになること。そのために天に場所を用意しに行くとおっしゃるのです。トマスが「どうしたらそこに行けるのか」と尋ねます。トマスは空間的な道を思ったのでしょう。イエスの答えは「私が道であり、真理であり…」でした。神への道は神を知ること。それはイエスを知るということなのです。そしてイエスが去った後、父に頼んで聖霊、助け主なる神を送って下さるとおっしゃいます。地上では助け主が導いてくださり、天を見上げれば、わたしたちの永遠の住まいがもう既に用意されているのです。そこは子ども賛美歌の「まもなくかなたの」の歌詞にあるように「水晶より透き通る流れ」がある素晴らしいところだろうと思います。この地上での生活が終われば、そんな素晴らしい天国が約束されていることを楽しみにしながら、神様から「天国に帰っておいで〜」と、お声をかけていただくその日まで、主の戒めである「私があなた方を愛したように互いに愛し合いなさい」の御言葉を精一杯守って生きたいと思います。

聖書要約
グッドイエスは父に至る道
この先どんなことがあっても、心を騒がせてはいけません。神を信じ、何もかもわたしに任せなさい。父(神)のおられるところには家が沢山あります。わたしはあなたたちを迎える家を準備しに行くのです。準備が出来たら迎えに来ます。わたしがどこに行くのか、どうしたらそこに行けるのかあなた方なら分かると思います」とイエスが言われると、トマスが言いました。「私たちには全然わかりません」と。イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父の下に行くことができない。」と教えられました。フィリポが「御父をお示しください。」と言うと、イエスは「わたしを見た者は父を見たのです。わたしが父の内におり、父はわたしのうちにおられます。わたしが行った奇跡の数々を思い出したら分かるでしょう」また「わたしを信じる者はそれ以上の奇跡を行うことができます。そしてわたしの名前によってどんなことでも願い求めなさい。必ずかなえてあげます」と言われました。
グッド聖霊を与える約束
イエスは言われました。「わたしを愛するなら、わたしの戒めを守りなさい。わたしは父にあなた方に助け主を送って下さるようにお願いしよう。その助け主は絶対あなた方から離れることはありません。世間の人々は聖霊を受け入れません。聖霊を求めることもなければ認めることもしないからです。しかしあなた方は違います。わたしはこの世を去りますが、あなた方を孤児にはしません。それにわたしはまた必ず帰ってきてきます。わたしに従い、私の戒めを守る人はわたしを愛する人です。わたしを愛する人を父は愛して下さいます。そのような人にわたし自身を現わします。」するとユダ(イスカリオテのユダでない)が「なぜ世間の人にご自分を現わされないのですか」と聞くと、「わたしを愛し、わたしの言葉を守る人にだけ、私は自分を現わし、父もその人を愛します。そしてわたしはその人と一緒に住みます。わたしの代わりに助け主が送られる時にわたしが話したことが全て分かるでしょう。わたしが去る前にあなた方への贈物があります。それはわたしの平和、この世が与えるものとは比べ物にならないほどの平和です。だから心を騒がせてはいけません。わたしがこの世を去り、父の下に行くことを喜んでほしいのです。あまり時間がありません。この世の悪の支配者が近づいています。わたしは父を愛しているので、父がせよとおっしゃることを実行します。さあ、立って出かけましょう。」と。

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【聖書】ヨハネ13章

ヨハネによる福音書13章・・・・・・一わたしがあなた方を愛したように
「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」13:34

くぅ〜ママのちょっと一言
13章はイエスの告別説教です。それは十字架を前にした最後の晩餐の席で行われた弟子達の足を洗うという感動的な光景から始まります。人の足を洗うという行為は当時奴隷がすることでした。
聖書は「私達がどのように生きていくことが幸せなのかが書かれている書物」と言えますが、その答えが「イエスに倣って生きる」ということなのです。この13章はイエスが生き方を示してくださった箇所です。傲慢な心、名声を得たい、評価されたい、他の人と比較されたくないにもかかわらず、自ら比較して優位に立ちたい、そんな人間の本質を考えると「人の足を洗う」生き方はなかなかできるものではありません。しかし「主であるイエスがされたのだから」というところに立つことで出来そうな気がします。最後にイエスが示された新しい掟も「互いに愛し合いなさい」ですが、その前に「わたしがあなた方を愛したように」、が付け加えられました。イエスを模倣する生き方をし続ける人生でありたいと思います。うまくいかなくても気を落とさず、再チャレンジの人生でありたいです。

聖書要約
グッド弟子の足を洗う
過越祭の前にイエスはこの世を去って父の下に帰る時が来たと覚悟を決められ、弟子たちをこよなく愛し抜かれました。夕食の出来事です。この時すでにサタンがイスカリオテのユダの心にイエスを裏切る考えを抱かせていました。イエスは食事の席を立ち上がり、たらいに水を汲んで弟子達の足を洗われました。しかしペトロが「先生に足を洗ってもらうなんてもったいなくて」と拒否しますと、「わたしがしていることが後で分かるようになります。」と。それでもペトロが拒否すると、イエスは「ではわたしと関係がなくなりますよ」と言われて、ペトロは「では手も頭も」と言います。「足だけ洗えば全身は清い。しかし皆が清いわけではない」と、裏切る者がいることを言われました。そして「主であり、師であるわたしが足を洗ったのですから、わたしが模範を示したように、あなた方も足を洗い合いなさい」と言われました。へりくだって行うことが祝福への道です。しかし全員に言っているのではありません。「わたしと同じパンを食べている者がわたしを裏切った」と言う預言通りのことが起ります。あなた方がわたしを信じられるようにそのことを先に話したのです。「わたし(イエス)を受け入れる人は神を受けいれることである」とイエスは言われました。
グッド裏切りの予告
それからイエスは「あなた方のうちの一人がわたしをの裏切ります」と言われます。ペトロがイエスの横に座っている弟子(ヨハネ)に、誰か尋ねるように合図しました。弟子が聞くとイエスは「わたしがパン切れを浸して与える人がその人だ」と言われ、イスカリオテのユダにパンをお与えになりました。ユダはパンを受け取るとサタンがユダの心に入り、すぐに闇夜に出て行きました
グッド新しい掟
ユダが出て行った後、イエスは言われました「神の栄光がわたしに現れます。そしてわたしの身に起ることで神の御名が崇められるでしょう。もう時間がありません。あなたたちを残して行かなければなりません。新しい掟をあなたたちに与えます。『わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。そのことによってわたしの弟子であることが皆に知れるように』」と言われました。
グッドペトロの離反を予告する
「どこに行かれるのですか。わたしはあなたのためなら命を捨てます」というペトロにイエスは「鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしのことを知らないと言う」と予告されます。

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【聖書】ヨハネ12章

ヨハネによる福音書12章・・・・・・一粒の麦
「一粒の麦が落ちて死ななければ一粒のままであるが、死ねば多くの実を結ぶ。」12:24

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスに会いたいとギリシャ人がやってくるのですが、これがイエスの最後の公的説教になります。ユダヤ人に対してだけでなく、ギリシャ人を含めた全ての人々に告げられた説教と言うことで意味深いと思います。「一粒の麦」の説教は一人の人(イエス)の犠牲の死を通して、全世界の人々に永遠のいのちが与えられるという意味です。三浦綾子の著書「塩狩峠」では主人公の長野政雄が逆走する一両の電車を自分の身体でとめて人々の命を救います。その一人の人の犠牲から神の愛が大きく広く示されました。私たちは、命を投じて何かをするということはないにしても、自我を捨てて、ひたすら人のことを思う気持ちや行動が多くの愛の実を結ぶ。そんな生き方がしたいと思います。

聖書要約
グッドベタニアで香油を注がれる
過越祭の6日前にイエスはラザロ、マルタ、マリアの家に行かれました。マリアが純粋なナルドの香油の瓶を持ってきて、それを割り、イエスの足に塗り、髪の毛で足をぬぐいました。それを見たイエスを裏切ろうとしているイスカリオテのユダが「この香油を売ってなぜ貧しい人々に施さないのか」と非難します。ユダは会計を任されていたのですが、使い込んでいました。イエスは「したいようにさせてあげなさい。わたしの葬りの準備をしてくれたのです。わたしはあなた方とはそんなに長くはいられないのですから」と言われました。
グッドラザロに対する陰謀
多くのユダヤ人がラザロが生き返ったことによってイエスを信じるようになった為、祭司長たちはラザロをも殺そうと考えていました。
グッドエルサレムに迎えられる
その翌日、イエスがエルサレムに入場されると聞いた群集はなつめやしの枝(しゅろの木の枝)を持って大歓声で出迎えました。イエスは旧約聖書の預言の通り、小さなロバに乗ってエルサレムに入られました。
グッドギリシャ人、イエスに会いにくる
祭りに来ていたギリシャ人がイエスに会いたいとやってきました。イエスは彼らに語られました。「一粒の麦が落ちて死ななければ一粒のままであるが、死ねば多くの実を結ぶ。地上の命に執着しなければ代わりに永遠の栄光を受けるのです。わたしに仕えようとする者はわたしに従いなさい。そのような者を父なる神は重んじて下さいます。」と。
グッド人の子は上げられる
「行く手に待ち構えていることから救って下さい」と祈るべきか、それともそのためにわたしは来たのですから、あなたの御名が崇められるようにと祈るべきかとイエスが言われた時、天から声がしました。「再び栄光を現わそう」と。そしてイエスは人々に「裁きの時が来ています。この世の支配者が追放されます。そしてわたしが十字架に上げられる時全ての人をわたしの下に引き寄せよう。世の光としてこの世に来たわたしがあなた方と一緒にいる間にわたしを信じて光の中を歩みなさい」と言われました。
イエスを信じない者たち 預言者イザヤが預言したとおりに人々は信じることが出来ませんでした。
グッドイエスの言葉による裁き
(ユダヤ人に語りかけた最後の言葉)「わたしの言葉を守らない者がいても裁きませんが、わたしを拒否し、わたしの言うことを受け入れない者は裁かれます。わたしの語った真理がその人を裁くのです。その真理は神が語れとお命じになったことであり、神の命令は人を永遠の命へと導きます。」と。

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【聖書】ヨハネ11章

ヨハネによる福音書11章・・・・・・永遠の命を与えるために
「わたしは復活であり、命ある。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」」11:25

くぅ〜ママのちょっと一言
ラザロ危篤の知らせを聞いたイエスは「この病気は死で終わるものではない。神の栄光の為である…」と言われました。英訳ではThe final result of this sickness will not be death of Lazarusとなっています。この病気が回復するのか死に至るのか、どちらにせよ。神の栄光が現わされる結果となるというすばらしい宣言だと思います。 
ラザロの死に際してはマルタが「終末における復活」を考えていたのに対して、イエスがおっしゃったのは霊的な命についてでした。人間の肉体の命は死に向っていますが、霊的な命は、イエスの死と復活を信じることによって永遠の命が頂けるのです。
イエスはマリアとマルタの悲しみに触れられて、心が激しくゆさぶられ、涙を流されます。この所の解釈は諸説あるようですが、「人間は死ななければならない存在である」こと、また「人類の最後の敵である死」がマルタたちを支配している現実に心を痛められたとのこと。しかしイエスはこの死を滅ぼして永遠の命を人類に与える為にこの世に来られたのです。

聖書要約
グッドラザロの死
以前、イエスに香油を注ぎ髪の毛で足をぬぐったマリアには姉のマルタとラザロと言う兄弟がいました。ラザロが病気になったとイエスに知らせが届きます。イエスはそれを聞いて「この病気は死で終わるものではない。神の栄光の為である。」と言われました。イエスはすぐに出立せず、二日間そこで滞在してから、弟子たちに「さあユダヤに行こう」と言われました。ラザロの住むベタニアはエルサレムからわずか三キロのところにあります。弟子達はユダヤの指導者たちがイエスを殺そうとしており、ラザロのところに出かけることを止めようとしますが、イエスは昼間のうちに歩むことで(神さまからいただいた持ち時間内であることで)安全にベタニアに行くことができると語られました。そして「眠っているラザロを起こしに行こう」と言われました。弟子たちは病気が快復した勘違いしましたが、イエスは「ラザロは死にました。このことであなたがたがわたしを信じる機会をまた得ることになります。」と言われました。ふたごというあだ名がついているトマスが「先生と一緒に死にに行こうではないか」と弟子たちを奮い立たせました。
グッドイエスは復活と命
ベタニアについたときには、ラザロが死んで4日も経っていました。マルタとマリアのところには多くのユダヤ人が慰めに来ていました。マルタはイエスが来られたのを聞いて、迎えに出ました。「主よ、あなたがここにいてくださいましたら、兄弟は死ななかったでしょう。」とマルタが言うと、イエスは「あなたの兄弟は復活する」と言われました。マルタは「終わりの日には復活することは知っています」と答えました。しかしイエスは「わたしは復活であり、命ある。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」と言われました。
グッドイエス涙を流す
マルタはマリアを呼びに行きました。マリアが急に立ち上がって出ていったので、墓に泣きに行くのだろうとユダヤ人たちも後を追いました。マリアはイエスを見るなり足元にひれ伏して「主よ、あなたがいて下さればラザロは死なずにすんだでしょう」と泣き崩れました。イエスはマリアとマルタの悲しみに触れられて、心が激しくゆさぶられ、涙を流されました。それを見た人々は「イエスがラザロをどんなに愛しておられたことか」と言う者もいれば、「盲人を見えるようにしたイエスでもラザロを死なないようには出来なかった」と言う者もいました。
グッドイエス、ラザロを生き返らせる
墓に来られたイエスは石を取りのけるように言われます。「もう四日も経っているので、ひどく臭うでしょう」というマルタにイエスは「もし信じるなら、神のすばらしい奇跡を見ると言ったではないか」とおっしゃいました。そして石が取り除けられるとイエスは天を仰いで「父よ、私の願いを聞き入れて下さって感謝します。あなたがわたしをこの世にお遣わしになったことを彼らが信じることができるように」とおっしゃって「ラザロ、出て来なさい」と大声で呼ばれました。すると亜麻布にくるまれたままラザロが出てきたのです。
グッドイエスを殺す計画
マリアの所に来ていたユダヤ人たちの多くはイエスを信じました。中にはファリサイ派の人々の下に行き、このことを告げる者もいました。ユダヤの宗教家達はイエスの行う奇跡によってすべての国民が彼を信じるようになって国内が混乱を招いたら、ローマ軍によって我々は滅ぼされるかもしれないと考えました。するとその年の大祭司カイアファが「一人の人間が死ぬことで、国民全体が滅びないですむ方が良いに決まっている」と言いました。イエスがすべての民に代わって死ぬことをカイアファが預言したのです。これはカイアファ自身の言葉ではなく、そう言うように聖霊に導かれたのです。イエスを殺すことが決定的になります。イエスは公に活動できなくなりました。

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【聖書】ヨハネ10章

ヨハネによる福音書10章・・・・・・どの「羊の囲い」に属しているのか
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」10:11

くぅ〜ママのちょっと一言
ユダヤ人たちは律法のとりこになっていたので、イエスの新しい福音を理解する事はで来ませんでした。いらいらしてイエスに詰め寄ります。しかし彼らはイエスのことばを理解できず、信じることはできませんでした。
イエスはわたしは良い羊飼いだと言われます。囲いの中はおいしい青草が生えている緑の牧場です。囲いの外にいた者もこの中に入ってもいいのです。この良い羊飼いの囲いに属する者は豊かな人生と永遠の命が与えられるのです。しかしイエスの群れに属さなければイエスを信じることはできません。イエスを信じたからイエスの群れに属するのではなく、まずイエスの囲いの中に入り、イエスに属する必要があるのです。

聖書要約
グッド「羊の囲い」のたとえ
イエスはファリサイ派の人々に言われました。「羊の囲いに入るのに門から入らないのは盗人や強盗です。羊飼いは「門」から入り、羊の名前を呼ぶ、羊はその声を聞き分けます。」と。
グッドイエスはよい羊飼い
イエスは言われました「わたしは羊を安全な囲いに導きいれる「門」です。だれでもわたしを信じてこの「門」から入るなら救われ、豊かな命が与えられます。」また言われました「わたしは羊飼いです。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。雇った羊飼いは、羊のことを心にかけていないので平気で逃げます。わたしは自分の羊を良く知っています。羊もわたしのことを知っています。私が父を知り、父が私を知っているのと同じです。そして別の囲いの羊も導き、やがて一つの群れになります。わたしは「いのちを再び得るために命を投げ出します。父はそれを喜ばれます。だれも私を殺すことはできません。わたしは自由に命を捨て、それを得る権威と力を父なる神から頂いているのです。
ユダヤ人たちはこのように話すイエスを悪霊に取り付かれているという人もいれば、悪霊に取り付かれているなら盲人の目を開くことはできないという人もいました。
グッドユダヤ人、イエスを拒絶する
イエスが神殿の回廊を歩いておられると、ユダヤ人がイエスを取り囲みました。「もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」と。イエスは「私が言ってもあなた達は信じない。父の名によって行っている奇跡を見ればわかるでしょう。あなたたちはわたしの群れに属さないから分からなくても仕方ありません。わたしの声を聞き分けて従ってくる者には永遠の命が与えられ、絶対に滅びません。父がわたしにくださった群れですからだれも奪うことはできないのです。わたしと父とは一つです」」と言われました。イエスの声を聞き分けることができないと言うことは、彼らはイエスの羊ではないということですし、イエスを信じることができないのとイエスは言われるのです。それを聞いて、ユダヤ人はイエスを石で打ち殺そうとしました。イエスが「わたしは沢山の人たちの病気を治しました。わたしが行ったどの業のために打ち殺されなければならないのか」と聞くと、彼らは「神を冒涜したから」と言いました。イエスは彼らの手を逃れて、ヨハネがバプテスマを授けていたところに行かれたのですが、沢山の人が集まってきました。そしてヨハネは奇跡を行わなかったが、彼がイエスについて言ったことは本当だった」と多くの人がイエスを信じました。

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【聖書】ヨハネ9章

ヨハネによる福音書9章・・・・・・霊の目が開かれるために
「神の業がこの人に現れるためである」9:3

くぅ〜ママのちょっと一言
納得いかないことや不都合なことに対して、わたしたちは「なぜ?」と原因を考えます。「自分が一生懸命取り組まなかったから」とか、または「前世の因縁」まで持ち出して様々な原因をよぎらせます。この盲人に対して弟子は盲人であることの原因を尋ねました。しかしイエスの答えは盲人である事の目的でした。それは神さまの御業が現れるためなのです。わたしたちにとっては不都合なことであっても、それは神からの大切なご計画のためであると受け止めることができれば、嫌なことの中にも希望が見えてきます。イエスが遣わされたのはそのようにわたしたちの霊の目が開かれるためだったのです。

聖書要約
グッド生まれつきの盲人を癒す
イエスが通りすがりに生まれつき目の見えない人を見かけられました。弟子が「この人が目が見えないのはだれが罪を犯したのですか。本人ですか、両親ですか」と尋ねます。イエスは「だれかが罪を犯したのではなく、神のみ業がこの人に現れるため」とおっしゃいました。また「わたしがこの世にいる間は、光を与え続けます。まだ光がある間にわたしをお遣わしになった方から頂いた仕事を急いで成し遂げなければなりません」と言われて、泥をこねて盲人の目に塗って「シロアムの池に行って洗い落しなさい」と言われました。その通りにするとその男は見えるようになって戻ってきました。それを見た人々はびっくりしました。
グッドファリサイ派の人々、事情を調べる
人々が男をファリサイ派の人たちのところに連れて行きました。目を見えるようにされたのが安息日だったのです。ファリサイ派の人々は男が見えるようになったいきさつを一部始終聞きました。彼らの中には「安息日に仕事をしたと言うことは神から遣わされた者ではない」と言う者もいましたし、「普通の人間に出来るはずがない」と言う者もいました。そこで仕方なく男に尋ねると「このようなことを行えるのは神さまから遣わされたに違いない」と答えました。怒りを覚えてその両親にも尋ねましたが、「わからない。本人にお聞きください。もう大人ですから」との答え。彼らはイエスを信じる者は会堂から追放すると決めていたので、両親はそれを恐れたのです。もう一度男を呼んで「イエスを信じないで神を信じなさい。イエスは悪党だ」ときつく言いましたが、男は「イエスが悪党かどうか知りませんが、はっきりしていることは、見えなかった目が今は見えるようになったことです。」と言いました。それに腹を立てたファリサイ派の人々はもう一度どのようにイエスが見えるようにしたかを聞きました。男は「そのことはすでに話したではないですか。あなた方はイエスの弟子にもなりたいとでもいうのですか」と返すと、ファリサイ派の人々は「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。あの者のことは知らない」とののしりました。男は「あなた方があの方のことを知らないとは驚きました。神は悪人の言うことをお聞きになるはずがありません。神から遣わされたかたです。」と言いました。
グッドファリサイ派の人々の罪
そのようなやり取りがあったことをお聞きになったイエスは男を捜し出して、「メシアを信じるか。わたしがメシアだ」と言われました。男は「信じます」と答えました。イエスは「わたしがこの世に来たのは、見えない人を見えるようにするため、また見えると思っている人たちに実は見えていないことを分からせるためです」と言われました。ちょうど居合わせたファリサイ派の人々は「私たちが盲目ということか」と怪訝そうに言うと、イエスは「盲目だったらまだ罪に問われない。何もかも分かっていると言い張ることが罪なのだ」と言われました。

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