<< August 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
【聖書】出エジプト記18章

出エジプト記18章・・・・・・疲れ過ぎなないために
「このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。」18:18

くぅ〜ママのちょっと一言
民の訴えを聞くために一日中を費やしているモーセを見て、エトロは心配になりました。それはモーセも民も疲れてしまうということと、神のみ前に立つという大切な使命がおろそかになるという二つの問題を感じたのでしょう。確かにこの世で身を粉にして働き、人の相談も次々と受け、事務仕事をこなし…と言う生活をしていると、疲れ果て、心が乾いてしまうことがあります。そんな中で大切なことは、仕事の優先順位を間違わないこと。そして神の前に静まる時間を持つことです。生きる動機が明確になって新たな力と潤いが湧いてきます。また歩調に合わせて主が伴って下さっていることを確信して前進したいと思います。

聖書要約
エトロのモーセ訪問
モーセのしゅうとで、ミディアンの祭司のエトロが、神がモーセとイスラエルの民になされたすべてのことを聞いて、神の山で宿営しているモーセを訪ねてきました。先に送り返されていたモーセの妻と二人の息子も連れてやってきました。モーセは主がイスラエルをエジプトから救い出すためにされたことをエトロに告げました。するとエトロは喜び、主をたたえて歌いました。そして焼き尽くす奉げものを奉げ、アロンや長老達も交えて、食卓を共にしました。
翌日多くの民が訴えを聞いてもらおうと、モーセの前に列を作っているのを、エトロは見て、モーセに助言します。「モーセは神の前で静まって祈り、神の言葉を民に取次ぎなさい。そして民の訴えは、敬虔で有能、私利私欲のない誠実な人を選び、10人、50人、100人、1000人のグループ別に責任者として問題の解決に当たらせ、それでは解決しないような大きな問題だけをモーセが扱うようにしなさい。」と。それをモーセは聞き入れます。そのような時を過ごし、エトロは帰っていきました。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記17章

出エジプト記17章・・・・・・主による勝利を確信して
「モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、モーセが手を下すと、アマレクが優勢になった」17:11

くぅママのちょっと一言
イスラエルの民がアマレクからの攻撃を受けた時、どれほど心細かったかたと思います。それはモーセの言葉から察することが出来ます。「明日わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ」戦いの勝算は主に頼ることだったのです。杖は主の力を表します。また主の臨在を現します。そして、きっぱりと主に頼る戦略をとったのは、イスラエルの民の力があまりにも弱かったからかもしれません。私自身も自分の力のなさに、うな垂れることがしばしばですが、だからこそ主に絶対の信頼を置いて、どんな時でも信仰の勝利を確信して前進したいと思います。

聖書要約
岩からほとばしる水
イスラエルの民は主の命令により、シンの荒野を出発して、レフィディムに着きました。しかしそこには水がありませんでした。また民はモーセに不平を言いました。「なぜエジプトから導き上ったのか。わたしも子供も家畜も渇きで殺すためなのか」と。モーセが主に叫ぶと、主は応えてくださいました。すなわち長老数名とともに、ナイルの川を打ったを持ってホレブの山に登り、岩を打つと、水はほとばしるように噴出したのです。そこをマサ(試しの意)またはメリバ(争いの意)と名付けました。民が「主が我々の間におられるのかどうか」と言ってモーセと争い、主を試したからです
アマレクとの戦い
遊牧民であるアマレクが宿営しているイスラエルの民に戦いを挑みました。「明日わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ」とモーセは言って、ヨシュアに戦いの準備を命じました。その戦いの最中、モーセが手を上げるとイスラエルが優勢となり、降ろすとアマレクが優勢になりました。そこでアロンとフルがモーセの手を支え続けたのです。このようにしてイスラエルの民はアマレクに勝利しました。モーセは祭壇を築き、「主はわが旗」と名付けました。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記16章

出エジプト記16章・・・・・・天よりの恵みの食べ物「マナ」
「これこそあなたたちに食物として与えられたパンである」16:15

くぅ〜ママのちょっと一言
なぜ「マナ助産院」と名付けたのですか〜とよく聞かれます。出エジプトのこの箇所からつけているのです。私は時に実習生などにはヨセフ物語から説明することもあります。このマナによって、毎日主の恵によって生かされていることを確認し、明日の事は主が備えてくださることを確信できるのです。生まれたばかりの赤ちゃんはママの胸で自分でおっぱいを見つけます。口を開けて一生懸命飲もうとする赤ちゃんに、「これはなんだ?」って、思わず話しかけます。おっぱいも神からの恵の食べ物そのものですから。

聖書要約
マナ
イスラエルの民はエリムを出発してシナイの方向に旅をして、シンの荒野に着きました。エジプトを出発してちょうど1ヶ月が経ち、2月の15日の事でした。イスラエルの民はモーセとアロンに今度は食べ物の事で不平を言ったのです。主はそれに対して、夕方にはうずら(鳥)を、朝にはマナ〈甘いパンのような食べ物)を与えられたのです。マナの意味は「これはなんだ?」という意味で、朝ごとに降ってきた主からの恵の食べ物です。毎朝ごとに1人につき1オメルが与えられたのです。多く取った者も、少なく取った者も、計ってみると、ちょうど必要な量だけありました。また明日の朝まで残しておいてはいけないと主から命じられていました。主の言葉に反して翌朝まで残しておくと、それは虫がついて臭くなっていました。また週の7日目だけは違いました。前日の6日目にはいつもの倍の量のマナが与えられて、それを料理して取っておいても、虫もつかず、臭くもなりませんでした。7日目の安息には主を覚える日としてテントの中で過ごして、一切の作業を休むように、主がされたのです。しかし7日目にもマナを探しに出た者がありますが、何も見つける事はで来ませんでした。
主はモーセに命じて、このマナ、1オメルを壷に入れて神がエジプトから導き出してくださった記念として残しておくようにされました。それは荒野でどのような食物を与えてくださったかを後の時代の人々に伝える為です。このマナの入った壷は神の箱の前に置かれました。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記15章

出エジプト記15章・・・・・・主に向かって歌え
「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現わし馬と乗り手を海に投げ込まれた」15:21

くぅ〜ママのちょっと一言
アロンの姉ミリアム(モーセの姉でもあります)がタンバリンを打ちながらの讃美をするのに合わせて、モーセ初め民みんなが心一つにして主を讃美した様子が目に浮かぶようです。前半は葦の海での主の奇跡のみ業によって民が導かれたことの感謝と喜び、後半は主が荒野を導かれたことに触れられており、後世に追加されたもののようです。
モーセもその讃美を聞きながらどんなに嬉しかったことでしょう。しかしその3日後、飲み水の事で民はモーセに不平を言ったのです。葦の奇跡を見たのであれば、たかが飲み水くらい、主が与えてくださると考えるべきことと思いますが、民はそうは思えなかったようです。しかし同じような過ちを起こすのが私たちではないでしょうか。これまでの主の導きを思うと、今、目の前にある問題など、また今後の不安など、主が必ず解決の道を与えてくださると安心して生きていきたいものです。

聖書要約
海の歌
葦の海(紅海)での出来事のあと、モーセとイスラエルの民は主を讃美して歌いました。「主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を表し、馬と乗り手を海に投げ込まれた。主はわたしの力、わたしの救い…。主よ、あなたの右の手は力によって輝き、敵を打ち砕く。憤りの風によって水はせき止められた。またあなたが息を吹きかけると、海は彼らを覆い、水の中に沈んだ。これほどくすしき御業を行われる方があるでしょうか。あなたは聖なる民を導かれ、御力をもって聖なる住まいに伴なわれた。ペリシテ、エドム、モアブ、カナンの諸国の民はこれを聞いて震えた。あなたは彼らを御手によって建てられた聖所に導かれる。」このように歌いながら、踊り歌うミリアムに続いて女達が小太鼓を持って歌います。「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた」と。
マラの苦い水
一行は紅海からさらにシュルの荒野へ出ました。3日の道のりを歩いてやっとマラに着きましたが、水が苦くて飲めません。民はモーセに不平を言いました。主の命に従ってモーセが1本の木を水に投げ込むと水は甘くなりました。
主は民に次のような条件を出しました。「あなた達がわたしに従い、正しいことを行うなら、エジプト人に下したような病をあなた達には下さない。わたしはあなた方の病を癒す者だ」と。一行はエリムにつきました。そこには12の泉と70本のなつめやしがありました。そこで人々は野営しました。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記14章

出エジプト記14章・・・・・・主が我々のために戦って下さる
「主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」14:25

くぅ〜ママのちょっと一言
前は海、後ろにはエジプトの軍勢が押し寄せます。イスラエルの人々の動揺、恐怖は如何ばかりかと察します。しかしモーセが主の救いを宣言します。その時モーセには少なからず動揺や不安があったことでしょう。そんなモーセに主が「語ってばかりでなく、イスラエルの人々を行かせなさい」とおっしゃったのではないでしょうか。私たちの人生において、足がすくんで一歩も前に進めないような出来事が起ることがあります。下を向いて心細くただ祈るばかりの時、立ち上がって前進しなさいと、主は言われているように思うのです。
イスラエルの民が立ち上がって、モーセが手を差し伸べた時、紅海の水がせき止められてイスラエルの人々が行くべき道が出来たのです。その前に御使いと雲の柱はイスラエルの後ろに回り、彼らをエジプトの追ってから守られたのです。その壮大な光景が目に浮かぶようです。

私たちも同様に主が守られることを信じたいと思います。

聖書要約
葦の海の奇跡
主はモーセに、引き返して、ミグドルと海の間にあるビ・ハヒロトの手前、バアル・ツェフォンに面したところで宿営するように言われました。イスラエルの民がそこで宿営している時に、王はイスラエル人が3日経っても帰ってくるつもりのないことに気付き、戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を指揮して、えり抜きの戦車600をはじめ、エジプトにある戦車をすべてを動員してイスラエルの民を追跡しました。
エジプトの軍勢が近づいてきた時、イスラエルの人々はモーセに、「エジプトに墓がないので、私たちを荒野で死なせる為に連れ出したのですか」と詰め寄ります。その時モーセは「恐れてはいけない。しっかり立って今日あなた方のために行われる主の救いを見なさい…」と民に語ったのです。主はモーセに言われました。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか、イスラエルの人々を出発させなさい」と。
イスラエルの部隊に先立って進んでいた御使いと雲の柱は部隊の後ろにまわり、エジプトとの間でイスラエルの民を守りました。モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は激しい東風を起こして海の水を押し返されたので、両側には水の壁ができて、その間にできた海の底の乾いた地を進んでいくことが出来ました。エジプトの戦車が追いかけてきて、海に入ってきましたが、主が軍隊をかき乱されました。「主が彼らのために戦われている。退却しよう」とエジプト人は言いましたが、モーセが主の命令に従って、海に向かって手を差し伸べると水は元に戻り、エジプト軍は海の中に投げ込まれてしまったのです。主の大いなる救いのみ業を見たイスラエル人は主を畏れ、主とモーセを信じたのです。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記13章

出エジプト記13章・・・・・・雲の柱、火の柱で導かれる主
「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」13:22

くぅ〜ママのちょっと一言
この章は出エジプトの出来事を、初子の奉献と除酵祭を通して、子々孫々伝えることの大切さが書かれています。
人々の長子はいけにえにするわけではなく、レビ人がその身代わりとして、神のために奉仕するようになります。
そしてエジプトを脱出した民を主は「火の柱」「雲の柱」をもって導かれたのです。寝ずの番をされた主は、民を離れることなく、昼は暑さから民を守り、夜は寒さから民を守って導かれたのです。
現代においても、この世の生き方から脱け出して、主に従おうと一歩を踏み出した者に対して主は必ず「火の柱」「雲の柱」をもって素晴らしい約束の地に導きいれてくださることを信じたいと思います。

聖書要約
初子の奉献
主はモーセに、イスラエルのすべての初子(人も家畜も)は主のものであると言われました
除酵祭
モーセが民に言いました。「この日こそ、主が力強いみ手を伸べて奴隷の地であるエジプトから導きだされた。このことを記念して、酵母入りのパンを食べてはいけない」と。そして、主が先祖に約束された、乳と蜜の流れる土地に導かれてからは、毎年1月半ば(アビブ)にはエジプト脱出の記念の日として7日間は酵母抜きのパンを食べ、最後の日には盛大な集会をすること。そして子どもたちにその意味を書いて、自分の額や腕につけて記憶し、口ずさまなければならないと民に告げました。
初子について
主があなたと先祖に誓われたとおり、主が約束の地に導き入れ、それをあなた方に与えられた時、初子は神に奉げなければならない。家畜の初子の雄はすべて神のものです。但しろばは犠牲獣ではなので、替わりに子羊を持って贖わなければなりません。また民の長子についてはいけにえにするわけではなく必ず買い戻すようにします。将来、あなたの子どもが「なぜこのようにするのですか」と尋ねた時、「主が力強い御手をもって我々を奴隷の地エジプトから導き出された。ファラオがかたくなで、なかなか我々を去らせなかったので、主がエジプト中の人の初子から家畜の初子まで撃たれた。だから初子を主に捧げるのだ」と、答えなさい。そしてこのことも忘れないように、腕や額につけて覚えるようにしなさいと教えられました。
火の柱、雲の柱
ファラオが民を去らせたとき、ペリシテ人の土地を通るのが一番近道でしたが、神は別の道を通るようにされました。ペリシテ人と戦うのは容易なことではなかったので、民はあきらめてエジプトに帰えることが出来ないように紅海を通って荒野を主は行かせられたのです。モーセはヨセフの遺言どおりヨセフの骨を持って出ました。ヨセフは神が必ずエジプトの地から導きだされることを確信していたのです。
主は民の先頭に立ち、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを照らして、離れることなく行く手を示されたのです。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記12章

出エジプト記12章・・・・・・過ぎ越された主を覚えて
「…鴨居と入り口の日本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。」12:22

くぅ〜ママのちょっと一言
長い章でしたが、過越祭除酵祭(酵母を入れないパンを食べる7日間)の規定と、過ぎ越しの時の初子の死、そして約束の地に入ってからの過越祭と除酵祭の規定が追加されています。この過越し、そしてこれに続くシナイ山における神と民との契約は聖書の中でも、新約聖書に通じる重要な部分となります。
すなわち、過越しの際、戸口の両柱と鴨居に子羊の血を塗ることが長子の死が赦されるしるしになったように、イエスキリストの血すなわち十字架を信じることが、神のみ前に罪が赦されるしるしとなるのです。十字架上でイエスの骨を折らなかったのはキリストと過ぎ越しの祭りのつながりを示すためでした。
 余談ですが、日本の神社の鳥居や正月に食事以外の労働をしない習慣など、日本も旧約聖書の影響を受けた文化をもっていることを興味深く思います。(そのほかにも旧約聖書の影響を受けたと思われる文化は色々あるようです)

聖書要約
主の過ぎ越し
神はモーセとアロンに命じました。それはこの月がユダヤでは1月になります。そしてこの1月の10日に家族ごとに、傷のない1歳の雄の子羊(または山羊を用意します。(但し、少人数の家族は隣と一緒に用意してもいい)そして14日の夕方に子羊を屠り、その血を家の戸口の両脇の柱と鴨居に塗ります。その夜に家族全員で丸焼きにした子羊を食べます。その時内臓をつけたまま、そして骨を折ることなく焼きます。その肉は夜のうちに食べ、食べ切れなかった肉は焼却します。食べる時は長旅の準備をしたまま急いで食べます。以降これを「主の過ぎ越しの祭り」と呼ぶように主は命じられたのです。その夜主はエジプトを通り過ぎ、国中の長子を殺されます。但し戸口の柱に血が塗られた家は主に従うという証拠として主は通り過ぎられるので安全なのです。
 この過ぎ越しの祭りは、約束の地カナンに入ってから、毎年1月14日から21日までの7日間行い、その間酵母を入れないパンを食べます。家の中の酵母を取り除かなければなりません。そして14日と21日の最初と最後の日は聖なる集会をおこない、この両日は食事の支度以外の労働は禁じられました。
モーセは長老達を呼び、主からのこの命令を告げました。屠った羊の血を器に取って、ヒソプの束で戸口の両側の柱と鴨居に塗るように、そしてこのことは、約束の地に入ったら過ぎ越しの祭りとして、子々孫々伝授し、行うことが永遠に変わらない法律であると。それを聞いた長老たちは神を拝し、その通りに行ったのです。
初子の死
その真夜中、主はエジプト中の長子をことごとく打たれたので、エジプト中に大いなる叫びが起りました。王はその夜のうちにモーセとアロンを呼び、「この国から出て行ってくれ。出る前に私を祝福してもらいたい」と言ったのです。エジプトの人々もせきたてるようにして国から去らせようとしました。被害がこれ以上広まるのを恐れたのです。イスラエルの人々は酵母のはいっていない練り粉をこね鉢ごと外套に包んで肩に担いで出て行きました。その時モーセがかつて言ったように、エジプト人に好意で、金銀や装飾品、衣類をエジプト人から頂いて出て行ったのです。主が彼らにエジプト人の好意を得させるようにされたのです。こうしてそれらのものを戦利品としたのです。
エジプトの国を去る
その夜エジプトから出た者は女子どもを除いて60万人でした。そしてその日はヤコブとその子孫がエジプトに滞在してから430年の最後の日だったのです。主はその夜イスラエル人をエジプトから導き出す為に寝ずの番をされました。
過ぎ越しの規定
主が命じられた過ぎ越しの掟は外国人はこの食事は食べる事はできません。但し、金で買った男奴隷と寄留者は割礼を受けたら食べる事ができます。一匹の羊は一軒の家で食べ、肉の一部でも外に持っていってはならない。また骨を折ってはいけません。その日イスラエルの人々が部隊ごとに、エジプトの国から導きだされたのです。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記11章

 出エジプト記11章・・・・・・人と人との間に立たれる主
「主がこの民にエジプト人の好意を得させるようにされた。」11:3
最後の災い

主はモーセに言われました。「わたしはもう一つの災いをファラオとエジプトに下す。その後、王はイスラエル人をこの国から追い出す。その時エジプト人の隣人から金銀や高価な飾り物を求めるがよい」と。主がエジプト人がイスラエル人に好意を示すように計らってくださるからだというのです。モーセもエジプト国民や王の役人からは尊敬を受けていたとのこと。
モーセはファラオに言いました。「真夜中に主がエジプトを通り過ぎられる。その時、王から奴隷または家畜にいたるまで、その長子は皆死ぬ。しかしイスラエルの民にはこの災いは免れ、エジプト人とイスラエル人ははっきりと区別される。その時、あなたは私たちに『出て行って下さい』とひれ伏して頼むでしょう。」と。それでも王は心をかたくなにして民を去らせようとはしませんでした。主がそうされたのです。

くぅ〜ママのちょっと一言
ファラオの心を頑なにされたのも、エジプト人がイスラエル人に好意を持つようにされるのも主のなさることなのです。私たちは人間関係の難しさを感じることがしばしばありますが、相手の人を直接見て、腹を立てたり、非難したり、落ち込んだりするのではなく、主を仰ぎ見ることによって心に平安を得ることができるのではないでしょうか。そして主がそうされたということは必ずそこには意味があるのでしょう。そのことが主に栄光を帰するためのことであると確信すれば、敵対するような相手に対しても憎む気持ちが軽くなると思うのです。

| comments(1) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記10章

出エジプト記10章・・・・・・主の良くしてくださったことを語り伝えよ
「わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちに知らせるためである」10:2

くぅ〜ママのちょっと一言
ファラオの心を頑なにされたのは主である」という言葉が何度も出てきます。10章の始めにその目的が明記されています。それは彼らの間でしるしを行い、その結果、自分が主である事を彼らが知るため。そして△修譴子々孫々に伝える為なのです。
思い起こせば、神様がこれまでに私にして下さった恵は数え切れません。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」のみことばの通り忘れてはいけないのです。そしてその信仰を継承していくようにと主は言われるのです。その前に、私に与えられた“良きこと”を偶然とか自分の力量と捉えるか、神の恵と受け止めるかで、生き方は大きく違ってくると思います。

聖書要約
いなごの災い
主はモーセに言われました。「ファラオの心をかたくなにしたのはわたしだ。それは、主がどのようにしてイスラエルの民を救ったかを知らせるため、そしてわたしが主であることを子孫に伝えるためである」と。モーセとアロンはファラオのところに行き、「いつまでもイスラエルの民を去らせないのであれば、エジプト全土にいなごの大群を送ると主は言われます。そのいなごは地表を覆い尽くして、雹の災いで免れた農作物も食い荒らすでしょう」と。それを聞いて、王の家来達は、「このままではエジプトが滅んでしまうので、即刻民を去らせましょう」と、王に進言しました。そこでモーセとアロンが呼び戻され、王から「男だけで行って、主に仕えるがいい」と言い、その場を去らせました。主はモーセに「エジプトの地に手を差し伸べて、いなごを呼び寄せなさい」と言われました。朝になると東風がいなごの大軍を運んできて、エジプトの領土全体を覆い尽くしました。いなごは雹の害を免れた木の実も全部くいつくしました。この災いを前にして、王は「あなたたちの主に祈願してほしい」と言いました。しかしいなごがいなくなるや、またもや心を頑なにして、民を去らせませんでした。
暗闇の災い
主はモーセに言われました。「天に向かって手を差し伸べてエジプトの地にを臨ませなさい」と。3日間、暗闇がエジプトを襲いました。人々は自分のいる所から立ちあがることすらできませんでした。但しイスラエル人が住んでいるところには光がありました。ファラオはモーセを呼び寄せて、「行って、主に仕えるがよい。但し羊と牛は置いておくように」と言ったのです。モーセは「我々の家畜は全部連れて行きます。あなたからも焼き尽くす献げ物をいただいて行きます」と答えました。主がファラオの心をかたくなにされたので、ファラオは民を去らせようとはされませんでした。

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
【聖書】出エジプト記9章

出エジプト記9章・・・・・・主の言葉を畏れた者は
「ファラオの家臣のうち、主の言葉を畏れた者は、自分の僕と家畜を家に避難させたが、主の言葉を心に留めなかった者は、僕と家畜を野に残しておいた」9:20

くぅ〜ママのちょっと一言
神が人を罰する為に下される災いの主なものは、疫病、飢餓、戦争、ということですが、この5番目と6番目の災いは疫病の災いでした。7番目と8番目の災いは農作物に関するもので飢餓の原因となるものです。
現代においても、疫病や飢餓や戦争で、大切な命が落とされます。それが神の罰と言い切ることはで来ませんが、このような事態を前にして神に心を向ける必要はあると思います。疫病や飢餓や戦争の中にあって、どのような行動を取るか、どのような言葉を発するかを聖書に聞きたいと思うのです。

聖書要約

疫病の災い
神はモーセを通して、ファラオがイスラエルの民をエジプトから出さなければ恐ろしい疫病でエジプト中の家畜を全滅させると言われました。但し、イスラエルの民の家畜は一頭も死なないと主は言われました。翌日そのことが実際に起ったのですが、ファラオは心を頑なにして民をさらせませんでした。
はれ物の災い
主はモーセをアロンに言われました。「かまどのすすをまき散らしなさい」と。すすはエジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿のでるはれ物となりました。王に仕える魔術師にもその害は及び、魔術師は王の前に出ることができませんでした。しかしファラオは心をかたくなにして民を去らせません。
雹の災い
主はモーセに言われました。「エジプトにかつて起ったこともないようなを降らせる」と。その言葉を信じず、家の外にいた人や家畜は打たれて死にました。また穂のでる時期だった大麦と亜麻は壊滅しました。ファラオは自分の非を認め、正しいのは主であると口では言いましたが、モーセが主に祈願して雹が止むと、またファラオは心を変えて、民を去らせませんでした。

 

| comments(0) | - | 06:00 | category: 【聖書】 |
Profile
Mobile
qrcode
Others
Search this site
Sponsored Links