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【聖書】フィリピ2章

フィリピの信徒への手紙2章・・・・・・輝いて生きる
「…よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」2:15

くぅ〜ママのちょっと一言
2章ではまず教会の一致の重要性を説きます。そして一致に反することとして利己心や虚栄心をあげ、へりくだって生きることを勧めます。その後6節にキリストの謙卑、すなわち生死をも支配できるキリストが神への服従として死に至るまで従われたことが書かれています。それゆえ、キリストは神によって高く上げらました。「キリストの道」とは「自分を無にする」ことなのです。クリスチャンはそれに倣って生きる存在ですが、それはなかなか難しいことです。つい自我が頭をもたげます。また自分の手の業を誇りたくなります。ですからうまくことが運んだ時や、心配していたことが解決した時、賞賛を得たときなどはすぐに主に感謝をささげることです。「栄光は全て主に帰す。」です。自分の力でできたことでは何一つないことを知らなければならないと思います。
テモテとエパフロディトについてですが、パウロ自身がフィリピの教会に行きたかったのです。しかし囚われの身でしたので、まずテモテをフィリピに送ると言い、テモテの信仰の素晴らしさをフィリピの信徒達に紹介します。またエパフロディトは重篤な病気にかかったのですが、神の哀れみで癒され、フィリピに帰ることができるようになったことを伝えます。どんなにパウロの下でフィリピの信徒達の責任を負って、命がけで働いてくれたかを伝えるのでした。

聖書要約
キリストを模範とせよ
クリスチャンとして、互いに励まし合い、愛によって慰めあい・同じ聖霊を頂いている兄弟姉妹という思いや、慈しみや憐れみの心があるなら、愛の心で一致して私を喜ばせてください。そして一致に反する利己心や虚栄心を捨ててへりくだりなさい。キリストがいかにへりくだられたかを知って見習いなさい。キリストは、神の身分でありながら神としての権利を要求したり、執着したりされませんでした。△修譴匹海蹐かえって自分を無にして、僕の身分になり人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。い海里燭神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。だから全てのものは「イエスはキリストである」と告白して、父なる神をたたえるのです。
共に喜ぶ
わたしの愛する皆さん、わたしがそちらにいた時に、いつもわたしの教えに忠実であったように、離れている今はなおさら神に従い、神が喜ばれない事はしないことです。神は人の心に働きかけて従おうとする心を起こさせ、神が望まれることができるように働きかけてくださいます。何事にも不平や理屈をこねてはいけません悪のはびこるこの世にあって、命の言葉を高く掲げ、星のように輝きなさい。キリストが来られる日(再臨)の日にはそれが無駄でなかたことを知るでしょう。私が命を捨てなくてはならなくても喜びます。あなた方一同と共に喜びます。あなた方も喜びなさい。わたしも一緒に喜びなさい。
テモテとエパフロディトを送る
さて、テモテをそちらに遣わします。わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいと願っています。テモテほど親身になってあなた方の事を心配している人はいません。他の人々は自分のことに気を取られて、キリストのことなど考えていません。しかしテモテは違います。わたしの息子のように宣教の働きを助けてくれました。またわたしの窮乏を助ける為、フィリピの信徒達の贈り物を携えてわたしの所にやってきていたエパフロディトを送り返します。彼はひん死の病に罹りましたが、神が憐れんでくださいました。彼は離れているあなた方に代わって、わたしに尽くしてくれたのです。

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【聖書】フィリピ1章

フィリピの信徒への手紙1章・・・・・・パウロの死生観
「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」1:21

くぅ〜ママのちょっと一言
フィリピの教会はパウロが第2回目の伝道旅行の時にできた教会でヨーロッパでは最初の教会です。ローマの殖民都市として栄えた町です。パウロが獄中でテモテが協力して執筆しました。エペソの投獄の時かローマの投獄のときかははっきりしていないとのことですが、おそらくローマである可能性のほうが大きいようです。執筆の目的はフィリピの教会からの贈り物へのお礼と教会で起っている幾つかの小さな問題に対する指示を伝えるということです。この手紙の特徴は「喜び」ということです。命が危険にさらされている中でもパウロは喜びの手紙を書くことができたのです。
またパウロは死刑の可能性を前にして、自らの死生観をはっきりと述べています。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」と。
私にとっても死は生の延長線上であり、むしろ、天国は希望であり、喜びです。しかし実際その時がきたら、愛する娘達や親しい人たちとの別れは悲しいですし、やり残した仕事への未練などもあるかもしれません。でもそれをも主に委ねて、「先に行っているから」と意気揚々と天国に向いたいと思っています。しかしパウロの信仰のごとく、この世での使命があるなら、それをしっかりと果たしたいと思うのです。できる事はすぐに始めること!いつまでも人生の持ち時間があるわけではないのですから。

聖書要約
挨拶
キリストのしもべであるパウロとテモテからフィリピにいるクリスチャンの皆さんへ。神の祝福が皆さんの上にありますように。
フィリピの信徒たちのための祈り
フィリピの教会の人たちが最初に聞いた福音の恵を、今も信仰によって確信していることを思い起こすたびに、神に感謝し喜びの祈りを捧げています。福音を伝えたのは私ではなく神なので、その神はイエスキリストが来られるその時(再臨)まで、あなた方の信仰を成長させ完成させてくださいます。わたしにとってあなた方は特別な存在です。わたしが獄中にいる時も、自由の身で宣教している時もあなた方はわたしと共に神からの祝福を頂いているのです。わたしはあなた方についてこう祈っています。「知る力と見抜く力を身につけて、人を愛する力が満ち溢れますように善悪を見分ける力が備わり、だれからも非難されることがなく、益々祝されて、神の栄光と誉れをたたえることができますように」と。
わたしにとって、生きるとはキリストを生きること
ここでわたしの身に起っていることは全てキリストについての良い知らせを伝える為に大変役立っています。私の様子を見て、多くのクリスチャンは投獄をも恐れなくなりました。中には自分の党派心や名声のために伝道しており、その成果を挙げることによって、私にねたませようとする者もいますが、どのような動機からでも福音が述べ伝えられる事は私の喜びです。「生きるにしても、死ぬにしても、キリストの素晴らしさを身をもって表したいと思っています。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」この世を去って、キリストと共にいたいという思いがありますが、私にはまだ生きる使命があるのです。あなた方はクリスチャンとしてふさわしい生活を送りなさい。もう一度会えるにしても、会いえないにしてもあなた方について、いつでも嬉しい知らせを聞くことが出来るでしょうから。福音を宣べ伝えるという一つの目標に向って共に歩んでいきましょう。その反対者には滅びますが、あなた方には永遠のいのちが約束されているのです。あなた方はキリストを信じるだけではなく、キリストのために苦しむことも特権として与えられています。私の信仰の戦いをあなた方は知っているということは、すなわち、共に戦っているのと同じことなのです。

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【聖書】エフェソ6章

エフェソの信徒への手紙6章・・・・・・神の武具を身につけて
「だから邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身につけなさい」6:13

くぅ〜ママのちょっと一言
6章は親と子どもの関係と主人と奴隷の関係について述べています。
「子どもは両親に従いなさい」「あなたの父と母とを敬いなさい」これは十戒の中の6番目の戒め、人に対しては最初の戒めになります。「従う」または「敬う」というのには理由があるのです。それは「大切な神を教えてくれたから」ということなのです。ユダヤでは小さな時から聖書のみ言葉を暗記するそうです。親の立場から考えると、子どもに尊敬されるような親であるかどうか。また子どもに何を伝えるのかということが問われているのでしょう。以前講演に招かれた矯正施設の職員の方が「お金も与えずに下の子の面倒を見ろと言われたら、万引きするしかないでしょう」と子どもたちの痛みの一端を吐露されたことが忘れられません。いろんな親がいます。この親は極端な例ですが、何でもかんでも親に従えといっているのではないのです。
奴隷については当時ローマ帝国の5分の1は奴隷、ローマ市民は3分の1だったそうです。奴隷の立場にある人も、主人の立場にある人の等しく、天の主を畏れ敬って生きることが正しい在り方なのです。
またクリスチャンとして生きることは悪魔との戦いであると書かれています。霊的な存在である悪魔に対して自分の力で闘おうとしても簡単に負けてしまうでしょう。全能の主は悪魔の軍勢より強いのです。主の武具、すなわち真理の帯、正義の胸当て、平和を知らせるためにの靴、信仰という盾、救いのかぶと神の言葉を身をまとって悪なる力に立ち向かいたいと思います。

聖書要約
子と親
子どもは親に従いなさい。これは十戒の最初の掟で、そうすれば幸せになり、長生きすると約束されています。また親たちは子どもに反抗心を持たせたり、恨みを持たせることがないように、主に認められるような愛のこもったしつけをして育てなさい。
奴隷と主人
奴隷はキリストに従うのと同じように主人に仕えなさい。陰日なたがあってはいけません。また主人も脅したりせず正しく扱いなさい。自分も主も奴隷の主も同じ主であることを忘れてはいけません。
悪と戦え
最後に覚えてほしいことがあります。あなた方は主にある超自然的な力によって強められなさい。私たちがこの世で戦う相手は、目に見えない悪との戦いです。いつでも対抗できるように神の武具を着けることです。腰に真理の帯を締め、正義の胸当て、平和を知らせる靴を履き。信仰という盾を取り、救いのかぶとをかぶり、神の言葉を手にしておくことです。そして耐えず祈りなさい。私の福音宣教のためにも祈ってください。
結びの言葉
主に忠実で協力者であるテキコを送ります。私の様子を知ってあなたがたに元気をつけて欲しいのです。平和と信仰に伴う愛が父なる神と主イエス・キリストからあなたがたにありますように。主イエス・キリストを愛する全ての人に神の恵みがありますように。

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【聖書】エフェソ5章

エフェソの信徒への手紙5章・・・・・・闇の時代を導く光となる
「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」5:16

くぅ〜ママのちょっと一言
光の子として生きるという中で、暗闇→眠り→目覚めということが、死者→復活→キリストの光を暗示されています。また16節で賢い者の歩み方として「時の用い方」が述べられていますが、この手紙が書かれた2、3年後に、ローマの大火災が起りますが、それをクリスチャンのせいだとして、皇帝ネロは多くのクリスチャンを迫害します。それから4年後にはパウロの殉教、続いてペトロが殉教します。ローマ帝国は内乱が勃発、そしてついにエルサレムも壊滅状態になるのです。そのような社会情勢を踏まえて「今は悪い時代なのです」とパウロが言ったのです。しかしこのような時代だからこそ、生活の不安、死の恐怖、などの闇の中に光を照らし、私たちの行くべき道を示すことが必要なのです。それは現代にも当てはまることではないでしょうか
最後のところは、夫婦のあり方を論じながら、それがキリスト論になり、教会論となっていますが、どちらにとっても例えることでより分かりやすくなっていると思います。夫が妻を愛し妻が夫に従うように、キリストが教会を愛し、教会がキリストに仕える関係なのです。また自分の体の一部と言えるほど夫婦は密接な関係であると言っています。なぜなら夫が妻を奴隷や物のように扱うことは夫自身の人格を傷つけることになるのです。これもまたキリストと教会の密接な関係を夫婦の親密さにたとえて語っているのです。

聖書要約
子どもが、可愛がってくれる父親を見習うように何をするにも神を模範としなさい。神が、あなた方の罪を取り除く為に犠牲となって、あなた方を愛して下さったように、「あなた方も愛によって歩みなさい」と。感謝を表しながら生きること、みだらな人、汚れた人、貪欲な人(神以外のものを頼りに生きること、すなわち偶像礼拝者)は神の国を継ぐ事はで来ません
光の子として生きる
罪を犯しながら言い訳をするような者たちにだまされてはいけません。神の怒りはこのような人に下ります。彼らと付き合うことも禁じます。あなた方は今は神からの光を頂いているのですから「光の子として歩みなさい」内面が光で輝いているのですから、良いこと、正しこと、真実なことだけを行いなさい。そして何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。悪と暗闇の悪の快楽に身を任せてはいけません。むしろそれを非難して明るみに出しなさい。そうすれば罪の中にいる者から光の子となるこことができます。「眠っている者よ、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる」と書かれている通りです。愚かなものではなく賢い者として歩みなさい。賢い者の歩みとは「時をよく用いること」それはあらゆる機会を用いて正しい行いをすること。主のみこころを悟ること。主に向って讃美すること。父なる神に感謝して生きること。です。
妻と夫
妻は主に従うのと同様に、夫に従いなさい。夫は、教会のためにいのちを捨てるほどの愛を示されたキリストに倣って妻を愛しなさい。キリストはバプテスマと神のことばで教会を聖なる、汚れのないものとされました。それは栄光に輝く教会をご自分の前に立たせるためでした。そのように夫は妻を、自分の体の一部のように愛しなさい。そして妻は夫を心から尊敬して従いなさい。

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【聖書】エフェソ4章

エフェソの信徒への手紙4章・・・・・・古い生き方を捨てて
「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け…」4:23

くぅ〜ママのちょっと一言
旧約聖書の詩篇の引用は、イエス様が地上での働きを終えて、サタン、罪、死に勝利して、天に昇られる様子が表されていますが、あたかも凱旋した王が戦利品を家来達に分け与えるように、私たちそれぞれに必要な賜物を与えてくださったと書かれています。
古い人を脱ぎ捨て…新しい人を身につけると22、23節に書かれていますが、新しい人の前に「神にかたどって造られた」いう言葉が入っています。人類の始まりについて「神はご自分にかたどって人を創造された」と、創世記に書かれていることを思い出します。しかし人類は罪のために、神の像を映し出すことができなくなってしまったのです。そのような古い自分と決別して、もう一度造りなおしていただくことが、生まれ変わりのバプテスマということです。
そして新しくされた者の生き方が25節から具体的に書かれているのです。その中に「怒ってはいけない」ではなく、「怒ることがあっても日暮れまで怒ったままではいけない」と書かれているように、わたしたちが実際にできるようにという配慮ある生き方が示されています。そしてそれを実践する原動力は神がわたしを愛してくださったことなのです。

聖書要約
キリストの体は一つ
「主の囚人」となっているわたし(パウロ)があなた方に勧めます。祝福を受けるように選ばれたのだから、それにふさわしく生きなさい。謙遜で柔和に生きることを持って互いの欠点を思いやること8澆い忍耐する平和に暮らすことダ士遒瞭きにによって心を一致させなさい。一致とは体の一致(私たちは各器官です)。霊の一致。一つの希望。主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つ、神は唯一で全てのものの上にあり、全てを貫いて、内住してくださいます。
そして各器官の私たちにそれぞれに応じた賜物を与えてくださるのです。旧約聖書の詩篇に「キリストは、復活してサタンに打ち勝ち、勝利を得て天に帰られた時、人々に惜しげなく賜物をお与えになった」と書いてある通りです。その賜物とはたとえば、使徒、預言者、宣教者、牧者、教師などそれぞれの奉仕の役割分担であり、これによってキリストの体である教会が力あふれた完成された状態へと建てあがられるためです。間違った教えでふらふらせずにしっかりとキリストに向って成長しなさいとパウロは勧めます。そして体全体は節々が相互協力して、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、各部分の役割に応じて働き、身体を成長させ、愛によって作り上げられていくのです。
古い生き方を捨てる
救われていない人と同じような生き方をしてはいけません。神の命から遠く離れてはいけません。以前のような滅びにいたる古い性質から、神の形である新しい人とならなければなりません。
新しい生き方
新しい人としての生き方は人に対して真実。怒ることがあっても日暮れまで怒ったままではいけない。盗んではいけない。自らの手で収入を得なさい。分け与えなさい。悪い言葉を口しにしてはいけない。聞くことを大切にしなさい。語る事は慎重でありなさい。聖霊を悲しませてはいけません。聖霊は私たちが私たちが救われ、天国に入ることのできる保証となってくださるのですから。互いに親切に、憐れみの心で接し、神があなたを赦して下さったように、赦しあいなさい

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【聖書】エフェソ3章

エフェソの信徒への手紙3章・・・・・・キリストの愛の広さ、長さ、深さ
「キリストの愛の広さ、長さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり…」3:18

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロは「ローマの獄中にいます。」と書いた後の文脈としては14節につながります。2節から13節まではもう一度念を押しておきたいことを挿入しているのです。念押ししたいことというのは、ユダヤ人以外の異邦人も神の恵みの対象であり、天を受け継ぐ資格があるということです。それを知らせる任務をパウロは与えられているということをもう一度確認するために文章を挿入したのです。
後半にキリストの愛がどれほどのものなのかが、18、19節に表現されています。キリストの愛の広さ、高さ、深さ、またその愛は人知をはるかに超えているのです。その素晴らしさは想像もできないくらいなのでしょう。懐に抱かれたら、どんな傷でも癒されてしまうのかもしれません。この上ない幸せを感じるのかもしれません。いずれその幸せを体感する日がくることを楽しみにしている私です。そして今もその「愛の土壌に根をはる」ことによって、根から養分を吸収するように、私もキリストの豊かな愛を頂けるというのですから、なんと幸いなことでしょう。

聖書要約
異邦人のためのパウロの働き
キリストの囚人であるわたしは、「あなた方異邦人(ユダヤ人ではない人たち)も福音の恵にあずかれる」と言ったことで、捕らえられ、ローマの獄中にいます。そのことは前の手紙でも触れましたが、異邦人でも神の恵みを受けられるという神の特別のご計画(奥義)は今や聖霊の働きによって使徒や預言者に啓示されています。キリストが来られる以前には知らせれていなかったことです。すなわちイエス・キリストにおいて実現した天を受け継ぐという資格は、ユダヤ人以外の異邦人にも神の恵みとして与えられているのです。それを知らせる任務がクリスチャンの中でも最も小さなわたしに与えられているのです。万物を造られた神が、世の初めから特別にご計画されていたことは人類全ての救いなのですから、私たちはユダヤ人もそうでない人も、キリストと共に、神の前に大胆に近づくことができます。だから私の今の苦難を見て落胆しないでください。この苦しみはあなた方のためなのです。
キリストの愛を知る
だから私はあなた方のために天の父に祈ります。あなた方が聖霊によって内側から強くする力が与えられますように。神を信じるあなたがたの心にキリストが住み続けてくださるように。神様の愛という土壌に根をはることができますように。キリストの愛の広さ、高さ、深さがどれほどのものかを理解することができますように人知をはるかに超えた神の愛を知ることができますように。神の豊かさに満たされますように。神さまからの力によって私たちが願い求めることは、私たちの思う以上にかなえてくださる神に栄光がありますように。

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【聖書】エフェソ2章

エフェソの信徒への手紙2章・・・・・・神の家族
「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる神の民に属する者、神の家族であり…」2:19

くぅ〜ママのちょっと一言
パウロはキリストの体の統一性を説くために、クリスチャンの救いにまでさかのぼります。わたしたちは救われる前は霊的に死んだ状態でした。神から目を背け、気がつけば神が悲しまれるようなことばかりを好んでするような者でした。しかしそんなわたしたちが神のご支配の中に入れて頂くことができたのはただ神の恵みによるほかにありません。「神の家族」なんて優しい響きの言葉でしょう。世界中のクリスチャンも、また日本に散在する教会に属する人たちも、主にあって「家族」なのです。肌の色の違いや言葉の違い、考え方の違いはありますが、命に関する価値観が同じと言う事は色々な違いを超えて通じ合うことができます。世界人口の3分の1はクリスチャンです。外国人でも日本人でもクリスチャンどうし心を許せるのは、同じ主を見上げて生きているからではないかと思うのです。

聖書要約
から命へ
以前、私たちは罪のために滅びる存在でした。サタンの言うままに、欲望や悪意のおもむくままに、あらゆる悪事を重ねていました。神から怒りを受けて当然の者でした。しかし憐れみ深い神はその愛ゆえに滅びる運命にあった私たちをキリストの復活と共に生き返らせてくださり、天においてはキリスト共に席に着かせてくださったのです。それは神の恵みの素晴らしさ、壮大さが全世界に、全世代に示される為です。ではなぜ私たちにこのような恵が与えられ、救われたのでしょうか。それはただ神の憐れみ、恵のゆえであって、よい行いをしたからではないのです。救いが神からの贈り物であるなら、だれも誇る事はできません。なぜなら、私たちを造られたのは神であるし、キリストイエスによって新しい生活に入れてくださったのも神です。それは以前から神がご計画されていたことで、その救いの具現化として私たちがよい行いをして過ごすためです。
キリストにおいて一つとなる
私たちは、以前はイスラエル(選ばれた民)にも属さず、キリストの救いの契約にも漏れたもので、希望をもたず、神から遠いものでした。しかしキリストの十字架の血潮によって神に近い者になりました。キリストは平和の道です。ユダヤ人と異邦人をの間にあった壁を打ち壊して、(ユダヤ人を特別扱いし、異邦人をさげすむような)律法を無効にするために死んでくださったのです。両方の者がひとつになって聖なる神の家族になったのです。私たちは使徒と預言者を土台に、イエスキリストを最も重要な要としてたて上げられる教会です。あなた方はキリストによって組み合わされ、神の家の一部になるのです。

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【聖書】エフェソ1章

エフェソの信徒への手紙1章・・・・・・御国を継ぐ者として
「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、
こうしてわたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです」1:14

くぅ〜ママのちょっと一言
ガラテヤ書はルターの特愛した手紙でしたが、エフェソへの手紙はカルヴァン特愛の手紙なのだそうです。ただエフェソへの手紙の評価は大きく分かれるとも言われています。書いた人はパウロでローマの獄中で書かれたものとの説が有力です。この手紙はエフェソに向けて書いたようになっていますが、特定の教会に宛てたのではなく、エフェソも含めた諸教会の回状と考えられています。
初めに公式に従って周到な自己紹介がなされます。そして14節までは神への讃美が続きます。
その中で、私たちが選ばれたのは神をほめたたえるためと書かれています。それは私たちは主の十字架によって、罪が赦され、神の国を受け継ぐ者とされたという、絶大なる神の力と愛と恵を確認し、讃美や祈りの中で主に感謝するということなのです。それは礼拝において、日々のデボーションにおいて、日常生活の様々な場面において、心を主に向けることだと思います。

聖書要約
挨拶
神に選ばれてイエス・キリストの使徒となったパウロから、主にある愛するクリスチャンの方々へ手紙を送ります。父なる神と、イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにあるように。
神の恵みはキリストにおいて満ち溢れる
主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はこの世界を造られる前から私たちを愛して、一点の欠点もない清いものとしようとキリストにおいて選んでくださいました。それは輝かしい恵を与えてくださった神を私たちがほめたたえるためです。私たちは十字架の血によって罪赦されました。そして神は恵みにより私たちに秘められた神のご計画を知らせてくださったのです。その計画は機が熟せば私たちを天地から集めて、いつまでもキリストのものとして神のそばで過ごすようになるということです。私たちを神の国の相続者としてくださったのです。それは私たちが神の栄光をたたえるためです。真理の言葉を聞き、信じることによって聖霊の証印を押していただいたのです。この証印は神の国を受け継ぐ保証なのです。
パウロの祈り
だからわたしはあなた方のことをいつも祈るのです。「あなた方が神を深く知ることができるように、心の目を開いてくださるように、神から希望が与えられ、クリスチャンが受け継ぐものがどんなに素晴らしいかを悟らせくださるように、神の力がどれほど大きいか悟らせてくださるように」と。絶大なる神の力がキリストを復活させ、神の右に座に着かせ、この世だけでなく、来るべき世にも輝かしいものとして下さったのです。そのキリストを頭とする教会は全てを満たすキリストの霊が満ちている場所なのです。

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【聖書】ガラテヤ6章

ガラテヤの信徒への手紙6章・・・・・・愛の実践を伴う信仰
「しかし、このわたしたちには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりあません。」6:14

くぅ〜ママのちょっと一言
キリスト者の自由とは互いに愛し合うことと5章で示されましたが、6章では、それを教会生活でどう実践するかが述べられています。「互いに重荷を担いなさい」と6章では勧めています。「互いに」ということは、「してもらい、する」「与えられ、与える」の関係ですが、先に与えるのはどちらなのか、してもお返しがなかったら損するだけじゃあないのか、そんな疑問がわいてきます。しかし大丈夫です。その関係の始まりは神から「与えられた」「愛された」ということ。すなわち、私たちが人を愛したり、愛を実践する動機は「神がこんな罪だらけ、失敗だらけ、欠けだらけの私を愛してくださった」ということがスタートなのですから。

聖書要約
信仰に基づいた助け合い
誰かが何かの過ちを犯したら謙遜な気持ちでその人を助け、正しい道に立ち返らせてあげること。また自分も過ちに陥ることがないように。そして「互いに重荷を担いなさい」それが律法を守ることになるのです。自分がそこまで謙遜にならなくていいと思う人は、自分を欺いているのです。しっかりと自分自身を見るなら、自分にとってはよくやれたと満足したとしても、決して他人と比較する事はなくなるでしょう。どんな人でも欠点はあります。そんな自分自身を受け入れることです。
神の言葉を教えてくれる人には報酬を払い、援助しなさい。神様を無視することは不可能です。自分の欲望のままに生きた人はそのような結果になるし、聖霊の導かれるままに生きた人は永遠の命を頂くことになります。全ての人に対して善を行う生活をしなさい。特にクリスチャン同士親切にしあいないさい。」と。
結びの言葉
「最後に自筆で書きます。」とパウロは自筆の言葉で手紙を締めくくります。それはあなたがたに割礼を強制した人たちは、迫害を恐れて、人に良く思われようとする人たちであり、彼ら自身が律法を守ってはいません。私たちの生き方は、主イエス以外に誇ることがあってはいけないのです。割礼の有無が問題なのではなく、私たちが新しい人に造りかえられているかということです。これからはこんな問題で論じ合うことがないように。私の身体には主イエスの十字架を伝えたことで、鞭打たれ、傷ついています。しかしそれは自分がイエスに属する証拠なのです。

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【聖書】ガラテヤ5章

ガラテヤの信徒への手紙5章・・・・・・愛の実践を伴う信仰
「ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」5:13

くぅ〜ママのちょっと一言
キリスト者の自由と言うのは何をしてもいいということではなく、愛をもって仕えていくことへの自由です。私たちは、肉の思いで生きているのか、聖霊の導きによって生かているのか、どちらを選択する自由も与えられています。物事を決定したり、選択したりする時に、肉の思いか聖霊の導きかを見極める必要がありますが、その判断基準は、5章の後半に書かれているどちらの実を結ぶのかということを考えることではないかと思います。
キリストから頂いた自由を固く握って、二度と律法でがんじがらめにされた奴隷のようになってはいけません。

聖書要約
キリスト者の自由
もしあなた方が割礼を受けるなら、あなた方にとってキリストは何の役にも立たなくなります。もし割礼を受けなければならないと思っているなら、その他の律法も全て守るべきです。そもそもそのような人はキリストの救いに預かる事はできません私たちはキリストの死によって罪が取り除かれ、神の前で義と認められるということを聖霊の助けによって確信しています。キリストから永遠の命を頂いた私たちは割礼の有無などまったく問題がありません。私たちに必要なのは愛によって働く信仰だけです。あなた方を惑わした者が全体に悪影響を与えています。そのような人は神の裁きを受けます。惑わす人たちの中には、わたし(パウロ)が割礼を勧めているという人もいるというのです。もしそうならわたしは迫害されずにすんだでしょう。
キリスト者の自由とは愛の実践なのです。律法に反する者ではなく、むしろ律法を完成させるものです。なぜなら律法を要約すれば「隣人を自分のように愛しなさい」ということなのですから。
霊の実と肉の業
わたしが勧めるのは「聖霊の導きに従いなさい」ということです。私たちの生まれながらの性質は聖霊と正反対の悪事を好みます。この霊の導きと肉の思いの板ばさみになって、したいと思うことができないのです。生来の肉の思いは次のような実を結びます。汚れた思い、快楽を求める心、偶像礼拝、魔術、憎しみ、争い、嫉妬、怒り、利己心、不平、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴…。聖霊に導かれて得られる実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。キリストに属する者は生来の欲望を十字架につけてしまったのです。聖霊に導かれてねたみ、いがみあいから解放されましょう。

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