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【聖書】ルカ22章

ルカによる福音書22章・・・・・・主の愛のまなざしを受けて 
「主は振り向いてペトロを見つめられた」ルカ22:61

くぅ〜ママのちょっと一言
61節は心揺さぶられる箇所です。イエスは自分を否定したペトロを振り返って見つめられます。その間何秒ほどだったでしょうか。無言の二人の間にどれほど深い会話が交わされたでしょう。それは赦しのまなざし。慈愛のまなざし、理解のまなざし(私はあなたのことを全て知っているよ)、励ましのまなざし、将来の希望を約束してくださるまなざし、期待のまなざし(私のために働いてくれるか…)この「主のひとみ」が私の心に映像としてリアルに焼き付いています。

聖書要約
グッドイエスを殺す計画
過越祭が近づいてきました。祭司長や律法学者はイエスを殺す陰謀を巡らしていました。イエスの弟子のイスカリオテのユダにサタンが入り、彼らに金でイエスを売り渡してしまいました。
過ぎ越しの食事の準備 過越し祭の食事の用意を仰せつかったペトロとヨハネは都に行きました。するとイエスが言われたように水瓶を運んでいる男と出会い、ついて行くとすでに2階の広間が用意されていたのです。そこに食事の準備をしました。
グッド主の晩餐
時刻になり、イエスと弟子は過越し祭の食事の席に着きました。イエスは神の国で過越し祭を行うまで、決して過越し祭の食事はしないと言われました。そしてパンを裂き、感謝の祈りを捧げて、「これは私の体である。わたしの記念に食べなさい」と言われました。またぶどう酒の杯をとって感謝の祈りを捧げて、「ぶどう酒は神があなた方を救って下さると言う契約保証です。つまり、あなた方の魂を買い戻すために流す私の血である。わたしは去っていくが、わたしを裏切る者は不幸だ」と言われました。
グッド一番偉いもの
一番偉い者はだれかと言いあっている弟子たちにイエスは言われました。「この世では力ある者が偉いといわれるが、神様の下では上に立つものは人々に仕える者、謙遜な人だ」と。
グッドペトロの離反
イエスはペトロに「信仰がなくならないように祈ったから、立ち直ったら兄弟達を力づけて上げなさい。と言われました。「主よ、ご一緒に行きます」と言うペトロに「あなたは今日鶏が鳴くまでに3度私を知らないと言うだろう。」と告げられました。
グッド財布と袋と剣
弟子を宣教に送り出したときはそれらのものは持って行くなとおっしゃったのですが、今度は違います。かってのように世間の好意に期待できない、厳しさを弟子達に教えられました。
グッドオリーブ山で祈る
いつものようにオリーブ山に行かれたイエスは、「父よ…私の願いではなく、御心のままにしてください」という祈りました。しかし弟子達はその祈りに心を合わせることが出来ませんでした。
グッド裏切られる
イエスが話している間にユダが群衆と共にイエスを裏切るためにやってきました。イエスは「今はあなた方の時、サタンが勝ち誇る時なのです」と言われました。
グッドイエスの逮捕ペトロイエスを知らないと言う
連行されたイエスの後を恐る恐るついて来たペトロは「この人もイエスと一緒にいた」という人の言葉を打ち消します。その時鶏がなきます。その時イエスは振り向いてペトロを見つめられました。ペトロは外に出て激しく泣きました。
グッド暴行を受ける
見張りの兵士はイエスを侮辱して殴ったりののしったりしました
グッド最高法院で裁判を受ける
夜が明けると、最高法院に連れて行かれ尋問を受けました。「人の子は神の右につく」というイエスの言葉に議場は騒然となったのです。

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【聖書】ルカ21章

ルカによる福音書21章・・・・・・主の再臨に備える
「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」ルカ21:36

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスはやもめの献金を賞賛されました。献金は額ではなく、献金をするときの姿勢、神への感謝の心が伴っているかどうかということが大切なことであり、恵まれたことに対して充分に応えることが本来のあり方だと思います。
「その日」が来るまでのことが書かれています。まず迫害が起こる。エルサレムが異邦人に踏み荒らされる。それから数々のしるしが起こる。(ゝ桐存声圓多く現われる∪鐐茵∨銃悪J響茘っ録稔サ会辞Ρ嵒足Ъ然現象の異常。)それから太陽と月と星にしるしがあらわれその後、人の子がくる(イエスの再臨、最終の裁き)のです。このような終末に備える生き方として1・イエスの言葉に信頼すること 2・時のしるしを自分で知ること 3・惑わされたり、人に影響されるのではなく、主体性のある生き方を考えること 4・世俗的にならないこと 5・油断せずに祈りの生活をすること 6・いつでも神さまの前に立つことが出来るように、信仰を土台とした生活をすることとイエスは教えられたのです。

聖書要約
グッドやもめの献金
イエスは神殿の賽銭箱の前で金持ちが献金箱に献金を入れる様子を見ておられました。その時あるやもめがレプタ2枚という極わずかな献金をしました。それをご覧になったイエスは「このやもめが一番多く入れた。乏しい中から生活費のすべてを捧げたから」と言われました。
グッド神殿の崩壊予告を予告する
エルサレムの神殿のすばらしさに目が奪われている人たちにイエスは言われました。「神殿が崩壊する時が来る」と。
グッド終末の徴
弟子がそのことがいつ起こるのか、またどのようなしるしがあるのかとイエスに聞きました。イエスは次のように答えられました。「わたしの名前を名乗る人が大勢現れるが、だまされてはいけない。戦争や暴動が起るが、怯えてはいけない。民同志、国同士が敵対する。地震、伝染病、異変がおこる。それらの前に大迫害の時代が来る。イエスを信じているばかりに、捕えられて王や総督の前に引ったてられるが、その結果メシアのことが広く伝わります。その時に語る言葉は神から与えられます。身近な人からの裏切り、あらゆる人が弟子と言うだけで憎むようになります。しかし忍耐すれば、いのちを手にすることができます。
グッドエルサレムの滅亡を予告する
エルサレムが包囲されたら、滅亡が近付いたと悟りなさい。山に逃げ、都に入ってはいけません。大きな苦しみがあり、人々は殺されたり、捕囚となり、外国人の時代が終わるまで、踏みにじられます。
人の子が来る それから太陽と月と星に徴が現れ、地上では海が荒れ狂い、人々は不安にかられますが、その時メシアの私が雲に乗って力と栄光に満ちてやってきます。このようなことが起ったら、天を見上げなさい。救いの時が近づいているのです。
いちじくのたとえ いちじくの葉が出始めたら夏の近いことが分かるように、それらのことが起るのを見たら神の国が近づいたと悟りなさい。すべてのことが起ったら、世の終わりが来ます。天地は消えてなくなりますが、神の言葉は永遠に残ります。
グッド目を覚ましていなさい
わたしは不意に来るので油断してはいけません。恐ろしい目を見ずにわたしの前に出ることができるように熱心に祈りなさい。このようにイエスは毎日宮で教えられ、夜はオリーブ山で過ごされました。

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【聖書】ルカ20章

ルカによる福音書19章・・・・・・復活するのにふさわしいとされた人
「次の世に入って復活するのにふさわしいとされた人は、めとることも嫁ぐこともない。」ルカ20:35

くぅ〜ママのちょっと一言
復活についての問答のところで、神は生も死も全てを支配しておられることが読みとれます。いのちの科学者、村上和雄教授の著書を読みますと、何かわからないが、命には偉大な力(サムシンググレイト)が働いていると人間を超えた力を表現しておられます。また月面に降り立ったジム・アーウィンも、その経験から熱心なクリスチャンとなった聞きます。多くの人は科学を極めることも出来ないし、月にもいけません。でも、全ての人が、神が権威を持ってこの世を支配しておられると分かる方法があります。それは神の前に頭を垂れて、神に従う気持ちを持つことです。神の権威が分かったから従うとか、神さまが分かったから信仰するのではなく、信じて従うことによって神さまが分かるようになることが信仰なのだと思います。発想を変えてみると、分からなかった神さまに出会えるかもしれません。

聖書要約
グッド権威についての問答
イエスが神殿の境内で民衆に向って福音を語っておられると、祭司長や律法学者が「何の権威でそのようなことをしているのか」と聞きます。イエスは逆に質問をされました。「ヨハネは神から遣わされたのか、それとも自分の主張をしただけか」と。ヨハネを殺してしまった以上、神からの者とはいえず、人からといえば民衆が黙っていません。。祭司長達は窮地に追いやられて「分からない」と答えます。イエスも答えられませんでした。
グッド「ぶどう園と農夫」のたとえ
イエスは人々にたとえを話されました。「ある人がブドウ園を農夫に貸して長旅に出ました。収穫時期に収穫物を納めさせようと、しもべを遣わした。農夫たちはそのしもべを袋叩きにして、何も持たせないで追い返した。後の二人のしもべも同様だった。ブドウ園の主人はついに息子を送ることにした。大切な対応をしてくれるだろうと思っていたが、農夫たちは跡取り息子を殺してしまった。主人は戻ってきて彼らを殺して、別の農夫に農園を与えるに違いない」そして「家を建てる者の捨てた石が隅の親石になった」(イスラエルの民はイエスを受け入れなかったが、イエスは救いの土台となられた)と言われました。律法学者や祭司長はこれらの事が自分達への批判であることに気がつきます。
グッド皇帝への税金
イエスの言葉尻を捉えようと「税金を納めることは律法に適っているか」と、ある人が質問をしました。イエスは銀貨の皇帝の肖像と銘を見て、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われました。彼らは言葉尻を捕えることができませんでした。
グッド復活についての問答
復活を否定するサドカイ派の人々がイエスに質問します。「長男が亡くなったとき、家系を守る為に、兄の妻を弟がめとるということが律法では決められていますが、兄弟が次々と亡くなってその兄弟達の妻に次々となった女性は天国に行ったらだれの妻になるのか」と。イエスは「天国に行くのにふさわしいとされた人はめとったり嫁いだりしない。それらの人は神によって新しい命を生きている神の子どもなのだ」と答えられました。
グッドダビデの子についての問答
イエスが「ダビデの子がメシアであるなら、なぜダビデがメシアをわが主と呼んでいるのか」と質問されました。
グッド律法学者を非難する
律法学者の偽善的敬虔な態度や、やもめなど弱いものに冷酷なことを非難されました。

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【聖書】ルカ19章

ルカによる福音書19章・・・・・・救いの人生に変えられる
「今日、救いがこの家を訪れた。」ルカ19:9

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスは初めて会ったザアカイの全てをご存知で呼びかけられました。それに心から応答したザーカイに「今日、救いがこの家に訪れた」と宣言されたのです。ザアカイと同じように、私の全てをご存知のイエスが、私にも呼びかけておられるかもしれません。耳を澄まして応答する心の準備をしておかなければと思うのです。
「マタイのタラントのたとえ」と「ルカのムナのたとえ」はよく似ていますが。ここで託されたムナは福音を現わします。クリスチャンは主から託された福音を決して軽んじることなく、神の国が実現までの間、忍耐強く、さらに福音の確信(信仰)をもって終末に備えよ、ということではないかと思います。

聖書要約
グッド徴税人ザアカイ
イエスはエリコの町を通られました。そこにローマに収める税金の取り立てをしているザーカイという人がいました。ザーカイはイエスを一目見ようとしましたが、背が低くかったため、群衆で遮られて見ることができません。そこでいちじく桑に登りました。イエスがその場所に来られると、上を見上げて言われたのです。「ザーカイ、降りて来なさい。今日あなたの家に泊まりに行きます」ザーカイは喜んでイエスを迎えました。人々は「何も罪深いザーカイの家に行かなくても」と思いました。しかしザーカイはイエスに「財産の半分を貧しい人に分け、不正で取り立てた税金を4倍にして返します」と告白したのです。イエスは「今日、救いがこの家を訪れた。人の子は失われた者を救うために来た」と宣言されました。
グッドムナのたとえ
人々はすぐにでも神の国が実現すると早合点していました。それを正そうとイエスは話されました。「ある立派な家柄の人が王の位を受けるために遠くの首都に出かけることになりました。出発前に十人の家来に留守中に商売をするように資金を一ムナ預けました。住民の中には王になってほしくないと思っている者もいました。さてその人は王となって帰ってきました。その人は家来から報告を受けました。最初の者は元金の十倍の利益をあげました。次の者は五倍の利益を。しかし三番目の者は「あなたは厳しいお方なので怖くて一ムナをそのままにしていました」と元金をそのまま差し出しました。王は激しく怒りまいたお金を取り上げ、一番目の者に与えました。そして「だれでも持っている者は更に与えられるが、持っていない者は、持っているものまで取り上げられる」と言われました。王となるのを望まなかった者たちは死刑となりました。
グッドエルサレムに迎えられる
イエスはエルサレムに登って行かれました。途中、二人の弟子につないである小ろばを連れて来るように言われました。弟子はイエスに言われたように「主がお入りようなのです」と言って、イエスのところに引いてきました。イエスはそれに乗られました。人々は声高らかに神を賛美しました。エルサレムに近づいた時、イエスは「永遠の平和が、手を伸ばせば届くところにあったのに、あなたがはそれをはねのけた。やがてあなた方は滅ぼされる」と嘆かれました。
グッド神殿から商人を追い出す
イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしている者たちを追い払われ、毎日境内で教えられました。一方、祭司長、律法学者たちの憎しみは燃え上がっていったのです。

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【聖書】ルカ18章

ルカによる福音書18章・・・・・・力を捨てて、子どものような心で神の国に入る
「子どものように神の国を受け入れる人ではければ、決してそこに入ることはできない」ルカ18:17

くぅ〜ママのちょっと一言
イエスは「子どものように神の国を受け入れなさい」と言われました。「子どものように」とは、まず疑わないこと。そして自分の力では生きていけるとは思っていないこと。よく「自分を信じて〜」という言葉を耳にしますが、それはなんとしんどく、不安定なことでしょう。「力を捨てよ。わたしこそ神であることを知れ」(詩篇100編。)神から与えられる「力」と「平安」に勝るものはありません。
イエスに叫んだ盲人のように苦しさや辛さを自分の中で耐えたり、諦めたりるのではなく、素直に主にすがって生きていく道があることを覚えたいと思います。

聖書要約
グッドやもめと裁判官
イエスはいつも祈り、答えられるまで祈り続けることをたとえで語られました。「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官に、やもめが裁きを願い出た。そのしつこさに我慢できなくなった裁判官は、やもめの求めに応じた。まして神は昼も夜もひたすら祈り続ける者の祈りを聞いて下さらないはずはない」と。そしてイエスは言われました。「人の子が来る時(終末の時)、執拗なほどの祈りをしている、真の信仰者がどれほどいるだろうか」と。
グッド「ファリサイ派と徴税人」のたとえ
イエスはまた語られました。「ファリサイ派の人と徴税人が祈るために神殿に来た。ファリサイ派の人は心の中で『罪を犯す徴税人のような者でないことを感謝する』と祈った。徴税人は『罪人のわたしを憐れんで下さい』と祈った。二人のうち神さまに受け入れられた祈りは徴税人の祈りだった。高慢な者は低くされ、謙遜なものは名誉が与えられる」と。
グッド子どもを祝福する
イエスは子どもたちを呼び集め、「神の国はこのような者たちのものである。子どものように神の国を受け入れる者でなければ入ることはできない」と言われました。
グッド金持ちの議員
ある議員が「永遠の命」を得る方法をイエスに尋ねました。イエスは「姦淫するな、殺すな、盗むな偽証するな、父母を敬え。」と律法を示されました。「全て守ってきた」と答える彼に対して、イエスは「持っているものを売り払って貧しい人に分け与えなさい。そうすれば天に宝を積むことになる。それからわたしに従いなさい。」と言われました。金持ちは悲しい顔をします。「金持ちが神の国に入ることは難しい。しかし「人間には出来ないことも神にはできる」とイエスは言われました。ペトロが「わたしは全てを捨ててあなたに従ってきました」と言うと、イエスは「この世のものより、神の国を大切にした者は、この世でもその何倍もの報いを受け、天においては永遠のいのちが与えられる」と言われました。
グッドイエス、三度死と復活を予告する
イエス様は12弟子に十字架の死と復活を話されますが、弟子達は理解しませんでした。
グッドエリコの近くで盲人を癒す
イエスがエリコに近づかれた時、物乞いをしていた盲人が「ダビデの子、イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫びました人々が叱りつけようとしましたが、益々大声で叫びました。イエスは立ち止まって盲人に「何がしてほしいか」と尋ねられますと、盲人は「見えるようになりたい」と答えました。イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言われるとたちどころに見えるようになり、神を賛美してイエスに従いました。

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【聖書】ルカ17章

ルカによる福音書17章・・・・・・信仰は希望をうむ
「イエス様、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」ルカ17:13

くぅ〜ママのちょっと一言
らい病人は当時「私は汚れたものです」と叫びながら他の人と一定の距離をとらなければなりませんでした。ところが彼らは「どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫んだのです。「イエスが憐れんで下さったら、問題は解決する」という信仰が希望を産みました。現状を悲観せず主にあって諦めないことです。十人の内、サマリア人だけが、神を讃美しながら戻ってきたと書かれていますが、これは異邦人(ユダヤ人以外)に福音の喜びが与えられる予見とのこと。そして神から頂いた恵を喜ぶだけでなく、その栄光を神に帰することが神に応答する生き方であり、神と共に歩む人生と学ぶことが出来ます。
「人の子の日」というのは終末のイエスの再臨を表しています。それは少数の人にだけ知らされるのではなく、万人等しく知らされるとのこと。その前にまずはイエスが十字架に架けられなければならないのです。「その日」はノアとロトの時代の人たちがが神さまから裁きを受けたように人々はこの世の楽しみを求めて、主の前に悔い改めることをしません。最後の「はげたか」とは裁判を象徴する言葉とのことで、最後の一文は「全ての人に裁きがが普遍的に訪れる」と読みとれるのではないかと思います。

聖書要約
グッド赦し、信仰、奉仕
主イエスは弟子に言われました。「罪の誘惑はいつでも付きまとっています。しかし誘惑する本人はなんと不幸なのでしょう。首にひき石をくくりつけられて海に投げ込まれる方がましです。もし友が一日の内に七回罪を犯しても、七回「悪かった。赦してくれ」と謝るなら赦してあげなさい。赦すことや、つまずかせないようにするには信仰が必要と考えた弟子は「信仰を増してください」とイエスに言いました。するとイエスは「からし種(最も小さいという意味)ほどの信仰があればこの桑の木に『抜き出て海に根をおろせ』と言っても言うことを聞く」と言われました。
一日中働いた奴隷が帰ってくるなり座って食事をすることはありません。まず主人のために食事の支度し、給仕をしてから食べます。それは当然のことです。イエスに従うことも取り立立ててほめられることではなく、しなければならないことをしたに過ぎないのです。
グッド重い皮膚病を患っている十人の人を癒す
イエスがエルサレムに上る途中の村で十人の重い皮膚病の人が出迎えてくれました。遠くの方から「どうぞ私たちを憐れんで下さい」と叫びました。イエスは「体を祭司に見せなさい」と言われました。彼らがそこに行く途中に癒されました。それを感じたその中の一人は大声で神を賛美しながらイエスの所に戻ってきてひれ伏して感謝しました。その人はユダヤ人から軽蔑されていたサマリヤ人でした。
グッド神の国が来る
ファリサイ派の人々がイエスに「神の国はいつくるのか」と尋ねます。イエスは「神の国は目に見える形では来くのではなく、あなた方の只中にある」と言われ、次いで弟子たちに「まもなく、一日でも一緒にいたいと願っても私はここにはいないという日がきます。『イエスが帰って来られた。ここにいる』という情報が飛び交うでしょう。それは間違いです。わたしが来るときは全ての人にはっきりと分かります。しかしその前にわたしは苦しみを受け、全ての人々から見捨てられなければなりません。ノアの洪水が起る前の様に、またソドムとゴモラが滅ぼされる前の様に、その瞬間まですべてがいつもどおりなのです。しかしその日外出のしている者は家に物を取りに帰ってはいけません。この世の命に執着する者は命を落とすことになります。二人の内一人は天に上げられ、一人は残されます。」と。そして「神を信じない者への裁きが普遍的に行われる」と言われました。

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【聖書】ルカ16章

ルカによる福音書16章・・・・・・小さな愛の業からはじめよう。
「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」ルカ16:10

くぅ〜ママのちょっと一言
管理職を奪われるという迫りくる危機を深刻に受け止め、必死で策を講じている姿が、終末に際して、危機感を持ち、帳尻あわせでもいいから、神の国に入る備えをするようにという勧めのように思います。証文を書き変えたという手法にとらわれないようにしなければならないと思います。
「律法と神の国」では「自分の功績によって(律法的生き方)神の国に入ろうとしても無理なこと。律法の時代はヨハネを境として終わりを告げ、神の国の福音の時代がやってきていると教えています。
「金持ちとラザロ」では死後の世界が書かれています。金持ちが地獄に落ちた原因は自分に与えられた財産を自分のものと思って、自分の楽しみだけのために使ったことでした。金持ちは与えられたものに対して神に感謝し、その恵みを人々に分かち合わなければならなかったのです。また死に際してどのように生きてきたかを清算しなければならないことをこの個所は教えています。どんなにお金持ちであっても、どんなに人々の尊敬を受けても、『神の前にどう生きたか』で死後に地獄に行くか、天国に行くか分かれるというのです。私達は聖書からその厳粛さを知らなければならないと思うのです。

聖書要約
グッド不正な管理人のたとえ
イエスは弟子たちにたとえ話をされました。「主人に『あなたの財産管理人は不正をしている』と告げ口をする者があった。主人に指摘された管理人は職を失う前に、主人に借金をしている人を呼んで、証書を書き換えた。自分が職を失った時に助けてくれるようにと考えたのだった。これを知った主人は管理人の賢さを褒めた」確かに、この世の人たちは神を信じる人たちよりずっと抜け目がありません。「不正の富を用いても親しい友を作りなさい。小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実です。小さなことに不誠実な人は、大きなことを任されてもそれを果たすことができない。この世の富みも任せられない者に、どうして天にある本当の富を任せられるだろうか。他人の富みに忠実でなかったら、あなた方は自分の富みも任せられない」またイエスは言われました。「神と富とに仕えることはできない」と。
グッド律法と神の国
ファリサイ派の人々がこれを聞いてイエスをあざ笑いました。そこでイエスは言われました。「あなた方は自分の正しさを見せびらかすが、神はあなた方の心をお見通しだ。人に称賛を受けても、神はあなた方を憎まれる。ヨハネが現れるまでは、律法があなた方の指針だったが、それ以降は神のすばらしい知らせが宣べ伝えられ、大勢の人がなにがなんでもそこに入ろうとしている。しかし律法が効力を失ったわけではない」と
グッド金持ちとラザロ
「ある金持ちがいた。上等の服を着て、毎日贅沢に遊び暮らしていた。金持ちの門前にラザロというできものだらけの貧しい人が金持ちの食べ残しにでもありつきたいと、横たわっていた。やがてラザロは死んで天使たちにアブラハムの側に連れて行かれた。金持ちも死んだが、魂は地獄に落ちた。苦しみ喘ぎながら上を見ると、ラザロが見えた。金持ちは『アブラハムさん、ラザロをよこして、指先を水に浸して私の下を冷やしてください』と。アブラハムは『こちらとそちらの間には深い淵があって、行き気出来ない』と言った。すると金持ちは『ラザロを私の兄弟のところに遣わしてこんなところに来ることがないように言い聞かせてやってほしい』と言いました。しかしアブラハムは言った。『モーセや預言者の言葉に耳を傾けない者は、たとえ死者から生き返った者が言っても聞き入れないだろう』と。」

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【聖書】ルカ15章

ルカによる福音書15章・・・・・・失われていたものが見いだされる
「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」ルカ15:10

くぅ〜ママのちょっと一言
3つたとえの共通の主題は「失われた者が立ち返った喜び」ということです。一人の人が神の元に立ち返るために、あらゆる犠牲をいとわない神の御心が現わされています。
しかし迷った1匹の羊のたとえを読む時に、私たちは自分を99匹の方において、「群れから離れて迷惑なこと〜仕方ないわねえ」と1匹の羊を非難しがちです。放蕩息子のたとえでは自分を兄の立場において読んでしまいがちです。わたしたちは自分は正しいと思い込んでいます。それではファリサイ派の人々や律法学者と同じです。神から遠くはなれ、神から愛される資格のない者であることに気付くことがクリスチャンの基本なのです。失われていた私が、見出され、神の子とされる資格を頂くことが出来るということが聖書が語る福音(良き知らせ)なのです
またドラクメ銀貨1枚は同時の貧しい労働者の1日の賃金ほどの価値があり、10枚そろってアクセサリーとなるので、1枚失うことは全体をだめにしてしまうことになるのだそうです。神さまの前には1人が全体であり、ひとりの持つ価値は全体と同じであるということがかかれています。
私たち一人一人は神にとってかけがえのない存在です。失われた一人が神に立ち返るように神は今日も願っておられます。かつてイエスの肩に担がれて神のもとに帰って来たように、今日もイエスに見いだされる人が一人でも多くありますように願わずにはおれません。

聖書要約
グッド「見失った羊」のたとえ
イエスの話を聞きに来る人たちの中には不正に取り立てをする取税人や、律法に照らして罪人と言われる人たちが大勢いました。ファリサイ派や律法学者たちはそれを見て不平を言いました。そこでイエスは次のようなたとえを話されました。「100匹の羊を飼っている人がいて、その1匹が荒野で迷子になってしまった。するとその人は99匹の羊をおいて、1匹が見つかるまで捜しまわるでしょう。見つけたら喜んで羊を肩に担いで帰り、友だちや近所の人に一緒に喜んでくださいと言うでしょう。このように一人の罪人が悔い改めて神に立ち返ることは、悔い改める必要のない正しい人99人にも増して天では大きな喜びなのです。」
グッド「無くした銀貨」のたとえ
女の人が10枚の銀貨の内、1枚をなくしたなら、その1枚を見つけるために念入りに探し、見つかったら、友だちや近所の人を呼んで一緒に喜んでもらうでしょう。一人の罪人が悔い改めて神のもとに立ち返った時、天では大きな喜びがあるのです。
グッド「放蕩息子」のたとえ
イエスはさらに話されました。「二人の息子の内、弟が父に『今すぐ財産を分けてほしい』と言いました。そして財産をもらった弟はそれをお金に替え、遠い所に行って放蕩の限りを尽くしました。ちょうどその頃その国に飢饉が起り、食べ物にも事欠くようになり、豚を飼う仕事につくまでになりました。豚のえさを食べたいと思うほどの状態になった時、やっと目覚め、父のもとに帰って、「お父さんごめんなさい。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません。どうか雇い人にしてください」と言おうと決心しました。帰って来た息子に目を留めた父は走り寄って、抱きしめて、上等の服を着せ、指輪をはめ、「死んだものと諦めていた息子が生き返った」と盛大な宴会を用意させました。畑仕事から帰って来た兄は怒って、「わたしは何年もお父さんに仕えて、言いつけに背いたことはありません」と言いました。父は兄をたしなめて言いました「わたしの物はみんなお前の物だ。しかし弟はいなくなっていたのに見つかったのだから喜ぶのは当たり前だ」と。

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【聖書】ルカ14章

ルカによる福音書14章・・・・・・神の国の食卓につく
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」ルカ14:15

くぅ〜ママのちょっと一言
当時、安息日の礼拝後に、おもだった人を招いて宴会をすることはよくあったようです。そこでイエスが水腫の男を癒されたことが書かれています。安息日など律法を守ることは神に栄光を帰す為のものですから、安息日であっても神が喜ばれることはするべきなのです。
上席を好む者への警告ところでは、謙遜に生きることは、高慢に生きることに優っていると教えています。物質的に豊かであれば、人は自分の力を誇り、高慢になりがちですが、物質的に恵まれていても、そうでなくても、神の前にどう生きているかが問題なのです。
ユダヤでは大宴会を催す時に仮の招待状を出し、再度、招待する習慣があったようです。この大宴会のたとえは「神の国の食事」です。旧約聖書は仮の招待状を現わし、2度目の招待は、バプテスマのヨハネやイエスの弟子達の招きを指しています。2度目の招きに対して、先に招かれていた人は色々な理由をつけて宴会を欠席します。そこで急遽、当時罪人と呼ばれているような人々や通行人が招かれたのです。神の国の食卓につくことは、永遠の救いを意味します。神の宴会の招待状を手にしたときには、何事にも優先してお受けしないといけないのです。
弟子の条件では3つのこと求められています。ひとつは神への愛です。それは親兄弟の愛よりも、自分への愛よりも勝る愛です。二つ目は自分を捨てること。三つ目はこの世の富みへの執着を捨てること。これらのことは決して容易いことではありませんが、今日まで神から愛され、守られてきたことを思うときに、このような弟子としての生き方が出来るのではないかと思います。

聖書要約
グッド安息日に水腫の人を癒す
安息日イエスはファリサイ派の議員の家で食事することになりました。そこにいた水腫を患った人にイエスがどうされるか、人々は見守っていました。そこでイエスは「安息日に病気を治すことは許されているか」と人々に聞き病気を癒されました。そして「息子はおろか牛であっても、井戸に落ちたら安息日でもすぐに引き上げるではないのか」と言われました。誰も答えることはできませんでした。
グッド客と招待する者への教訓
「招かれた時は上席に座らず末席に座りなさい自分から名誉を受けようとする者は低くされ、自分から腰を低くする者は身に余る名誉を受ける」とイエスは言われました。また「宴会を催す時は、あなたにお返しをすることが出来ないような人々を招きなさい。あなたは天からの報いを受ける」と言われました。
グッド「大宴会」のたとえ
イエスがたとえで話されました。「大宴会の時間が来ても、招待された人々はことごとく口実をつけて出席を断った。『畑を買ったので。牛を買ったので。妻を迎えたばかりなので。』怒った主人は広場や路地に行って、貧しい人や体の不自由な人を連れて来させた。最初に招かれた人たちで私の食事を口にする者は一人もいない」と。
グッド弟子の条件
イエスについて来た群集に向かってイエスは言われました。「誰でも私に従いたいのなら、父母、兄弟、自分の命以上に私を愛し、自分の十字架を背負い、この世の富みへの執着を捨てて従ってきなさい」と言われました
グッド塩気のなくなった塩
イエスの弟子なら、イエスに従うこれらの覚悟を失ってはいけません。それは塩気がなくなった塩のようです。

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【聖書】ルカ13章

ルカによる福音書13章・・・・・・実のなるいちじく
「御主人様、今年もこのままにしておいてください…来年は実がなるかもしれません。」ルカ13:8

くぅ〜ママのちょっと一言
「実のらないいちじく」のたとえですが、ある人とは神、園庭とはイエス、実をつけることの出来ないいちじくの木は私達です。「実」とは平和の実、喜びの実、善意の実 柔和の実、愛の実、寛容の実、親切の実、誠実の実、節制の実(ガラテヤ5:23)そのような実をなかなかつけることが出来ない私達です。神は愛のお方ですが、厳しい裁き主でもありますから、本来なら、罪ある私達を赦すことは出来ません。しかし神は御子イエスを私達の罪の身代わりとして十字架につけることによって、私達に救いの道を与えて下さいました。私たちが切り倒されずにすんでいるのは、十字架に架かってくださったイエスが日々私たちのために、神に執り成して下さっているからなのです。「狭い戸口」とは入ろうとしても入れない人が多いということを表わしています。戸が閉められる時、すなわち地上での楽しみが終わり、終末の悲しみが覆っていると時に、戸の中では、天の喜びの宴会が始まります。神の裁きの結果で戸口の内と外に分かれるのです。
神に切り倒さないでくださいと執り成し、めんどりが雛を集めるように、戸の中に入るように手招きしてくださるイエスの愛に答えて生きていかなければならないと思います。

聖書要約
グッド悔い改めなければ滅びる
何人かの人がやってきて、イエスに「ピラトがエルサレムの神殿で供え物をしていたガリラヤ人を殺害した」と告げました。イエスは「殺された者が特別罪深かったわけではない。シロアムの塔が倒れて犠牲になった者も同じだ。あなた方も悔い改めなければ、同じように滅びる」と言われました。
グッド実らないいちじくの木のたとえ
イエスは次のようなたとえ話しをされました。「ある人がぶどう園にいちじくを植えたが、三年経っても実がならない。とうとう腹が立てって、『これ以上手をかける必要はない』と切り倒すように園庭に命じた。すると園庭は主人に言った。『もう一年待ってください。念入りに肥料をやってみます。来年、実をつけるかもしれません。』と。
グッド安息日に腰の曲がった婦人をいやす
安息日にある会堂に18年間出血で腰が曲がったままになっている女性が入ってきました。イエスがその女性に「あなたの病気は治った」と言われると、たちどころに腰が真っすぐになり、賛美して出て行きました。「安息日に働いてはいけない」という会堂長にイエスは「安息日でも牛やロバの綱を解いてに水を飲ませる。まして18年間もサタンに縛られていた女性を解放してやることがなぜ悪いことか」と言われました。人々はその教えを聞いて喜びました。
グッド「からし種と「パン種」のたとえ
神の国は見る間に大きく成長するからし種ややパンを膨らせる酵母のようなもの。やがて世界中に広がります。
グッド狭い戸口
「救われる人は少ないのか」と問う人にイエスは答えられました。「天国の門は狭いが、出来る限りの努力をして、そこに入りなさい。入ろうとしても入れない人が大勢いる。主人が戸を閉めてしまわれたら、どれほど戸を叩いても入ることはできない。あちらこちらの国からやってきた人が神の国の宴会の席につきます。今、軽んじられている人が多いにほめたたえられます。
グッドエルサレムのために嘆く
ファリサイ派の人々がイエスに忠告しました。「ヘロデがあなたの命を狙っているから、ここから出て行きなさい」と。イエスは「私は人々をいやし、悪霊を追い出すのは限られた間だ。しかしエルサレム以外では殺されることはない。わたしは「あなた方が救われるように」と何度も神に執りなしたが、あなた方はそれを拒んだ。あなた方は見捨てられる。そしてその日が来るまでわたしの姿を見ることはない。

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