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【聖書】マタイ10章

マタイによる福音書10章・・・・・・主に遣わされる者に
蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。マタイ10:16

くぅ〜ママのちょっと一言
主が地上にこられたのは平和のためではなく、剣をもたらすためと書かれています。「平和の君」といわれるイエス様が「平和ではなく剣」とは理解しがたいです。それは律法が教える「隣人を愛さなければならない。両親を敬わなければならない。」ではなく、「心から隣人を愛することが出来き、心から両親を敬うことが出来る」そんな新しい時代の到来を表しているのではないかと思います。人を常に、無条件に、心から愛することができない私たちが、イエスの愛を知ることによって、真の愛を行うことが出来るようになります。「真の愛」とは自己を捨てることによって成り立つ愛です。これがイエスの愛、キリスト教の愛なのです。

聖書要約
グッド12人の弟子を選ぶ
イエスは12人の弟子を呼び寄せ、彼らに汚れた霊を追い出し、あらゆる病気を治す権威を与えられました。12人の弟子の中にはイエスを裏切ったイスカリオテのユダも入っています。
グッド12人の派遣する
イエスは12人を派遣するにあたり、次のことを命じられました。異邦人の人々ではなく、イスラエルの人々の所に行きなさい。そして「天国は近づいた」と宣べ伝えなさい。ただで授けられた力なのだから無報酬で働きなさい。どんな町でも、神を敬う人を見つけて世話になりなさい。そしてまずその家の祝福をまず祈りなさい。あなたがたを受け入れない家はソドムやゴモラ以上の裁きがあるでしょう。
グッド迫害を予告する
あなた方を派遣するのは狼の群れの中に羊を送るようなものです。だから、蛇のように危険を素早く察知できる賢さと、鳩のように素直に神に対して信頼しなさい。もし捕えられたら、どのように話そうかと心配しなくてもいいです。天の父があなた方の口を通して語ってくださいます。あなたたちは私の弟子だと言うだけで人に憎まれます。しかし耐え忍ぶ者は救われます。一つの町で迫害されたら、次の町に逃げなさい。人の子が裁きのために来られるのはそれほど先のことではありません。主人の私がゼルブン(サタンのかしら)と言われるくらいだから、あなたがたはどれほどひどく言われるでしょう。
グッド恐るべき者
しかし脅迫する者たちを恐れてはいけません。彼らの陰謀が必ず明るみになる時が来ます。体を滅ぼせても魂に触れることが出来ない者を恐れる必要はありません。体も魂も地獄に落とすことが出来る神のみを畏れなさい。2羽がたった1アサリオン(50円ほど)で売られている雀でさえ、神の許しなしには地に落ちません。まして、髪の毛1本まで神によって数えられているあなたたちですから心配しなくていのです。
グッドイエスの仲間であると言い表す
誰の前でも「私はイエスの友だちだ」と、認めるなら、私も天の父の前であなたを私の友と認めましょう。
グッド平和ではなく剣を
私は地上に平和にするためにきたのではありません。この世を愛することより、わたしを大切にするための争いが起きます。自分の命を得ようとする者はそれを失い。わたしのために命を失う者はそれを得るのです。
グッド受け入れる人の報い
あなたがた(弟子)を受け入れる者は私を受け入れ、私を遣わされた神を受け入れるのです。わたしの弟子ということで水を1杯でも飲ませてくれる人は必ずその報いを受けます。

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【聖書】マタイ9章

マタイによる福音書9章・・・・・・信仰のごとくになる
「あなたの信仰があなたを救った。そのとき、彼女は治った。」マタイ9:22

くぅ〜ママのちょっと一言
断食の箇所も婚礼の例話や布や皮袋の例話も全て律法から福音の時代がやってきたことの象徴として書かれています。たとえば古くて硬くなった皮袋にイエスの躍動するような生命力を入れたとしたら、はちきれてしまうというわけです。主イエスの優しいまなざしは小さなもの、弱いもの、困っているものに向けられ、救いの手が差し伸べられています。弱さを抱えたまま、イエスを信じてみ前に進み出たいと思います。私たちが信じたごとくに主は私たちを取り扱って下さるのですから。

聖書要約
グッド中風の人をいやす。
人々が中風の人を床に寝かしたままイエスのところにつれてきました。イエスの所につれてきたら治ると信じていました。その信仰をご覧になったイエスは「あなたの罪は赦される」と、言われました。その場にいた律法学者が「神を冒涜している」思っているのを見抜かれたイエスはさらに神の権威を示すために「起きて歩け」と言われました。その人起き上がって家に帰りました。
グッドマタイを弟子にする
取税所にマタイが座っているのをご覧になったイエスは、「わたしに従いなさい」と招かれました。すると彼は立ちあがって従ったのです。イエスがマタイの家で食事をしていた時のことです。取税人や罪人と言われた人たちもやってきました。イエスは「医者を必要としているのは丈夫な人ではなく、病人である。わたしが来たのは正しい人を招ためではなく、罪人を招くためです。」と、言われました。
グッド断食問答
「なぜあなたの弟子は断食をしないのか」と、ヨハネの弟子が尋ねました。イエスは言われました「花婿の友人たちは花婿が一緒のときは悲しんだり、食事をしなかったりしません。やがて花婿であるわたしが彼らから引き離された時には、彼らは断食するでしょう。水洗いしていない布を古い布に継ぎあてると当て布が着物を破ってしまいます。新しいぶどう酒を古い革袋にいれたら袋は張り裂けます。」と。
グッド指導者の娘とイエスの服に触れる女
娘を亡くした町の会堂管理人がイエスの所に来て「娘に手をおいて下さい。そうすれば娘は生き返るでしょう」と言いました。イエスはその娘の所に行く途中、12年もの間出血が止まらない女性が人ごみにまぎれてイエスの着物の房に触りました。「触るだけで治る」と信じていたのです」。イエスは振り向きその女性に言われました。「あなたの信仰があなたを救いました。」と。その時彼女の病は治りました。続いて管理者の家に行き娘をいやされました。
グッド盲人をいやす
二人の盲人が「ダビデの子よ、私たちを憐れんで下さい」と、言いながらついてきました。イエスは「わたしに出来ると信じるか」と聞かれました。二人は「はい」と、答えました。「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われるとたちまち二人は見えるようになりました。
グッド口の聞けない人をいやす
悪霊に取りつかれて口が聞けない人がイエスのところに連れて来られました。イエスは悪霊を追い出されると、二人はしゃべることが出来るようになりました。ファリサイ派の人々は「あの男は悪霊の頭の力を借りている」と、言いました。
グッド群衆に同情する
イエスは『町中を回って、会堂で教え、福音を宣べ伝え、病気をいやされました。彼らが飼い主のない羊のように弱っているのをご覧になって深く憐れまれました。そして弟子たちに言いました。収穫は多いが働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送って下さるように収穫の主に願いなさい』と。

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【聖書】マタイ8章

マタイによる福音書8章・・・・・・問題の真っただ中に示される主の愛
「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」マタイ8:26

くぅ〜ママのちょっと一言
山の上で群集に向って、今までの教えとは違う、最高の生き方を示されて、山から下りてこられると、そこには問題が山積した現実が待っていました。皮膚病の人、中風のもの、ペトロのしゅとめの病、また悪霊に取り付かれたもの。それは人間世界の痛み、人生の痛みそのものです。また悪霊に取り付かれた二人の人が癒されたことよりも、損失をこうむった豚の群れの方に注意が向いてしまうような、愛のない社会です。そのような問題の中に暮らす私たちに寄り添って下さり、病をいやし、嵐を静めて下さるために、主イエスはこの世にお生まれになりました

聖書要約
グッド重い皮膚病を患っている人をいやす
イエスが山を降りられると、大勢の群衆がついてきました。すると一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄って「主よ、み心ならば。わたしを清くすることがおできになります。」と、言いました。イエスはその人に触れて「清くなれ」と言われると、皮膚病は治ったのです。イエスは律法に書かれているように、祭司に体を見せて供え物をするようにその人に言われました。
グッド百人隊長の僕をいやす
イエスがカファルナウムの町に来られると、ローマ軍の隊長がやってきて「私の部下の体のマヒを治してやってください」と言いました。イエスが「わたしが行って治してあげよう」と言うと、隊長は「来て頂かなくても、この場で『治れ』と、言って頂くだけで部下は治ります。私も部下に権威をもって命じます。先生の権威で言って下されば必ず治ります。」と、言いました。イエスは驚き、群衆に向かって「これほどの信仰は見たことがない。このように外国人が大勢やってきて天国の食卓につくでしょう。天国はイスラエルの民のために用意されたのに、あなたたちは暗闇に放りだされるでしょう。」と言われました。
グッドおおくの病人をいやす
イエスはペトロの家に行き、ペトロの姑の病気をいやされました。姑は起きてイエスをもてなしました。夕方になると悪霊につかれた多くの人たちがイエスの所に連れて来られました。イエスが一言お命じになると悪霊は逃げ出し、病気が治りました。預言者イザヤが言った言葉の通りになったのです。
グッド弟子の覚悟
ユダヤ教の教師がやってきて「あなたがどこに行かれてもわたしはついていきます」と、言いました。それに対して、イエスは「キツネや空の鳥にも帰る所があるのに、人の子は枕するところもない」と言われました。また弟子が「まず父の葬りに行かせてください」と言ったのですが、イエスは「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに死者を葬らせなさい」とおっしゃいました。
グッド嵐を静める
イエスと弟子を載せた舟が嵐に遭い大波にのまれそうになりました。イエスはぐっすり眠っておられました。弟子が「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言うと、イエスは「神を信じているなら、そんなに恐がらなくてもよい」と言われ、風と湖をお叱りになりました。するとすっかり凪になったのです。
グッド悪霊に取りつかれたガダラの人をいやす
向こう岸のガダラで、悪霊につかれて墓場で暮らしている二人の人がやってきました。突然、彼らは叫びました「神の子よ、まだその時が来ていないのに、苦しめないでくれ」と。そして「我々を追い出すのだったら、あの豚の群れにいれてくれ」と言いました。イエスが悪霊に命じると、悪霊は豚の中に入りました。豚の群れは崖を駆け下りおぼれ死んでしまいました。それを聞いた町の人々はこれ以上迷惑をかけないでほしいので出ていってくれとイエスに頼みました。

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【聖書】マタイ7章

マタイによる福音書7章・・・・・・求める者には天の父が与えてくださる
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」マタイ7:12

くぅ〜ママのちょっと一言
山上の説教の最後の章です。6つの教えが説かれました。
「人を裁くな」これは自分が裁かれないためなのです。 「求めなさい」の最後の部分の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」は山上の説教の総まとめとも言える教えですが、新約聖書全体の要約でもあり、黄金律(ゴールデンルール)と言われています。人に善をおこなう動機は主が私たちによい物を下さっているからなのです。
13節には神さまの道は回り道の狭い道だと書かれています。悠々自適の道では神さまの愛に触れることは難しいのです。
24節はかしこい人とおろかな人の生き方の違いです。岩の上に基礎を置いて家を建てた人とはイエスキリストを土台として建てあげる人生の確かさ、安定感、困難にも耐えうることが示されています。
この章は主に従って生きることが具体的に述べられています。主イエスが権威をもって話されたこれらのことを、クリスチャンとして生きる指針としたいと思います。

聖書要約
グッド人を裁くな
人のあら捜しや高慢な気持ちで人を批判すると、あなたも同じようにされます。人の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中にある丸太に気がつかないのでしょう。自分の目の丸太をまず取り除いたら、はっきり見えるようになるでしょう。豚や犬は聖なる神の福音を理解せず、踏みにじったり、襲いかかってきます。聖なるものをそのような者に与えるのは豚に真珠を与えるようなものです。
グッド求めなさい
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。パンをねだる子どもに石を与える父親がいるでしょうか。「魚が食べたい」という子に毒蛇を与える父親がいるでしょうか。まして、天の父は求める者によいものを下さいます。天の父からよいものを受ける者として、他の人にも、自分がしてほしいと思うことをしてあげなさい。これが律法と預言です。
グッド狭い門
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広いが、命への門は狭く、細く、見いだす者は少ない。
グッド実によって木を知る
偽教師たちに気をつけなさい。彼らは羊の毛皮をかぶった狼です。正体を見抜くには行いを見ることです。実を見れば何の木かは分かるでしょう。よい実を結ばない木は切り倒され火に投げ込まれます。あなた方もその実である行いによって、その正体が見分けられます。
グッドあなたのことは知らない
私に向かって「主よ、主よ」という者が天に入れるわけではない。天の父のみ心を行う者だけが入れます。そうでない者には「私はあなたのことを知らない」というでしょう。
グッド家と土台
私の言葉を聞いて行う者は、岩の上に家を建てた賢い人に似ている。嵐が起こっても倒れることがありません。私の言葉を聞いて行わない者は砂の上に家を建てた愚かな人に似ています。嵐が起こると、跡形もなく壊れてしまいます。群衆はイエスの言葉に目を見張りました。それは特別な権威をもってお語りになったからです。

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【聖書】マタイ6章

マタイによる福音書6章・・・・・・天の報いを受けるために
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

くぅ〜ママのちょっと一言
山上の説教の続きで、施し、祈り、断食、冨についてのあり方が書かれています。私たちは人の賞賛を受けたいという気持ちが心のどこかにありますが、主イエスは地上で賞賛を受けることに関心をもつのではなく、神様から与えられる賞賛に心を向けなさいと言われるのです。「地上で報いを受けてしまったら、神様の報いはない」のです。それは私たちの心が神さまに向いているか、この世に向いているかということが問われているのだと思います。
そして空の鳥、野の花を示して「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と言われます。これらのものとは、この世で生きていくのに必要な衣食住、人間関係、知恵…などです。神という「大事」からすれば、それらのものは加えて与えられる、おまけのようなものなのです。だから明日のことは思い悩まず、ただ主なる神に心を向けて、主からの賞賛を得けるために精一杯生きていけばいいのです。

聖書要約
マタイ6:33

グッド施しをするときには
人に見てもらおうと善行を見せびらかせないようにしなさい。人に親切にする時には右の手でしたことを左の手でさえ気づかないようにしなさい。そうすれば天の父なる神から報いを頂くことが出来ます
グッド祈るときには
さも信心深かそうに人に聞こえるように祈ってはいけません。祈るときは天の神に心を集中して祈りなさい。そうすればあなたは神から報いを受けます。神は祈る前からあなたの必要をご存じです。だからこう祈りなさい…(主の祈り)
グッド断食をするときには
神に集中したくて食事を絶つ時には人に悟られるようなやり方をしてはいけません。人に心を奪われず、天の父だけに心を集中させなさい。そうすれば神はあなたに報いてくださいます
グッド天に富を積みなさい
この地上に財産を蓄えてはいけません。むしろ天に富を積みない。天の富は奪われることはありません。そして富のあるところにあなたの心はあります
グッド体のともし火は目
目が澄んでいればあなたの魂も澄んでいます。欲望や悪い考えで目が曇っているなら魂も暗闇です。
グッド神と富
神と富の両方に仕えることはできません
グッド思い悩むな
ですから、食べ物や着る物のことで心配してはいけません。空の鳥は種まきもしないし、刈り入れた物を倉にしまうこともしないが、天の父が養って下さいます。野の花も働きもせず紡ぎもしないが、天の父が美しく装って下さいます。ましてや鳥や花よりも大切に思っていてくださるあなた方に天の父が良くして下さらないはずはありません。あなた方が思い悩んだからと言って寿命をわずかでも伸ばせることが出来るでしょうか。天の父があなたがたが必要としているものはみなご存知です。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられます。だから明日のことまで思い悩ではいけません。」

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【聖書】マタイ5章

マタイによる福音書5章・・・・・・愛の人に変えられる
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」マタイ5:44

くぅ〜ママのちょっと一言
モーセに与えられた律法(旧約聖書)とイエスによってもたらされる福音(山上の説教)が対照的に書かれています。律法は人として守らなければならない最低限の基準が示されており、山上の説教は生きるうえで最高の愛と恵みの基準が示されているとも言えます。それは私には出来そうにもないことばかりです。しかしイエスに近づき見習って生きていこうとする時に、また色々な物事をイエスキリストというフィルターを通してみた時に、愛せない人を愛することが出来る自分に変えられていくということを経験します。やはりこの素晴らしい愛の教えを「私には出来ない」で済ませてはいけません。「主イエスが語られたように生きることが出来るように、私自身を変えてください」と祈りたいですね。

聖書要約
グッド山上の説教を始める
ある日、大勢の人々が集まってきたので、イエスは山に登って人々に教えられました。
グッド幸い
心の貧しさを知っている謙遜な人は幸いです。天国はそういう人に与えらます。この世の悪を悲しむ人は幸いです。神が慰めてくださいます。自己主張せず神により頼む柔和な人は幸いです。この世はそう言う人のためのものです。神の前に正しくありたいと思っている人は幸いです。その願いはかなえられます。親切で憐れみ深い人は幸いです。神が憐れんで下さいます。心の清い人は幸いです。神と親しくお会いすることができます。平和を造り出そうとしている人は幸いです。神の子と呼ばれます。神に従おうとしているのに迫害される人は幸いです。天国にその報いが用意されています。
グッド地の塩、世の光
あなた方は世の塩です。腐敗を防止したり、隠し味にかかせない塩の役割を果たさなかったら無用の者となってしまいます。あなた方は世の光です。誰にも見えるように あなた方のよい行いを輝かせなさい。天の父を人々がほめたたえるように。
グッド律法について
わたし(イエス)がきたのは律法を無効にするためではありません。この神の戒めに対する態度が天国においてはその人の価値基準となるのです。
グッド腹を立ててはいけない
律法では「殺すな」と書かれている。しかしわたしはさらに付け加えます。人に腹を立てたり、友をのろうと地獄の火に投げ込まれます。だから供え物をしようとする時、もしあなたを訴えようとする人がいたら一刻も早く和解しなさい。
グッド姦淫してはならない
律法では「姦淫してはならない」と書かれている。しかしみだらな思いで他人の妻を見る者は心で姦淫したのと同じです。右目がそのようにさせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。全身が地獄に落ちるよりその方がましです。
グッド離縁してはならない
律法では「妻を離縁するなら離縁状を渡せ」と命じられている。しかし不倫以外の理由で離縁するなら、妻に姦通の罪を犯させることと同じです。
グッド誓ってはならない
どんな誓いも立ててはいけません。あなた自身には自分の髪の毛一本でさえ白くも黒くもできない。ただ「はい、そうします」「いいえ、そうしません」とだけで十分です。
グッド復讐してはならない
「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし私は言う。あなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。求める者には与えなさい。
グッド敵を愛しなさい
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。自分を愛してくれる人を愛しても当たり前です。あなたの父である神の愛が完全なように、どんな相手にも完全な愛を持ちなさい。

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【聖書】マタイ4章

マタイによる福音書4章・・・・・・力ある神の言葉
「人はパンだけで生きるのものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」マタイ4:4

くぅ〜ママのちょっと一言
聖霊を受けられ、神から祝福されたイエスは、今度は悪魔の3つの誘惑に遭われます。これに対してイエスはみことばを引用してサタンに打ち勝たれます。イエスが使われたみことばは、旧約聖書の言葉です。新約聖書はイエスのことが書かれているのですから、まだこのときは存在しません。
神さまの特性は愛や平和、一致ですが、それに反するものがサタンです。憎しみ、戦争、分裂など、まさにこの世の姿です。サタンとは人々を神からこの世に引き離そうとする「力」と言えます。悪なる力はこの世に生きている私たちに働きかけます。それは自己中心的な生き方であったり、神さまなど本当に存在するのかなあと疑いであったり、少しくらいならと人の悪口を言ったり…。このような誘惑に打ち勝つ方法が聖書の言葉を身につけることです。言葉には力がありますから。

聖書要約
グッド誘惑を受ける
それからイエスは聖霊に導かれて荒野に行きました。そこには悪魔の試みが待ち構えていました。イエスが40日間の断食の後、悪魔が空腹のイエスに近づき言いました。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じたらどうだ」と。イエスは「人はパンだけで生きるのものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と聖書の言葉で言い返しました。つぎに悪魔は神殿の一番高い所に連れて行って言いました。「さあ、ここから飛び降りてみなさい。『神がみ使いに命じてあなたの足が石に打ちつけられないように手で支える』と聖書に書いてあるんだから」と。イエスは「あなたの神である主を試してはならない」と聖書の言葉を用いて言い返しました。さらに悪魔はイエスを高い山に連れて行って、世界の繁栄ぶりを見せて「さあ、わたしにひざまずいて拝みなさい。そうすればこれを全部あなたに上げよう」と誘惑してきました。イエスは「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と聖書に書いてある」と一撃しました。サタンはイエスから離れました。すると、天使たちが来てイエスに仕えました。
グッドガリラヤで伝道を始める
イエスはヨハネが捕えられたと聞いてナザレからガリラヤ湖畔のカファルナウムにきて住まれました。それはイザヤの預言通りのことでした。その時からイエスは「悔い改めよ、天の国は近づいた」と、教えを宣べ伝え始められました。
グッド四人の漁師を弟子にする
ある日イエスがガリラヤ湖の岸辺を歩いておられた時のことです。漁師の二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンアンデレが網を打っているのをご覧になって、「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。二人は網を捨ててイエスに従いました。しばらく行ったところで、ヤコブヨハネが父ゼベダイと舟の中で網の修理をしているのを見かけて、イエスが「ついてきなさい」と声をかけると、すぐにイエスに従いました
グッドおびただしい病人をいやす
イエスはガリラヤ中を巡って、諸会堂で教え、福音を宣べ伝え、病気を癒されました。その評判はシリア中に広まり、あらゆる病気の人が連れて来られました。イエスはそれらの病を癒されました。ユダの色々な所から大勢の人が集まりイエスに従いました。

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【聖書】マタイ3章

マタイによる福音書3章・・・・・・聖霊なる神の力を頂いて
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」マタイ3:17

くぅ〜ママのちょっと一言
ヨハネはイエスの母、マリアのおばであるエリサベトに年老いてから与えられた子どもです。ヨハネは人類の救いと言う神様の壮大なプロジェクトのキーパーソンの一人として誕生します。ルカによる福音書にはヨハネのことがもう少し詳しく書かれています。ヨハネの役割は律法から福音への橋渡しという重要な役割です。
律法とは旧約の時代神と人類との間にかわされた古い契約であり、「律法を守れば救われる」という契約です。しかしその契約は律法(善)を行おうとしても行いきれない私たちの罪が明らかにされるものでもありました。しかしその律法の時代は終わりを告げ、新たな福音の時代が幕を開けます。福音とはキリストを信じることによって救われるという新しい契約です。そのことを民に告げることがヨハネの役割でした。パリサイ派は極端な律法主義者、サドカイは裕福な祭司階級の人々です。
ヨハネのもうひとつの役割は神さまの御子イエス・キリストを紹介することでした。
イエスはまずヨハネから洗礼を受けられます。そのとき神の霊のようなものが下ったと記されています。聖霊は神さまから私たちに与えられる力です。聖霊のことはペンテコステの記事のところに詳しく書かれています。この後イエスの公生涯(宣教活動)が始まります。4章からそのことが書かれています。2章がイエスの誕生の話でしたが、3章ではイエスが30歳になられた頃の話に時が飛んでいるので、そのようなつもりで読むと分かりやすいです。

聖書要約
グッド洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
ヨセフ一家がナザレで住んでいた頃、バプテスマのヨハネが荒野で「悔い改めよ、神に立ち返れ、天国を近づいた」と、宣べ伝え始めていました。このことは数百年も前に預言者イザヤが語っていたことでした。すなわち「荒野かで叫ぶ者の声がする。主の道を整え、主の道筋をまっすぐにせよ」と。ヨハネはラクダの毛衣を着て、皮の紐を腰に巻いて、食べ物はいなごと蜂蜜だけという質素な生活ぶりでした。このヨハネの教えを聞き、洗礼を受けようとユダヤ全土から民がやってきました。パリサイ人やサドカイ人も大勢やってきて洗礼を受けようとしましたが、ヨハネは「悔い改めにふさわしい行いをしなければ、神の裁きから逃れられない。『自分はユダヤ人だから大丈夫』などと思ってもみるな」と手厳しく非難しました。また「主は石ころからでもアブラハムの子孫である彼らを作ることは出来る。主は民を裁くために、今まさに斧が振りかざしておらる。良い実を結ばない木は切り倒される。私は悔い改めのために水で洗礼を授けているが、まもなく来られるその方は、比べることもできないほど偉大なお方で、私はその方の履物を脱がせる値打ちもない。その方は火と聖霊によって洗礼をお授けになり、もみ殻ともみをふるい分けて、殻を焼き尽くされる。」と言いました。
グッドイエス、洗礼(バプテスマ)を受ける
その頃、イエスはガリラヤからヨルダン川に来て、ヨハネから洗礼を受けようとされました。ヨハネは「とんでもない。私があなたから洗礼をうけなければなりません」と言いましたが、主イエスは「今は止めないでほしい。なすべきことは全てしなければなりません」と言い、ヨハネから洗礼を受けられました。イエスが水から上がられた時、神の霊が天から鳩のように下って来るのをご覧になった。その時、「これはわたしの愛する子、わたしは彼を心から喜んでいる」という声が天から聞こえてきました。

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【聖書】マタイ2章

マタイによる福音書2章・・・・・人生の主権は主の手に
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」マタイ2:10

くぅ〜ママのちょっと一言
2章では救い主であるユダヤ人の王がお生まれになったことが、東方の学者に星を通して知らされます。幼子のいる家にとまった星を見て「喜びにあふれた」と書いてあります。原文はとてつもない大きな喜びという意味だそうです。学者達は救い主の誕生の喜びを「拝みに行く」という行動で表し、その喜びを自分達の財力をもって主に仕えることで表しました。
ヘロデは自分とは別の王の存在を脅威に感じイエスを亡き者にしようとします。
主イエスの誕生に対して自分がどう関わるかは様々だと思います。ヘロデのように脅威と感じて否定するのか、それとも学者のように大きな喜びとするのか、さらにマリアやヨセフのように謙虚にお従いしますとひざまずくのでしょうか。
主イエスの誕生を受け入れて人生を送ることがクリスチャンの歩みです。それは自分で生きるのではなく、私の中に働かれるイエス・キリストとともに生きるということです。それは新約聖書の多くを書いたパウロは「私たちは洗礼によってキリスト共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活されたように、私たちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ6:4)と告白しています。 またマザーテレサは「私は神さまに握られている1本の鉛筆に過ぎない」と、自らをいい表しています。すなわち信仰とは「私の人生の主権を自分の手から神さまの手に手渡すこと」なのです。

聖書要約
グッド占星術の学者たちが訪れる
イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。天文学者たちが東の国からはるばるやってきて尋ねました。「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおられますか。私たちはその方の星を見たので拝みに来たのです」と。それを聞いたヘロデ王やエルサレムの人々は不安を抱きました。祭司長や律法学者に調べさせたところ、預言者ミカが「ベツレヘムで私たちの民の指導者が出る」と記していたのです。ヘロデ王は学者たちをひそかに呼んで「詳しいことが分かれば知らせてくれ。私も拝みに行くから」と言って送りだしました。学者たちは星が幼子のいる家に留まったのを見て大きな喜びにあふれました。彼らはひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬の贈り物を献げました。「ヘロデの所に行くな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って帰って行きました。
グッドエジプトに避難する
彼らが帰った後、み使いがヨセフに現れて言いました。「ヘロデがこの子を殺そうとしています。エジプトに逃げなさい」と。ヨセフはその夜のうちに、マリヤと幼子を連れてエジプトに旅立ち、ヘロデが死ぬまでそこで留まりました。「私の子をエジプトから呼び出した」という預言者の言葉通りのことが起こったのです。
グッドヘロデ子どもを皆殺しにする
天文学者にだまされたことを知ったヘロデ王は怒り狂い、ベツレヘムとその周辺に住む2歳以下の男の子を一人残らず殺させました。これもエレミヤが預言した通りのことでした。
グッドエジプトから帰国する
ヘロデが死ぬとエジプトのヨセフにみ使いが夢に現れて、イスラエルに帰るように言います。ヘロデの息子が王となっていたため、ユダや地方に行くことを避け、ガリラヤのナザレの町に住むことになりました。預言者が「彼はナザレの人と呼ばれる」と言った通りになったのです。

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【聖書】マタイ1章

マタイによる福音書1章・・・・・・インマヌエルの主に信頼して
「その名はインマヌエルとよばれる」マタイ1:23

くぅ〜ママのちょっと一言

聖書は旧約聖書と新約聖書があり、前半の3分の2ほどが旧約聖書です。新約聖書の最初がマタイによる福音書です。福音とは「イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしいよい知らせ」ということ。マタイに続き、マルコ、ルカ、ヨハネと福音書が続きます。
マタイはイエスキリストの弟子の一人です。マタイは税金を取り立てる役人でした。当時、彼らの中には不正に取り立てる者も多く、人々から軽蔑される職業でしたが、主イエスはマタイに声をかけられました。マタイはいっさいを捨てて彼に従ったのです。
マタイの福音書はユダヤ人に対して、イエスは人々が待望していた救い主、キリストであることを伝えようとしています。系図を重んじるユダヤ人に書かれたものですから、最初に名前が列挙されているのです。現代の私たちにはここで読む気力がダウンしてしまいそうになるのですが、ユダヤ人にはここが大切なことでした。私たちにとっても聖書に慣れ親しむに従って、この系図を見ると、聖書の流れが一目了然となり、親しみを感じるものに変わってきます。
1章の後半は主イエスの誕生ストーリーです。マタイはヨセフ側から主イエスの誕生について書いています。マリヤはもちろんですが、この主のご計画に対し、自分の名誉や都合をいっさい言わず、自分を明け渡して主に従いました。ここに主の祝福があります。
「インマヌエル」神さまが私たちと共におられる!なんと嬉しい言葉でしょう。この信仰がクリスチャンの力強い歩みとなっています。迷っている時は正しい道を示して下さり、恐れている時には心に平安を与えくださり、疲れて一歩も前に踏み出さないような時には背負ってくださり、重い荷物を持っている時には担いでくださり、前が見えない時には足元にともし火を照らしてくださり、手を引いてくださり、行く手の希望を見させて勇気付けてくださる。そんな主イエスに信頼して生きていくのがクリスチャンの歩みなのです

聖書要約
グッドイエスの系図
アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン移住まで14代、バビロン移住からイエスキリストの誕生まで14代、計42代の名前が列挙されイエスキリストの系図が表されています。
グッドイエス・キリストの誕生
イエス・キリストの誕生について。母マリヤはヨセフと婚約していましたが、結婚する前にマリヤは聖霊よって身ごもりました。ヨセフは正しい人でしたから、婚約を破棄しようとしたのですが、み使いが夢に現れて言いました。「ダビデの子孫ヨセフよ。マリヤとためらわずに結婚しなさい。マリヤは聖霊によって男の子を宿したのです。その子をイエス(救い主)と名付けなさい。この方こそ、人々を罪から救って下さる神の御子です。神が預言者を通して語られたことが実現するのです。すなわち『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は“神は我々と共におられる”という意味である』。」と。ヨセフはみ使いが命じた通りにマリヤと結婚しました。ヨセフは出産するまでマリヤに触れませんでした。そして生まれた子にイエスと名付けました。


 

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